Interview

『弥次喜多』連載秘話も満載! 唐橋 充&藤原祐規&しりあがり寿、「おん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重」鼎談

『弥次喜多』連載秘話も満載! 唐橋 充&藤原祐規&しりあがり寿、「おん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重」鼎談

しりあがり寿原作の大人気コミック「真夜中の弥次さん喜多さん」「弥次喜多 inDEEP」(※以下、『弥次喜多』)を原作とし、歌・ダンスを取り入れたエンターテイメントステージとして2016年1月に東京と大阪で上演。2017年6月には第二弾となる『双(ふたつ)』が上演された。そして、6月21日からシアターGロッソで上演される第三弾のおん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重について、弥次郎兵衛役の唐橋 充、喜多八役の藤原祐規、原作のしりあがり寿に話を聞いた。

取材・文 / 近藤明子 撮影 / 友澤綾乃


冒頭でいきなり喜多さん死す!? 衝撃の展開に唐橋&藤原も混乱!

シリーズ第3弾の上演が決まった時の率直な感想をうかがえますか?

藤原祐規

藤原祐規 話を聞いた時は、再び喜多八を演じられる嬉しさしかなかったんです。ただ、今作の顔合わせで、過去2作は「俺が今までやってきた事って、どんだけちっぽけな事だったんだ!」と打ちのめされた感覚が蘇ってきて震えました(笑)。

唐橋 充

唐橋 充 シリーズものの舞台は「前回で出来なかった事をやれる」という喜びがあります。『弥次喜多』に関しては、僕は毎回全部出し尽くして出がらし状態になるので、『双』の後、「もう試す事なくなっちゃった?」と思っていたんです。でも『双』の直後にブタイモンというTV番組で『弥次喜多』が映像化されたことで、僕の中で新たな可能性が膨らんでいきました。演劇って「海だ!」って言ってしまえばそこに海があるし、「目の前に50mぐらいの巨人が現れた!」って言ってしまえば、もうそこに「居る」んですよ(笑)。でも映像はそうはいかない。『弥次喜多』という作品で舞台と映像の両方を経験できたことで「まだまだ出来ること、試せることがいっぱいある」と思ったし、今は稽古が始まるのが楽しみでしょうがないです。

『弥次喜多』は「読む人を混乱させること」を目的に描いたもの!?

先生は、20年以上前のご自身の作品が舞台化されると聞いた時は、率直にどう思われたのでしょうか?

しりあがり寿

しりあがり寿 最初はやっぱり「舞台化できるの?」って思いましたよね(笑)。あの作品は「読む人を混乱させること」を目的に描いたものなので、果たして「生の舞台でどう混乱させるのかな」と。マンガはコマの中でパッと現れたり消したり自由自在ですし、映像も編集で何とかなるけれど、リアルに目の前で繰り広げられる演劇で、どう表現されるのか興味がありました。実際に観劇させていただきましたが、ちゃんと『弥次喜多』の世界が広がっていて感動しましたね。あの瞬間、僕は世界で一番幸せな観客として客席に居ました。

唐橋 めちゃくちゃ嬉しい! いい気分のままこれでインタビュー終わりにしましょう。

藤原 まだ始まって4分20秒なのに?

唐橋 先生がだんだん思い出して「そういえば唐橋さんのあの部分は~」とか出て来るとマズイので(笑)。

しりあがり そんなことは言わないですよ(笑)。『双』の中のエピソード「メビウスの輪」と「最後の晩餐」の混沌の感じは、下手したらお客さんが怒って帰ってしまいそうな訳の分からない話を、最後まで食いついて観られるものにまとめた川尻さんの演出は、凄いなと思いましたね。不安と笑いがこんがらかってる話はベースがないとひっくり返した時の驚きがないし、そのベースをどこに持って来るか、そこが一番大変なところなんです。いや~、よくやったよね。

唐橋 先生はさきほど「混乱させようと思って書いた作品」とおっしゃいましたが、その感覚は“何”をより所としていたんですか?

しりあがり 混沌と言いつつ、僕は『弥次喜多』にリアリティを求めたつもりです。人は相手の顔を見て話しながらも、頭の中では「この後、俺は渋谷で飯を食うのかな」とか、全くトーク内容に関係ない事を考えていたりするもの。意外と人の意識はシンプルじゃないし、重層的でレイヤーがいくつも重なっている。だからドラマで分かりやすく描かれているのを見ると、「僕らの現実はもっと複雑で豊かなのに、なんでスーパーのパックに切り身を入れるみたいなやり方するんだろう」と残念に思うんです。寝ている時に見る夢も、多分感情が先に生まれて、その後に場面が現れると僕は思うんです。自分に不安があって、その不安を具体的に夢に見るんじゃないのかなと。だから、ただ出鱈目に見ているわけじゃないし、どうしてそんな夢を見たのか分からないながらも腑に落ちる瞬間があるんでしょうね。

唐橋 なるほど、筋が通っている感じがする。

藤原 でも、混沌の中のリアリティをどう表現するかが難しいですよね。ただ面白おかしくやっちゃうと軸を見失うし、軸があるからこそ先ほどおっしゃったように「裏返れる」瞬間があると思うし……本当に難しい。

今回の『三重』で、再びお伊勢さんへの旅が始まりますが、ふたりは現段階で弥次さん・喜多さんをそれぞれどう演じようと考えているのでしょう?

唐橋 この物語がどれだけ特異であるかを提示するには、まともな人がいないとダメなんですよ。フッキー(藤原祐規の愛称)さんが演じる喜多さんは“おくすり”をやっているので、必然的に僕が演じる弥次さんがその役割を担うことになる。ある意味、観客と同じ目線・普通の感覚で、目の前で起こる出来事にどれだけビックリできるかというのを稽古で探っていかなければと思っています。

ステージと客席を“繋ぐ人”がいないと観客は置いてけぼりになっちゃいますからね。

唐橋 そうそう。「これは変なんだ!」と、ちゃんと声を上げる人がいないと。

『弥次喜多』は当初、一人旅だった?

「変」と言えば、今回の『三重』では、冒頭でいきなり喜多さんの心臓が止まりますが、なぜか動けるという、とんでもない状態で旅がスタートします。

藤原 「なんだこりゃ? いきなり死ぬんかい!」って訳が分からないですよね。今回の台本を見た段階で僕は既に混乱しましたし、本読みの時も場面がどんどん移り変わる中で違和感というか、どんどん気持ち悪くなっていったんです。僕が感じるその“気持ち悪さ”をお客さんにも与えることが大事で、それが僕らだから創れる『弥次喜多』のテイストだと思うんです。あと唐橋さんが客席とステージを“つなぐ”のなら、逆に不安にさせるのが僕の役割。2人でいる時はひたすら楽しくし合って「ふたりでなきゃいけないんだ」という空気を出して、別々になった時にどれだけお客さんを不安にさせるかっていうのを毎回考えていますね。そこは今回も明確に出来るといいなと思います。

しりあがり 実は『弥次喜多』を描くにあたって、当初は一人旅という案もあったんですよ。結局コンビになったんだけど、男女だとややこしい事になるから「じゃあ男同士にしておくか」ぐらいの軽い気持ちだったんだよね。

藤原 なんかスゴイ裏話聞いた!

唐橋 僕、弥次さんを演じるにあたって心配だったのが、原作のイメージに忠実にやるなら弥次さんはもっと“枯れた感じ”がいいんですよ。でも舞台では元気に走り回ったり、かなりお茶目な感じのキャラクターになっている。この違いを先生はどう思われているのか気になって、初めてお会いして話をさせていただいた時に「どうですか?」って伺ったら、「描いたのが昔過ぎて、あんまり覚えてないからいいよ」っておっしゃってくださった。「なんて器の大きい人なんだ!」って思いました。

「自分が魂込めて描いた作品を、どう“されちゃう”んだろう?」という心配はありませんでしたか?

しりあがり 全然! 逆に演出の川尻さんや唐橋さん・藤原さんをはじめキャストの方々の手によって「どんなでっかい“う○こ”になっているんだろう」と、毎回楽しませてもらっています(一同、爆笑)。

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