【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 77

Column

「松任谷由実」としての最初のアルバム『紅雀』。「これ好きなんです」ってヒト、多いですよね。

「松任谷由実」としての最初のアルバム『紅雀』。「これ好きなんです」ってヒト、多いですよね。

結婚後、「荒井由実」ではなく、「松任谷由実」として我々の前に現われたユーミン。結婚したら引退しようと思ってた時期もあったそうで、だから“旧姓”にはケジメをつけたかったのかもしれませんが、勇気のいることでもあったでしょう。なにしろ「荒井由実」は、それまでの活動で築いてきた、唯一無二の“ブランド名”だったからです。

そんなわけで1978年。新たな活動の幕開けとなったのが『紅雀』です。ジャケットの彼女の雰囲気も一変して、どこかオリエンタルないでたちです。

当のご本人は、どんな想いで制作に臨んだのでしょうか(前回と同じ、『月刊カドカワ』1993年1月号で僕が取材させて頂いた記事からの引用です)。

 「結婚前のポップなイメージが残っているうちに、
 それを裏切ろうとしすぎたっていうか、渋いトーン
 の大人の女像を急にここでやっちゃった気もする
 けど、その時やりたかったことをほんとにぶつけた
 アルバムだったんです」

このアルバムは、発売当時、商業的な成功を勝ち得たわけではありませんでした。しかし今となっては、「これ好きなんです」ってヒト、実に多いです。僕が知ってる某シンガー・ソング・ライター(名前だせばみんな知ってる)は、創作に行き詰まった時、ずーっとこの作品集を聴いてたと言っておりました。そんな玄人ウケの例は他にもあります。

でもやはり、アーティスト本人としては、「出たときに評価してくれよぉ〜」、でしょう(笑)。“時代がいつしか『紅雀』に追いついた”みたいな穏便なまとめかたもあるけど、これはユ-ミンに限らず、すべてのア-ティストの方々、そうでしょう。画家のモジリア-ニは死んだあとに評価されたといいますが、誰だって、「褒めてくれるんなら、すぐ褒めてくださいよ!」と思っているハズなのです。

引用させて頂いた過去のユーミンの発言に戻ります。注目すべきは“渋いトーンの大人の女像”というあたりでしょう。でも確かに表題曲の「紅雀」。この雀ちゃんは可愛くチュンチュン鳴いてるわけじゃありません。なにしろ[誰か不幸にしても][飛ばせてほしいの]と、隙あらば“篭”を破ろうとする。さらに「罪と罰」は、退廃的で、アンニュイな世界観とも言えそうです。

少なくとも「ルージュの伝言」の、フレアのスカートが似合いそうな曲調、さらには後腐れ無い、[しかってもらうわ My Darling!]とは別物です。

僕は当時、このアルバムを聞き、全体としては『COBALT HOUR』や『十四番目の月』に較べ、“落ち着いてるなぁ”と感じたものです。歌の視点も“内省的”と言えばいいんでしょうか、“物思いに浸り遠くをみつめる”系が目立つ印象でした。いま触れた「紅雀」や「罪と罰」のような作品もあるのですか、オープニングの「9月には帰らない」、さらに「ハルジョオン・ヒメジョオン」、「残されたもの」などは、すべて歌のなかの主人公が“独りぼっち状態”です。

ユーミンの歌唱スタイルも、まとまりあるものに感じられます。これも“内省的”な印象に寄与した。これまでの彼女の良さは、声を張った際、声帯に別のスイッチが入り、ゴロリとエモーショナルになるところでもありましたが、それに較べて本作は、歌が上手にまとまっている印象です(ラストの「残されたもの」にはゴロリの感覚がありますが)。

ところがアレンジに関しては、意外とこれがハッチャケてる。ここが面白いところです。ラテン・ミュージック(時にはフォルクローレ)の要素が強い。「私なしでも」はブラジルの行進曲マルシャに思えるし、「地中海の感傷」はアントニオ・カルロス・ジョビンにストリングス・アレンジがクラウス・オーガマンという雰囲気。タイトル曲「紅雀」も元気なジャズ・サンバ風で、「罪と罰」にいたっては、ブラジルの民族楽器クイーカも登場し、カーニバルの雰囲気に溢れています。“内省的”とは真逆に、“胸騒ぎ系”のアルバムと言っていいでしょう。

ただ、それが表面で弾けて消費されるのではなく、内側のエネルギーとして内包されるのも特徴です。そのあたりにユーミンが新たに目指そうとしたもの(大人の女像)があったのかもしれません。

印象的な曲について書きます。まずはオープニングの「9月には帰らない」。しっとりとした作品です。舞台は海辺。潮騒のその先の波頭を見渡すかのように、ストリングスに木管も加わったアンサンブルが広がります。

歌詞に関しては、懇切丁寧に「物語」を描くのではなく、聴いた人それぞれ、心に宿すものが喚起されてく感覚でしょうか。主人公が滞在し、“9月には帰らない”と呟く場所が、旅先なのか、はたまた自分の故郷なのか、歌詞の情報からは分かりません。でも“9月”と聞いて、つまり季節が移り行く時期に、なんの感情も動かない聴き手など居ないわけです。 

「ハルジョオン・ヒメジョオン」は、このアルバム屈指の人気曲でしょう。「日本人の心の琴線に触れる」みたいな常套句がありますが、この歌はその“琴線”だけで編み上げた哀感たっぷりの造形物みたいな歌です。

ケーナというアンデスの民族楽器が使われているのですか、その音色がまさに[哀しいほど紅く]の歌詞と相乗効果を生み、色温度の低下が醸すその色彩を、眼前へワイドに差し出します。

ところでこの作品、今ではネットを見れば“ハルジョオンとヒメジョオンの見分け方”なんて記事がすぐ読めますが、この歌がリリースされた時、何を指す言葉か知らずに聴いていたヒトも多かったです。でもその言葉の“響き”だけで、なんの不自由もなく感激していたものです。もちろん[ヒメジョオン]というのが[土手]のあたりと関係あって、[埋もれ]ることができる存在ということから、何となく察しはついていたのですが…。

「LAUNDRY-GATEの想い出」も、人気のある曲でしょう。ユーミンがミドルティーンの頃を回想して書いた作品と言われています。歌詞に登場する“ジミヘン”は、ロック・ファンならご存知の通り、ジミ・ヘッドリックスのこと(以前、[ジミヘンに、自由と書いてロックと読め]ってタイトルでこのヒトの原稿書いたら、見出しだけ褒められたことがあります)。1970年前後の風景を回想しているわけで、曲のアレンジは、当時“ニュー・ロック”と呼ばれたものの一翼を担った、ブラス・ロック風とも受け取れます。聞こえてくるサウンドも、時代考証されているのかもしれません。

ボーカル録りは工夫を凝らしたのではないでしょうか。[男の扱い]のところとか、あえて“背伸びしてる感”を醸し出し、口先のほうで生意気っぽくチャーミングに歌っているように聞こえるのです。

今回、『紅雀』を改めて聴いて、凄くいいなと思った作品があります。正直この曲のことは忘れてました。スミマセン。「白い朝まで」です。スローのボサノヴァ調ですが、歌に登場する主人公は、[若い日]を回想し、自分が佇む公園を、[昔の谷間のよう]と形容します。このアルバムをリアルタイムに近い時期に聴いたヒトは、特にいまこの曲を聴くと、心に染み込むものも大きいのではないでしょうか。

文 / 小貫信昭 写真提供 / EMI Records

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