Interview

「たとえ何者にもなれなくても、責められずに生きていいじゃないですか」 髭男爵・山田ルイ53世インタビュー《後編》

「たとえ何者にもなれなくても、責められずに生きていいじゃないですか」 髭男爵・山田ルイ53世インタビュー《後編》

レイザーラモンHG、テツandトモ、ジョイマン、波田陽区などなど、錚々たる一発屋芸人たちの「その後」に迫った労作『一発屋芸人列伝』で、芸人としては史上初めて第24回雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞に輝いた、お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世。その執筆の舞台裏に迫るロングインタビューの後編では、前編に引き続き、山田の卓抜な文体の秘密、自身の人生観、執筆活動の今後など、より広い話題についてじっくりと話を訊いた。『一発屋芸人列伝』の先に、何が待つのか。

取材・文 / 前田久 撮影 / 鈴木まさみ


インタビュー《前編》はこちら
「一発屋芸人が一発屋芸人を取材するなんて、最初はちょっと嫌でした」 髭男爵・山田ルイ53世インタビュー《前編》

「一発屋芸人が一発屋芸人を取材するなんて、最初はちょっと嫌でした」 髭男爵・山田ルイ53世インタビュー《前編》

2018.06.21

僕は基本的に事実は事実として、そのまま書きたい。

その『一発屋芸人列伝』最終回の締めの文章もそうなのですが、山田さんの文章は人間の突き放し方が独特です。前著『ヒキコモリ漂流記』のラストにも同じような印象を受けました。

何と書いてましたっけ?

子供のころ、ご実家に誰も読まないハードカバーの世界文学全集が「見せ本」として置いてあって、それをたまたま手にとったことが山田さんの原体験のひとつだった。ご自分にお子さんができてから、もしかしたらあの「見せ本」は、父親が自分たち子供のために置いていたのではないかと考えた山田さんが、疎遠になっていたお父様に思い切って連絡を取って尋ねて見ると、「ゴミ置き場に捨ててあったん、綺麗やから拾っておいてたんや!」と言われてしまう……と。

ああー、はいはい。あれね、ホンマに酷い話ですよね。

あの顛末は、それこそもっと泣かせるような美談に変えてしまったり、それでなくてもあえて書くことはしないという選択肢もあったと思うんです。そして『一発屋芸人列伝』の最終回も、山田さんと相棒の「ひぐち君」の仕事の方向性が離れてしまったことを率直にお書きになった上で、「漸く僕も、髭男爵というコンビ名に、愛着がわいて来たところなのだ」という一文で締めています。とても美しい終わり方ではあるものの、ほかの回に比べて、ややドライというか、文学的な趣きすら感じます。それぞれが別々の生き方を選んだことを、嘘を付かずに書いておられる。このテイストはなぜなんでしょう?

そうですね……もし許されるのならば、本当は全部を最終回のテイストで書きたかったぐらいなんですよ。それはもう、単に僕が美談めいた空気感が嫌いだというだけの話なんです。僕は以前、6年間ひきこもっていたんですが、あの時間は本当に無駄だったと思っているんです。友達と遊んだり、勉強をしたり、充実した生活を送っていた方がより良い人生だった、より良い人間の形成に役立っていたと真面目に考えています。でも『ヒキコモリ漂流記』という本にそのころのことを書いて、取材を受けることになったら、インタビュアーの方が「でもその6年間があったから、今の山田さんがあるんですよね?」と美談に繋げようとしてくるんです。僕の手を後ろにねじり上げてでも美談にしよう、くらいの勢いで(笑)。そういうことが本当に嫌だと思っているんです。僕は基本的に事実は事実として、そのまま書きたい。ただひねくれているだけなんでしょうが、「頑張れば何にでもなれる」みたいな風潮がそんなに好きではないんです。

そうした物言いの方が、ウケはいいですよね。

だからマスコミの方はそう言わざるを得ないんでしょうけどね。でも何にもなれない人もいると思うんです。「何か一つ得意なことを見つけて、がんばって」みたいなことを安易に人は口にしがちですが、何にも得意じゃない人は世の中には確実にいると思う。それでも何にも責められず生きていいじゃないかと。でもそういうことはなかなか言えないんですよ。とくに僕らのような仕事をしているとね。だから少なくとも自分を扱ったところではそういった面も出そうと考えて、書いたんだと思います。そういう野放しの、放し飼いの美談みたいな「がんばって、キラキラしましょう!」みたいな話をするのは、無責任だと思うんです。小さいときは「夢見て頑張ろう」「何にでもなれる」と言っておきながら、いざ社会に出てみるとそんな世界ではないというのは、残酷ですよ。だからそういう、突き放したことを言う人がいてもいいんじゃないかなと、僕は思いますけどね。

……………………。

……沈黙が長い!(笑)。

すみません、圧倒されて。今のお話、山田さんの人生観や人間観に繋がっているお答えですよね。そうした考え方の根源は、どこにあると思いますか?

なんですかね……。それは小さいときから今まで生きてきた中のいろいろ、全部なんでしょうけどね。こういう考え方や言い方は、よっぽどのことでないと出版界では嫌われると思うんです。そこで取材を聞いている今の担当編集さんも、あまりよく思っていないでしょうね。売る方として、まえがきやあとがきはちょっとええ感じのことを、希望が持てるようなことを書いてほしいでしょうから。それはお仕事だから分かりますけど、あらかじめ言ってもらわないと。

担当編集者 いえいえ(苦笑)。

だからとんでもなくドンヨリとしたまえがきを書いてしまいましたよ。担当編集さんだけでなく、本を手にとっていただいた方にもこの場を借りて謝らせてください。申し訳なかったです!(笑)

美談の添加物みたいなものは文章に必要以上に入れたくない。

でもその目線の厳しさが、第24回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」に選ばれたことに繋がっているのではないでしょうか?

そうなんですかね(笑)。自分ではよく分からないのですが……。でも、美談の添加物みたいなものは、文章に必要以上に入れたくないですよね。商品としては良くないのでしょうが、気味悪く感じてしまうんです。さっきは無駄だといいましたが、ひきこもっていた経験も、そんな考え方と関係しているとは思うので、そういう意味ではあの6年間は無駄ではなかったのかもしれません(笑)。

ご自身はメディアが流す美談に惑わされた経験はあられます?

惑わされたということはないんですけど、そもそも美談がそばにあることがしんどくないですか? 誰も彼もそんな感じでやっていくことが善だという空気の中で生きているだけでしんどい。そんな人もいると思うんですよ。夏になったらカーテンをシャッと開けて、外へ飛び出して行こう……みたいなね(笑)。ああ、その意味では、ひきこもっていた時期にはTUBEに悩まされはしました(笑)。ZARDとかもね。どうも僕の若かったころ、特に90年代に流行っていた音楽は頑張れソングが多いんですよ。そういう青春を生きている人にとっては素晴らしく聴こえるんでしょうが、ひきこもっているときの精神状態で聴くと「前田(亘輝)さんに比べて俺はどうして輝いていないんだ……」みたいな気持ちになってしまう。「もっと意味のない歌を作ってくれる人、誰かおらへんかな」と思ってました(笑)。みんな意味を込めすぎなんです。意味マシマシでしょ。美談というより、その感じがしんどかったですね。

話を文章の話に戻させていただくのですが、この連載を始めるにあたって、意識された書き手はいらっしゃいました?

特にないですね。自分でもビックリですけど。もちろん、僕は昔から本をよく読んでいたので、何かしら、誰かしらの影響を受けているとは思います。でも書いているときは、逆に誰からの影響も受けまいと意識していました。「世の中で褒められている本は読むまい!」とまで思っていたくらい(笑)。自分の書き方が確立されているプロの物書きではない、いち素人ですからね。変に他の人の文章のクセがうつってしまったら、カッコ悪いなと思っていました。

前作の『ヒキコモリ漂流記』のときの文体よりも、ブラッシュアップされた感触があったのですが。

いや、それは嬉しいですね。
ただ、いやらしい話ですが、『ヒキコモリ漂流記』は、ちょっと拙い感じで書こうと思ったのもあります。

ええっ?!

その……ちょっとあるでしょう? 素朴な感じの文章の方が響くときがあるというか……。

自伝的な文章は、あまり露骨に技巧的ではない方が、味わい深いものになることがありますよね。

『ヒキコモリ漂流記』はそういう感じの方がエエなと思って。あの本の内容を妙に巧い感じで書いてしまったら、ちょっと嫌味な感じなんじゃないかと。身も蓋もないことを言ってしまってすみません。もちろん、「ある程度」の調整ですよ。そう、自分が本の中に書いた当時の年齢に戻ったときのような感覚で書きました。慌てて良い風に言い直すと、そうなりますね(笑)。

(笑)。『一発屋芸人列伝』は文体だけではなく、構成もすばらしくて。毎回のオチが鮮やかなんですよね。

あれは奇跡ですよ、奇跡(笑)。なんとか着地させられたんです。

取材前からある程度、オチを決めていたわけではない?

ああ、いや。「最後は絶対にこの感じで締めたろう」と思って、オチから逆算した回も二つぐらいあると思います。でも、全体的に締めの部分は書いていて難しかったですね。毎週、毎週、原稿を書いている人は本当に大変だろうなとあらためて思いました。本職の方でも、やっぱり締めの部分はムズイって思いますよね?

僕ごときが本職を代表するのもなんですが、苦労します。どうも締まらないオチになっていて、後悔することも多いです。
大体、原稿が世に出てから気づいて……「ああ、前にも使ったフレーズを使いまわしてしまった」とか。

それは恥ずかしいですね(笑)。締めの文章を考える作業はすごく難しかったのですが、意外に何とかなったのは10人の人たちがそれぞれが違った生き様や考え方を持っていらっしゃったからです。だから本当に奇跡。偶然、上手くいった感じだと思いますね。

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