佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 52

Column

音楽ジャーナリストで考え続けるカメラマンの石田昌隆による写真集「JAMAICA 1982」

音楽ジャーナリストで考え続けるカメラマンの石田昌隆による写真集「JAMAICA 1982」

石田昌隆さんが生まれて初めて行ったコンサートは、1978年3月に日本武道館で行われたボブ・ディランの初来日公演だったそうだ。
だが1976年に大学生になっていた石田さんは、そのコンサートに心を動かされることはなかったらしい。

ぼくもその時の武道館に足を運んだ一人だったが、確かになんか拍子抜けしたような印象が強くて、正直にいうと途中で退場したくなったという記憶しか残っていない。
だから石田さんのいうことにはどこか、親近感を覚えるところがあった。

石田さんが音楽との運命的な出会いを果たしたのは、その翌年の4月にボブ・マーリーの中野サンプラザ公演を見たことで、まず最初に強烈な衝撃を受けたという。
続いて6月に新宿厚生年金会館でジミー・クリフの来日公演を見たことによって、人生が変わってしまったと述べている。
レゲエとはそのように、人の人生を変えてしまう力を持っている音楽であった。

ジャマイカの首都キングストンのゲットーで生まれたレゲエが、外国にまで伝わったのはボブ・マーリーの世界的なブレイクと、1972年にジミー・クリフが主演した映画『ハーダー・ ゼイ・カム』が広まったことによる。
レゲエが普及するにつれて上映を求める声が少しずつ高まってきた『ハーダー・ ゼイ・カム』が、日本で初めて公開されたのは1978年4月だった。

石田さんはその頃からレゲエを中心に音楽を聞くようになり、大学にはほとんど行かなくなってしまう。
そして築地の魚市場で働いたりして稼いだお金を貯めて、2ヶ月あまりのニューヨーク~ジャマイカ旅行を敢行したのは、1982年の7月から9月のことだった。

当時のジャマイカは辺境の地と見られていたし、現地に行くのは今とは比較にならないほどハードルが高かったようだ。
そもそも旅行資金を作ることからして大変だったし、すでに会社勤めをしている社会人ならば、会社を辞めなくてはならない。
大学生でも留年を覚悟しなければならなかったし、そのことで後々に就職がおぼつかなくなるおそれもあった。

そうした心配をよそにジャマイカを目ざした石田さんは、著書「オルタナティヴ・ミュージック」のなかで、当時の思いをこう綴っていた。

それでも、レゲエという音楽には人の人生を変えてしまう力があったということなのだ。ぼくだけではなく、レゲエに目覚めてジャマイカに行って人生が変わった(人生を棒に振った?) という人は数多い。

当時は日本にジャマイカ大使館がなかったので、イギリス大使館がビザの発給を代行していた。
だが、ビザ取得の条件が厳しくて、貧乏旅行者は初めから門前払いという扱いだった。
そのために石田さんはニューヨークにわたって滞在し、ジャマイカ領事館にビザを申請して入国する方法を選んだ。

ジャマイカでは、レゲエが生まれた街の風景と、そこに暮らすルード・ボーイ(街のゴロツキ)たちの写真を撮りたいと考えていた。
ジャマイカに行こうと決意したのは、レゲエという音楽にガツンときたことがきっかけではあるが、それ以前に、自分なりの写真を撮りたいと言う強い意志が根底にあったからだ。

その当時から石田さんが惹かれていた写真家の作品は、有名人ではなく市井の人々を撮影したものばかりだった。
とくに気に入っていたのが、ブルース・デビッドソンの写真集「East 100th Street」だ。
それはニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区で、一軒一軒のドアをノックしては「写真を撮らせてくれ」と住人に頼んで、そこで生活していた黒人やヒスパニックの市井の人たちを撮影した記録である。

有名人を撮った写真はどうしてもその被写体となった人物の実績に写真が引っ張られてしまうが、市井の人を撮った写真には、その陰影のなかにその人が住む土地の風土や文化が凝縮されて写り込むことがあるからだ。しかし言うまでもなく、見るに値する市井の人の写真を撮るのは難しい。
ジャマイカへは、そんなことを漠然と考えながら行った。ところが、予想もしていなかったことだが、ジャマイカでは次々と本物のミュージシャンに会えて写真を撮れてしまったのである。

まったくの出会い頭に本物のミュージシャンを撮影できてしまった幸運、その1人がオーガスタス・パブロであった。

AUGUSTUS PABLO(1982年) 撮影:石田昌隆

石田さんはその時のことを、このように述べている。

このときのぼくは何の実績もない旅行者に過ぎなかったが、オーガスタス・パブロは、ぼくのことを日本からやってきたジャーナリストだと勘違いしていた。なぜなら、ニコンの一眼レフを2台持っていたからだ。ぼくはオーガスタス・パブロの写真を撮れて嬉しかったし、時間を取らせておきながらジャーナリストではなくてただのファンですと言えば失礼な気がしたので、ジャーナリストのふりをしていた。

確かにジャマイカに到着した時の石田さんは、ただの旅行者にすぎなかったかもしれない。
だがキングストンのゲットーに下宿して生活し、知り合った人たちと同じレベルで生活しながら、53日間もの日々を過ごすなかで、石田さんは写真や音楽について考えることによって、日毎にジャーナリストになっていったのではないか。

石田さんは8月4日の夕方から8月8日の朝まで行われた「レゲエ・サンスプラッシュ」にも、自力でプレスパスを手に入れて参加した。
そして取材陣の一人として、その模様を写真に撮って残しているのだ。
当然のことだが取材で聞いた言葉をメモし、それらを整理することで貴重な体験を記録して、言語化していったのであろう。

日本に帰国した石田さんはジャマイカで撮影した写真や個人的なの体験を、渋谷の百軒店にあった古くからのロック喫茶「ブラックホーク」の人たちに見たり、聞いたりしてもらったという。
その時、偶然にも中南米音楽の専門誌である「ラティーナ」の編集部のスタッフが来ていて、写真を見て面白いということになり、いきなり写真と文章を雑誌で連載をさせてもらえることになった。

そうしたつながりがきっかけで、石田さんはそのままプロのカメラマンとなり、音楽ジャーナリストの仕事を手がけていくことになる。

それから4年後、1986年7月13日に開催されたレゲー・ジャパンスプラッシュの出演者の1人として、オーガスタス・パブロが来日した。
本物のジャーナリストとして再会した石田さんは、カメラマンとしてもポートレイトを撮影している。

AUGUSTUS PABLO(1986年) 撮影:石田昌隆

そんな石田さんの原点となった記念すべき写真の数々が、36年の歳月を越えて写真集となってよみがえった。
それが写真集「JAMAICA 1982」である。

時を越えて封印されてきた写真の陰影のなかには、まさにレゲエという音楽を生み出した人たちが住む土地の風土や、そこで培われてきた文化が凝縮されて写り込んでいる。

ちなみにぼくが初めてジャマイカを訪れて、キングストンで仕事をしたのはこの写真集から11年目、1993年のことだった。
それはZELDAというバンドのアルバム制作がメインで、並行してプロモーション・ビデオの制作も行った。
その翌年にも3週間ほど滞在して、ZELDAのメンバーだったSAYOKOのソロ・アルバムを制作している。

ぼくが実際にこの目で見たキングストンの街や、レコーディング・スタジオの印象は、出版された写真集「JAMAICA 1982」から受けとめた感覚と、まったくそのまま重なるものであった。
写真集に封印されていた当時の空気感はそのまま、ぼくの記憶の片隅にしまい込まれていた11年後の体験と、ごく自然に溶け合っていった。

それにしても写真集のために書かれた石田さんの文章は、実にさまざまなことを伝えてくれて貴重だった。
石田さんは「JAMAICA 1982」を撮った時に24歳だったわけだが、それから36年後に書かれたは文章には、何とも言えぬ味わい深さが加味されている。
そこが考え続けるカメラマンの面目躍如たるところなのだろう。


(注)文中に引用した石田さんの言葉はすべて、ミュージック・マガジン7月増刊号「オルタナティヴ・ミュージック」によるものです。

トップ写真 Yelloman(1982年) 撮影 / 石田昌隆


オーガスタス・パブロの楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

vol.51
vol.52
vol.53