【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 78

Column

松任谷由実 冬の夜の高揚感と『流線形'80』

松任谷由実 冬の夜の高揚感と『流線形'80』

前作『紅雀』は、ユーミンがあの時点でやりたかったことを実現させた内容だったそうですが、それに較べて『流線形’80』は、よりポップなものを目指したようです。ちなみポップとは、一般論で言うなら、聴き手側の感動の最大数を、送り手側が意識した上で作られたもののことです。ただこのアルバムの場合、具体的にはどういうことだったのでしょうか。

以前、ユーミンに伺った際、彼女が言っていたのは「冬の夜のポップさ」ということでした。さらに、「私は冬に高揚するタイプ」とも…。おそらくこれは、季節がもたらす空気感と関係あるのでしょう。辺りの景色や遠くの音が、よりクリアに届いてくるのが冬です。それに従って、イマジネーションも刺激されるのでしょう。

アルバムのオープニングを飾る「ロッヂで待つクリスマス」は、ひたすらロッヂで待っているだけの歌とも言えますが、もちろんこれは意図的です。主人公を“定点”にすることで、景色や想いをパノラマに展開していくのです。実際の視覚や聴覚とイマジネーションとが、追いつ追われつで研ぎ澄まされていきます。[きみの声]の[こだま]が、ロッヂの厚いガラス越しに実際に聞こえてくるようで、単なる空耳のようでもあるのです。

「埠頭を渡る風」は、まさにポップを有言実行した典型的な人気曲でしょう。1978年といえば、世の中はディスコ・ミュージック全盛ですが、ここで聴かれる演奏は、フィリー・ソウルの流れをファンキーにした感覚(サルソウル・オーケストラ的?)です。バンドやブラス、さらにストリングスと、当時の日本の腕利きミュージシャンの総決起集会のような大名演が、「埠頭を渡る風」なのです。

目の前には、冬ならではのクリアな景色が広がります。[青いとばり]が霞むことなく[海の果て]まで続いて見えて、そんな遠景を意識させたあと、主人公達へズームインするように展開していきます。恋愛ソングでしょうが、やや特殊です。惚れた腫れたを越えたとこで、母性が伝わるのです。これは万能です。いくら[セメントつんだ 倉庫のかげ]に隠れようとしてもお見通しなのでした。実にキャッチィな[もうそれ以上]の繰り返しは、あたかもここでストップモーションが掛かるようでもあり、歌舞伎でいう「見得」の効果を出しています。

惚れた腫れたを越えたものとしては、「魔法のくすり」もそうでしょう。この歌といえば、なんといっても有名なのは、男は[最初の恋人]になりたがり女は[最後の愛人]でいたいという、このくだりでしょう。これ、“けして言ってはいけない恋愛の真実”とでもいいますか(笑)、ロマンの奥底にある動かしがたい現実を突きつけてくるようなフレーズです。でも、いったん敢てそこまで踏み込んで、その上での恋愛指南ゆえ、もう説得力はバツグンなのです。

『MISSLIM』の「魔法の鏡」の主人公の、何年後かの姿、とも想像できます。あの頃は、自分の恋愛成就大作戦に躍起となっていましたが、ここでは周囲の恋バナにアドバイスできる立場になってます。ユーミンはこの歌のなかで、[ふくらし粉]という表現を有効に使ってますが、こういう言葉のドレスダウンは、のちのソングライター達に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

このアルバムには、他にも恋愛にまつわる動かしがたい現実を突きつける歌があります。「静かなまぼろし」です。[昔の恋]を懐かしく思うのはいまの自分が[幸せだからこそ]の部分。こちらも実に深い、聴く人達がみんな、思い当たるフレーズではないでしょうか。

さて、“冬の高揚感”といえば、この曲も忘れられません。「真冬のサーファー」です。好きな人を丘で見守る主人公の歌、という解釈もあるようですが、それはおそらく歌詞に出てくる[あいつ]を、恋愛の対象者とする受け取り方でしょう。でも、ほかにも様々な聴き方ができそうなのが「真冬のサーファー」です。

失恋した女の子が、心の痛みを忘れようと、たまたま千葉の海岸にでもやってきたとします。本来なら、波が猛り狂う日本海に旅して、想いを断ち切れば良かったんだけど、近場で済ませたわけです。すると、遠くにサーファーが数人…。その姿を“カラスの群れ”と表現したことは、当時、とても評判になりましたね。

この歌の巧みさは、主人公の心情と目の前の景色とが、いつしか境界線を無くしていくあたりです。最初のコーラスでは[次のいい波]を[つかまえてよ]だったのが、その後は[つかまえるよ]になっているあたりは顕著ですし、そもそも“いい波”という言葉のシニフィエ(意味内容)を、気付けばサーファーと主人公は、別々のものとして分け合っている。[Take offの高鳴り]を感じる部分が[かかと]というのも、凄く精密な表現です。

このスポーツにとって、いかに体幹バランスが大事なのかを知ったうえでのことですし、主人公か次の恋へ向けて一歩を踏み出す際にも、爪先よりまず先に意識するのは踵でしょう。ここでもサーファーと主人公は、シニフィエを分け合っていると言える。

細かいことですが、間奏で聞こえるギター・ソロは、サーフ・ミュージックでみられるトゥワンギーと呼ばれる奏法(♪デロデゲェェ〜ンみたいな響き)を意識したものですが、真冬ゆえ、ちょっと凍えぎみになっているあたり、非常に芸が細かいです。 

矢吹申彦さんのイラストレーションによるジャケットは、アルバム7曲目に収録された「Corvett 1954」の世界観に重なります。[月も追ってこない](歌詞より)ほど風力をまとい、空を駈けるクルマの姿が描かれています。このイラスト自体はブリキの玩具を模写したもののようですが、デザインをみる限り、コルベットの初期モデルCI型(1953年に誕生)に似てる。この歌には[流線形]という言葉も出てきて、実質上、アルバム・タイトル曲といえる作品です。

この曲、シンガー・ソング・ライターの来生たかおさんがデュエットの相手として招かれていて、彼の声質もあり、ゆったり温かな聴き心地です。疾走感だけを描くなら、真逆の曲調も考えられたでしょう。でも、既にこのクルマは追っ手(=月)を引き離し、浮遊している。同じクルマでも、タイヤが路面をグリップする感覚が伝わる「中央フリーウェイ」とは、まったく違う“乗り心地”なのでした。

このアルバムの9曲目に「かんらん車」という作品が入っているのですが、かつての「二子玉川園」が舞台と言われています。子供の頃、近所に住んでいたので、この[さびついた]観覧車は実物を知っています。歯車が作動し、ちょっとづつ角度を変えてく様を表わすアレンジも素晴らしいですし、これが[終わりの暗示]ならば[美しすぎる]という歌詞は凄過ぎます。この主人公にとって、観覧車のなかだけの“隔離された時間”こそが、自分を癒やすクスリだったのでしょう。

曲ごとバラバラに書いてしまっているので伝わりにくいかもしれませんが、『流線形’80』は、曲順どおり聴いてこそ醍醐味を感じます。音楽の届け方がどう変化しようと、ここは揺らぎません。「スロー」〜「ミディアム」〜「アップテンポ」の順列組み合わせが理想的です。もしこの文章を読んで「聞いてみようかな」と思った方は、ぜひこの作品集に、黙って身を任せてください。

文 / 小貫信昭
写真提供 / EMI Records

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