山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 36

Column

あなたの中から聞こえてくる音楽/Running On Empty

あなたの中から聞こえてくる音楽/Running On Empty

目的地がなくても、ゴールなど見えなくても、ただ走り続けること。
心臓の鼓動、吹き抜ける風、からだの奥に潜む野性が、絶望の淵に光を当てることがある。
山口洋の好評連載、今回は走ることと音楽の不思議な関係について。
たとえ失われても、それは決して「無」ではない。


走り始めてもうすぐ10年になる。

健康のために走ったのではない。あるとき、自分ではどうにもできないことに苦しんでいた。ソファーの上から一歩も動けず、衰弱していくだけだった僕を案じて、わざわざNYからアニキ分がやってきて、こう言った。「伝えたいことは三文字。は・し・れ!」、と。

溺れる者、藁をも掴む。やみくもに全力で走ってみる。するとどうだろう。肉体的なしんどさによって、一時的にこころの痛みを感じなくなる。これは立ち直れるかもしれん、と思った。肉体が精神を引っ張りあげることによって。

右も左も分からないまま、ただメロスのように走り続ける。靴が合わず、両足で8つの爪を失った。ともだちには「何を目指しているのかわからない」と言われた。実際のところ、何も目指してはいなかった。こころの痛みを解消するにはこの方法しかなかっただけで。

気がつくと30キロくらいは走れるようになっていた。ハンガーノック(極度の低血糖状態)も味わった。危険ではあった。見兼ねた周囲がサポートしてくれるようになり、ローストビーフを作ってくれたりした。僕にはエネルギーが必要だった。走り終えてすぐ、立ったままそれを恵方巻のようにむさぼり喰う。まぁ、どう贔屓目に見てもイカれた光景だった。

それでも。僕は細胞が生まれ変わっていくのを感じていた。原人のような力が湧いてくる。腹は減る。食事も酒も美味い。身体はシャープになり、体脂肪は一桁台になった。

3ヶ月を過ぎた頃、自主的に42.195キロを4時間で走っていた。そして半年後に一度だけレースに出た。フルマラソン。3時間40分だった。ゴール地点で嬉しそうな表情を浮かべるランナーたちに混じって、僕はといえば、何の達成感もなかった。このまま努力を続ければ3時間は切れるかもしれない。でも、そのことにモチベーションを見出せなかった。

NYに連絡した。「3時間40分だったよ」。彼は呆れてこう言った。「そんなに走れとは言っとらん !」。

レースに出て結果を出すことより、ただひたすら日々のために、自分のこころを保つために、走り続けることの方が遥かに難しい。僕はそこにやりがいを感じた。

僕が海沿いの街に棲んでいるのは、葛飾北斎の時代から変わらない海と富士山がおりなす風景を見ながら、信号に邪魔されることなく、往復16キロ弱の海沿いのマラソンコースを走れるからだ。そこには自分を削っている人たちがいる。それぞれの理由で。みんな顔見知り。でも、挨拶はしても詮索はしない。それがいい。人は一人で、独りではないのだ。

太平洋に夕陽が沈んでいく。海にひかりの道ができる。失くしたものはすべてそこに存在している。僕はそこに佇むものたちと会話しながら走る。自分をリセットして、明日やるべきことを考えるためのプレシャスな時間。自然に一度として同じ風景はない。それは写真を見てもらえればわかるだろう。すべてランニング中にiPhoneで撮ったものだ。

ストレスを感じた日はいつもより少し負荷をかけて走る。ネガティヴな感情は地球が文字通りアースしてくれる。汗だくになって帰ってきたなら、僕は何にとらわれていたのかもう思い出せない。そうやって10年かけて、僕はこころの健康を取り戻した。

ランニング中にもたらされるアイデアはたいてい素晴らしい。それが音楽であれ、なんであれ。「考えて」いないからだと思う。「感じて」いるだけ。太平洋からの風に吹かれて、陽光の中で。血潮と自分のbpmから湧きあがるアイデア。机上より遥かにゴキゲンだ。

僕も学んだ。今は10キロを1時間弱かけてゆっくり走る。体が壊れるまで走ったりはしない。そして走る時に音楽は必要としない。潮騒、風の歌、なによりも自分の心臓の鼓動。それだけで十分に音楽。自分でグルーヴを創りながら走ることは愉しい。

走ること。安易には勧めないけれど、きっとあなたの中から音楽が聞こえてくるはずだよ。こころの声であるその音楽に従って生きることは、とても人間的だと僕は思う。

でも、これはロックンロールのコラム。いくつかランニングと抜群に相性のよかった音楽を記しておくね。

Jackson Browne / Running On Empty
さいきん、「Empty」と「Nothing」の違いについてよく考える。「空(くう)」と「無」。この曲は僕の気持ちをあまりに代弁してくれている。

Bruce Springsteen / Lonesome Day
「Born To Run」と書きたいところだけれど、そうではない。こころに逆風が吹き荒れるとき、この曲の効き目は絶大。911を経て書かれたこの曲は、311後の僕らにとっても有効だった。

Ásgeir / Afterglow(アルバム)
このアルバムは筋肉がほぐれる。毛細血管に血が通っていく。ストレッチの際、是非。

Cassandra Wilson / Belly Of The Sun(アルバム)
ゆっくりと長い距離を走るとき。彼女の音楽は素晴らしい伴走者になる。

さぁ、原稿を書き終えたから、今日の道を走ろう。

感謝を込めて、今を生きる。

Jackson Browne / Running On Empty

邦題:「孤独なランナー」。60~70年代のロック・シーンにシンガー・ソングライターというスタイルを確立させたジャクソン・ブラウン。これは1977年に発売された5枚目のアルバムにして初のライブ・アルバムの1曲目。ツアー中のホテルなどでの演奏やカヴァー曲を含む、新境地を拓いた5枚目。全米第3位を記録。

Bruce Springsteen / Lonesome Day

2001年9月11日に起こった米同時多発テロを受けてブルース・スプリングスティーンが2002年7月に出したアルバム『ザ・ライジング』の1曲目。同アルバムからセカンド・シングルとして発売された。犠牲者、その家族や友人の痛みに寄り添い、報復の意味を問う歌詞が出色。

Ásgeir / Afterglow(アルバム)

デビュー・アルバム『Dyro i dauoapogn』がアイスランドのグラミー賞といえる「アイスランド音楽賞」主要2部門(「最優秀アルバム賞」、「新人賞」)を含む全4部門を受賞した気鋭のシンガー・ソングライター、アウスゲイルの2ndアルバム。2017年4月発売。同年7月にはフジロック、11月にはジャパン・ツアーを果たした。

Cassandra Wilson / Belly Of The Sun(アルバム)

1996年度・2008年度のグラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞した、1990年代を代表するジャズ歌手の一人、カサンドラ・ウィルソンの2002年発表のアルバム。ブルース、ロック、ポップ・ミュージックなど幅広い楽曲を収録。当時46歳、包容力のあるヴォーカルは、眼前の風景に深い色味と艶を与える。

著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

1963年福岡県生まれ。1979年にHEATWAVEを結成。1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表のアルバム『1995』には、阪神・淡路大震災後に作られた「満月の夕」が収録され、多くのミュージシャン、幅広い世代に現在も歌い継がれている。アイルランドの重鎮、ドーナル・ラニー、元モット・ザ・フープルのモーガン・フィッシャーら海外のミュージシャンとの親交も厚い。2018年4月から池畑潤二 (Drums)、細海魚 (Keyboard)と新生HEATWAVEとしての活動を開始した。6月29日には仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと “MY LIFE IS MY MESSAGE 2018 You’ve Got A Friend”を東京・下北沢GARDENで開催。7月13日には藤井一彦(THE GROOVERS)と“OUR SONGS 2018”として共演する。リスナーからのリクエストで構成されるソロ・アコースティック・ツアー“YOUR SONGS 2018”も後半戦に入った。2017年12月22日渋谷duo MUSIC EXCHANGEのライヴを収録した『OFFICIAL BOOTLEG #005 171222』が好評発売中。

オフィシャルサイト

ライブ情報

MY LIFE IS MY MESSAGE 2018 You’ve Got A Friend
6月29日(金)東京 下北沢GARDEN
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山口洋×藤井一彦(THE GROOVERS)OUR SONGS 2018
7月13日(金)吉祥寺 STAR PINE’S CAFE
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山口洋 SOLO TOUR “YOUR SONGS 2018”
7月27日(金)熊本 ぺいあのPLUS
7月29日(日)福岡 ROOMS
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HEATWAVE OFFICIAL SHOP

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