佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 51

Column

音楽に関する電子書籍「ウェルカム!ビートルズ」の未来には、この先どんな可能性が待っているのか?

音楽に関する電子書籍「ウェルカム!ビートルズ」の未来には、この先どんな可能性が待っているのか?

1966年6月29日に来日したザ・ビートルズは、その翌日から3日間にわたって日本武道館で5回の公演を行った。

それから2ヶ月後の8月29日、サンフランシスコにあったキャンドルスティック・パークでの球場コンサートを最後に、彼らはライブという形での音楽活動に終止符を打つことになる。

マルチテープレコーダーによる多重録音が可能になってきたことで、彼らは新しい音楽の表現を本気で求めて、そこから未知の領域へと足を踏み出していった。

そうしたことは来日する前から決まっていたわけではないが、そのような方向に向かっていることは、メンバーや側近のスタッフたちの誰もが薄々と感じていたという。

したがって日本という国は幸運にも、ビートルズを招聘できるたった一度のチャンスをものにしただけでなく、テレビ放映を実現させるまでにこぎつけたのだ。

そのおかげで地方都市に住む14歳のぼくのような中学生が、白黒のテレビを通してではあっても、ビートルズの日本公演という歴史的な体験することができた。

そうした僥倖にめぐりあうことができて、その恩恵にあずかったことについて、関係者の方々の仕事の数々には今でも深く頭を垂れなければ思うことがある。

とは言え、それは具体的に誰のどんな仕事に対してなのかと考えると、これまではその対象があいまいで、良くわからないことが多かった。

だから “音楽の神様”のような存在を、ばくぜんとイメージするしかなかったのかもしれない。

しかし、大学を卒業して音楽業界に入った年に、ぼくは東芝EMIというレコード会社へ出入りするようになった。

ほぼ同時に、シンコーミュージックという音楽出版社にも縁ができて、やがてそこの社員になってバンドのマネージメントやプロデュースを手がけることになった。

その後も独立して経験を積んだことによって、歴史的な事件への見方が少しずつ変わってきた。

そして四半世紀ほどのキャリアを重ねて、思いもよらぬヒット曲が生まれたり、歴史に残るような名曲が育っていく陰にはかならず、様々な立場のスタッフによる情熱的な仕事が必須だということが理解出来た。

そこにアーティスティックなひらめきや、ビジネスの勝負感なども絡んできて、歴史の必然であるかのように時代が求めるものがカタチになったときに、大ヒットという大輪の花を咲かせるのだということもわかってきた。

そもそも1966年のビートルズ来日という出来事は、ペリーの黒船来航にも匹敵する、日本の文化における最もエポックメイキングな事象だった。

だから謎だらけのビートルズ来日の裏側をもっと知りたいと思い、音楽ファンの視点ではないところから事実を検証しようと考えて、この「エンタメステーション」で1年間にわたって、『ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち』という連載原稿を書かせていただいた。

それが一冊の本にまとまって今年の3月12日、リットーミュージックから「ウェルカム!ビートルズ」を上梓することができた。

そして編集者や版元さんの理解を得たうえで、最初から希望していた電子書籍もつい先ごろ、正式に世に出たところである。単行本ではモノクロだったレコードジャケットを、電子ではカラーにしてもらった。

そのジャケットをクリックして楽曲をそのページで再生できたり、ビデオがシームレスに再生できるようになったら、ひとまず言うことなしなのだが、そこにはまだまだ高いハードルがある。

それでもあきらめることなく、動画の埋め込みやリンクによって、もっと音楽本の可能性を広げられるのではないか、あるいはぼくよりも詳しい事実を知っている人の見識を、どこかで参考に読めないかなどと思いは広がっていく。

もしも新たな資料などが発見された場合、電子ならばすぐに改訂版に切り替えられる。

本書の主人公は石坂範一郎というミュージックマンであるが、これまでの音楽史ではほとんど取り上げられたことがない人物だ。

ぼくが知る限り、2009年に発行されたJASRAC70年史の中で、東芝EMIを退社後の1973年に理事に選出されたこと、1977年には監事になったこと、そして遺作となった研究書「レコードの歴史-エディソンからビートルズまで-」(ローランド・ジェラット著 石坂範一郎訳 音楽之友社)が、1980年に亡くなった後で出版されたという記録が、活字化されたすべてである。

そんな範一郎の長男だった石坂敬一は武道館公演を観た時から、ビートルズの仕事をするのが自分の使命であると覚悟を決めて、慶應義塾大学を卒業してTBS系列の音楽出版社「日音」に勤務した。

その後に東芝EMIへ中途入社してビートルズ解散後の1972年から担当ディレクターとなり、実績を上げて音楽業界で成功を収めていく。

彼がなし得たビートルズの仕事に関して特筆されるのは、1972年に『赤盤』『青盤』と呼ばれる2枚のベスト・アルバムが発売になったときに、その凄さを伝えるために文学的な面と音楽的な面の双方から、きちんと評論することによって作品の価値を高めて、記録的な大ヒットに結びつけたことだろう。

それによってリアルタイムに間に合わなかった日本の若い音楽ファンも、体系的にビートルズを捉えることができるようになった。

二人は親子であることをあまり公にすることなく、互いにそれぞれの仕事に邁進していた。

東芝EMIで父が手がけていた現役だった頃のビートルズの売上は数年間でおよそ100億円、息子がアシスタントとして関わり始めた70年代から80年までが200億円といわれる。

音楽を聴くメディアがシングル盤メインだった時期から、LPに移行してきたことによる金額差もあるが、解散したバンドが現役時代の数字を上回るのは稀有な例となった。

そうした二人の人生に思いを馳せていくうちに、「ウェルカム!ビートルズ」というノンフィクションの向こう側に、音楽を愛する人間の親子二代にわたるドラマがまだ隠れている気がしている。そこを掘り下げたら面白いと思うのだが、おそらくフィクションでしか表現できない領域だろう。

だが、キャッチアップ画像に写っているふたりが、この日本における打ち合わせの3年後に、坂本九の「SUKIYAKI」で全米1位のヒットを放ち、その4ヶ月後には驚異的な「ビートルズ旋風」をアメリカや日本でも巻き起こしたのである。

ところで、「ウェルカム!ビートルズ」を電子書籍で発売してくれたボイジャーは、1992年にビートルズの映画「A Hard Day’s Night」をCD-ROMでデジタル出版したことがあったという。

ここでもまた人と人が不思議な縁で、つながっているのだと思わざるを得ない。


電子書籍 『ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち』
ザ・ビートルズの楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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