黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 18

Interview

ファミ通表紙 松下進氏(上)路上に絵を描く少年が、音楽と出会いバンドマンへ

ファミ通表紙 松下進氏(上)路上に絵を描く少年が、音楽と出会いバンドマンへ

代々木公園 旧ワシントンハイツの思い出

面白いですね。ご実家は何かご商売をされていたんですか?

松下 父親はもともと写真家だったんですね。それが、支那(シナ)事変(注3)って言われている戦争に行ったときに、器用で機械いじりが上手いっていうんで、通信兵をやらされたらしいんですよ。

注3:1937年に起きた盧溝橋事件を発端として始まった、日本と中華民国(現在の中華人民共和国)との戦闘。事実上の戦争であったが、宣戦布告が行われないまま始まったため、このように呼ばれた。

4歳頃、お父さんと一緒に…

ええ、ええ。

松下 通信の機械を背負わされて、いろいろ使われたそうなんですが、そのときに電気の面白さを知ったみたいで。これからの時代は電化製品がいいっていうんで、帰還してから、電気屋を始めたんですよ。

中野のその土地で電気屋さんをされていたということですね。

松下 そうです。1階は全部電気屋になっていて。僕らの部屋は2階にあって、生活はそっちでって感じです。

そういう環境が松下さんの絵に与えた影響というのはありますか?

松下 そういう影響でいうと、ウチの父親の妹、叔母さんですね。この方は絶世の美女だったんですけど、その叔母がアメリカ軍の軍人さんと結婚されたんです。まだワシントンハイツとかグランドハイツ(注4)とかがあった時代で、その頃は日本で生活されていたんです。で、そのご夫婦には子供がいなくてね。ウチは兄貴と2人兄弟だったんですが、どういうわけだか僕の方がかわいがられていたんです。それで、よく泊りがけで、その基地の中に遊びに行っていたんです。

注4:第二次世界大戦後、アメリカ軍が日本に有していた米軍兵士とその家族用の居住施設。ワシントンハイツは渋谷の代々木公園一帯、グランドハイツは練馬区の光が丘にあった。

じゃあ、代々木の旧ワシントンハイツとかに。

松下 そうです、そうです。一番よく行ったのはワシントンハイツだったと思います。だから、比較的早い頃からコカ・コーラを飲んだり、ハンバーガーを食べたりしていたんですよ。

そうでしょうね。

松下 はい。それで、その家のご主人がコミックスとかが好きだったんでしょうね。アメコミの雑誌なんかがリビングとかにいっぱい置いてあるんですよ。『スーパーマン』とか見ていて面白いし、こういう絵があるんだって。色彩的なものもそうですし、カルチャーショックっていうか、すごい影響を受けましたね。

あの頃はカラーのマンガって、ほとんどなかったですよね。

松下 なかったですね。その前まではウチの父親が絵本みたいなのが好きな人だったんで、山川惣治先生(注5)の『少年ケニヤ』(注6)なんかをよく読んでいたんです。珍しいサイズの本で全巻揃っていたんですよ。で、それをかたわらに置いて、よく模写したりしていたんですね。だから、そっちにもすごい影響を受けていて、そこにアメリカンコミックスとかが融合していった感じです。

注5:おもに1950年代に活躍した絵物語作家。小松崎茂氏らとともに戦後の絵物語人気をけん引した。

注6:アフリカのケニヤを舞台に、日本人の少年ワタルが活躍する山川惣治原作の冒険活劇。1951年より産経新聞にて連載された作品で、ラジオドラマ化や映画化もされるなど一大ブームとなった。1984年に大林宣彦監督によるアニメ化もされている。

その頃にアメコミに触れられた人ってほとんどいなかったですよね。

写真家だった父親からの多大な影響

松下 早いほうだと思います。だから、そういう部分で恵まれていたのかなって思いますね。

なおかつ『少年ケニヤ』が全部揃っていたと。そういうご家庭もめずらしかったんじゃないですか?

松下 適当な見方をしていると怒られましたからね。本っていうのは大切にして、こうやってちゃんと開いて見ろとか、両手で持って見ろとか、よく言われました。だから、僕も本をすごく大事にするようになりましたね(笑)。

ということは、お父様もグラフィックとかマンガとか、いわゆる絵というものに対する情熱が強かったわけですか。

松下 もともと写真をやっていましたからね。カメラの機材なんかがウチにいっぱいあったんですよ。ジャバラのこんな長いヤツとか、なんかデカいレンズとか。そういう方だったんで映画は特に好きでね。しかも、洋画ばっかりで日本の映画はあまり観ないんですよ。当時はハマー・フィルム(注7)の『ドラキュラ』とかね。それと、今でいうとSFXだけど特撮映画ね。一番強烈に印象に残っているのはレイ・ハリーハウゼン(注8)。『シンドバッドの7回目の航海』(注9)とか、シリーズのほとんどを父親と一緒に観に行きました。

注7:かつてイギリスに存在していた映画製作会社。ホラーメーカーとして名高く、『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』シリーズをはじめとする、数々の古典ホラーの名作を世に送り出した。

注8:1950年代から80年代にかけて、映画の特撮監督や特殊効果スタッフとして活躍した伝説的人物。ストップモーションアニメを駆使した数々のモンスターやクリーチャーを生み出し、のちの映画人をはじめとするクリエイターたちに多大な影響を与えた。

注9:レイ・ハリーハウゼンが特撮を手がけたシンドバッド3部作の第1作目で公開は1958年。一つ目巨人のサイクロプスと巨大なドラゴンのバトルや、主人公のシンドバッドとガイコツ剣士のチャンバラなど、ハリーハウゼンの特撮技術が随所に光る名作として知られる。

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