佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 53

Column

歌が名もない人の心とともに生きていくのだとしたら‥‥

歌が名もない人の心とともに生きていくのだとしたら‥‥

さだまさしは永六輔が亡くなった2016年の秋に上梓した著書の最後に、おそらく本音だと思われるこんな文章を記していた。

大げさと思われるかもしれませんが、永六輔がこの世からいなくなったということは、ひとつの文化の消滅です。大きな損失です。
僕が総理大臣なら、永さんにこそ、国民栄誉賞を与えるね。どうでしょう? 政府関係者の皆さん。ま、あそこまで権力に歯向かえば、そんなことは絶対にありえないんでしょうが。
(さだまさし著「笑って、泣いて、考えて。 永六輔の尽きない話」小学館)

それから1年半という歳月が過ぎて、そんなことはありえないことだとわかっていても、筆者もまた日に日に同じ思いを強くしていた。
そんなタイミングで、さだまさしも出演するイベント「夢であいましょう ~永六輔さん 今宵はあなたと~」が、7月8日に渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールで開催された。

主催者からは「永さんらしく健全で楽しい要素を大切に、歌と言葉で綴る真に上質な会を真摯に作りあげていきます」というメッセージを頂いていた。
だからいつもよりもかなり時間に余裕を持って会場へ出かけたが、開場してしばらくロビーで旧知の人と立ち話をしていると、スタッフの人に「そろそろお席についたほうがいいですよ」と声をかけられた。

開演の15分前だったが席につくのとほとんど同時に、作務衣姿のさだまさしがステージに登場し、「まだ始まっていませんよ~前説ですから」といいながら、マイクを片手に永六輔との出会いについてのエピソードを語り始めた。
もちろん最初は伝説の番組、NHKの『夢であいましょう』の話からであった。

入場してくる観客にも気さくに声をかけながら場内の雰囲気を和ませて、永六輔を偲ぶイベントらしい流れを作っていく。
その姿と語り口調からは、「ああ、永さんから受け渡されたバトンを、さださんは今まさに、しっかり握りしめているんだな」ということが伝わってきた。

笑いに包まれた15分ほどの前説が続くなかで、司会を務める娯楽映画研究家の佐藤利明氏によって、正式に幕が開たのは定刻を少しまわった頃だった。

田辺靖雄と九重佑三子の二人によって軽妙な会話を交えながら始まった第1部のコンサートでは、「夢であいましょう」「ウェディングドレス」「黄昏のビギン」「坊や」と、1959年から65年の期間に書きおろされた永六輔と中村八大のコンビによる作品が披露された。

それらの楽曲を半世紀以上も歌い続けてきた現役のシンガー、田辺靖雄と九重佑三子の歌声が自然でみずみずしいことに感心させられた。
それとともに楽曲が持つクオリティと生命力について、あらためて考えさせられることがあった。

続いて第2部に登場した毒蝮三太夫は、テレビの世界から距離をおいてラジオ・パーソナリティとして活躍し始めた永六輔のもとで、1970年から中継番組のコーナーを長年にわたって担当してきた人物だ。
観客を前にした毒舌トークには定評があるが、「なんとかして永さんに気に入られようと思って、必死だったよ。久米宏も小島一慶も、そうやって鍛えられたんだ」と、自らの体験を通じて知った永六輔について話し始めた。

そのなかでたびたび出てきたのが、「永さんという人は生まれも育ちもエリート中のエリートだった」という、江戸っ子で下町育ちだった人間ならではの言葉だった。

永六輔は江戸時代から17代も続く由緒ある浄土真宗の寺の子として生まれ、父は住職をしながらインド哲学の翻訳や研究に没頭していた。
そうした環境についても毒蝮は、「おれが下駄をはいてベーゴマや剣玉をやる下町の悪ガキなら、永さんはランドセルを背負って靴をはいて学校に通うエリート。どこか山の手のにおいがする。歌の歌詞にしても品がいいでしょ」と、微妙な違いにも言及していた。

最後に自らの師匠ともいえる立川談志ともども、「大きな昭和の星が堕ちた感じだよ」と、早かった死を悼んだ言葉がやはり印象に残った。
確かに昭和が遠のいていくことに比例して、その欠落感は大きくなってきていると筆者も感じていたからだ。

第3部は45分ほどに凝縮されたさだまさしによる、トーク・アンド・ライブであった。
ミュージシャンはギターの田代耕一郎と、第1部から音楽監督として品のいい編曲と演奏を披露していたピアノの倉田信雄。
自分のオリジナルから「案山子」、「秋桜」、「桜ひとり」を3曲続けた後に、さだまさしは永六輔の作詞した「生きるものの歌」と、「見上げてごらん夜の星を」を歌った。

最後は全出演者が揃ったところで、もういちど田辺靖雄と九重佑三子によるデュエットで「いつもの小道で」が歌われた。
いつも同じ通り道ですれ違うだけの相手を思って、いつかは一緒にお茶を飲んで映画を観たいと願っていたのに、言い出せないままに逢えなくなってしまった若いふたり‥‥。

この甘酸っぱい恋の歌は、いかにも永六輔の世界らしい心のときめきと、恥じらいが感じられる作品である。
御本人もお気に入りだったはずで、唯一残されたソロ・アルバムでも歌っていた。

筆者はこの歌を11歳で初めて耳にしてから55年になるが、純情な少年や少女の心の動きが描かれた傑作であると、聴くたびに思わずにはいられない。

続いて観客とともに「上を向いて歩こう」 を歌ったところで、フィニッシュかと思いきや、出演者が相互に挨拶をしながら去っていく中で、オープニングで歌われた「夢であいましょう」のイントロがさり気なく始まった。

そう、リアルタイムで伝説の番組に出演していた田辺靖雄と九重佑三子の「夢であいましょう」で始まったオープニングと、それを観て育った子供のさだまさしがクロージングで歌うという趣向が、最後に隠されていたのだった。
番組制作者でもあった永六輔へオマージュを捧げるという、実に粋な演出であったと思う。

夢であいましょう
夢であいましょう
夜があなたを抱きしめ
夜があなたに囁く
うれしげに悲しげに
楽しげに淋しげに
夢で夢で 君も僕も
夢であいましょう

さだまさしは『永遠~さだまさし 永六輔を歌う~』というアルバムを作ったときに、なぜこんなにも分かりやすい言葉で深い世界が描けるのかと考えてみたそうだ。
そして歌詞および楽曲について、このような見解を述べていた。

歌はいわば生鮮食品です。時が経てば腐ります。特に言葉が痛むのは早く、すぐ古びてしまう。
ところが、永さんの歌詞は、全然古くない。今の世に新曲として出しても十分、通用します。

この日のコンサートを観終わった帰り道に、筆者が渋谷の喧騒の中を歩きながら感じていたのも、これと全く同じような感慨であった。
夜になっても渋谷の街にはおびただしい数の人が繰り出してくるが、自分がそうであるように、用事を済ませて一人で黙って帰る人も混じっている。

そのなかには言い知れぬ孤独を感じながら家路をたどる人だって、少なくないに違いない。
誰にだって「ひとりぼっちの夜」はあるだろう。

だけどそんなときに、ふと口ずさめる歌があれば、それは一瞬でも何らかの救いになる。
たとえひとりぼっちだとしても、「ひとりぼっちの夜」と誰もが口ずさんだら、実はひとりぼっちではなくなるのではないか。

「上を向いて歩こう」とつぶやいて背筋を伸ばせば、空を見上げることが可能になるかもしれない。
どれだけ孤立無援であっても、ひとりでに口をついて出てくる歌があれば、生きる元気も湧いてくる。
永六輔と中村八大が作った歌はどれもが、そういう歌だったのではないだろうか。

そんなふうにして名もない人の心とともに歌が生きていくのだとしたら、それらの歌のなかにこそ作者の永六輔や中村八大も、永遠に生きていることになる。

歌に生命を与えるのは聴く人であり、人知れず歌う人であり、歌を必要とする時代なのだろう。

さだまさしの楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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