【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 81

Column

松任谷由実 80年代の日本人に、「休暇」と「救済」を与えたふたつのコンセプト

松任谷由実 80年代の日本人に、「休暇」と「救済」を与えたふたつのコンセプト

ユーミンの“リゾート・アルバム”を代表するのが『SURF & SNOW』(80年12月)だ。そして翌年の5月にリリースされたミニ・アルバム(4曲入り)が『水の中のアジアへ』である。このふたつの作品集は、コンセプトが全然違う。しかし、時代が80年代へと突入するなか、日本人に「休暇」と「救済」をもたらしたのが、この2作品だった。かなり話がデカくなってきた気もするし、そういうことは行政の仕事のようだけど、ポップ・ミュージックにも、社会を先導するようなことが出来るという、その典型的な例が、この時期のユーミンである。

まずは『SURF & SNOW』。彼女のなかでこのアイデアが芽生えたのは、本作より少し前だったという。

『COBALT HOUR』のアルバム・タイトルを
考えている時、“SURF & SNOW”とか“ホリ
デー・イン・ミュージック”とかって言葉は、
すでに出てきてたんですよ。
(「月刊カドカワ」1993年1月号より)

荒井由実時代の75年のアルバムだが、確かに表題曲の「COBALT HOUR」とか「花紀行」、さらにラストを飾り、エンディングがアルバム冒頭へとループする「アフリカへ行きたい」など、“リゾート・ミュ−ジック”と言えるかもしれない。そうやって、すでに実践しつつ、さらに進化させたのが、『SURF & SNOW』ということかもしれない。

この頃といえば、アルバムとコンサートの、密接な関係も無視出来ない。『SURF & SNOW』がリリースされる2年前の1978年に、葉山でのリゾート・コンサートが始まり、その後、場所を逗子に移し、続いていく。さらに『SURF & SNOW』が出た翌年には、夏の葉山と対を成す、冬のリゾート・コンサートを苗場のスキー場で開催し、こちらは現在も、毎年続いているのである。

当時の世相をみると、『SURF & SNOW』は時代を先取りした内容でもあった。ざっくり言うと、戦後、日本人はマジメに一生懸命働いて、気付けばけっこう余裕も出てきていた。でも、マジメ一筋だったから、お金を使うにしても、どうしていいのか分からなかった。そんな時期、余暇の素敵な使い方を、音楽で示したのがユーミンだったわけである。

ただ、彼女が示した“リゾート”というのは、行楽地、保養地へ出掛けて行く、実際の行為だけではなく、心のに思い浮かべる“リゾート”も含まれている。そもそも歌というのは、いつどこで聴いても、その瞬間、気分をその場所へ、瞬間移動させる力を持っている。

『SURF & SNOW』というアルバムを、さっそく聴いてみよう。当時はLPレコードとしてリリースされ、アナログなので、A面B面に分れていた。そのA面5曲が“SURF”サイド、夏を彩る楽曲達であり、B面5曲が“SNOW”サイド、冬を彩る楽曲達だった(もちろん現在はCDなので、全10曲を通して聴けるわけである)。

ただ、厳密に言うならば、「シーズンオフの心には」のように、夏の避暑地のシーズンオフの歌もある。また、「サーフ天国、スキー天国」では、サーフィンの楽しさもスキーの楽しさも、まるでビーフとポークの合い掛けカレーのように盛り込んでいる。これ、重要な曲なので、さらに詳しく書く。

この曲でユーミンは、とっても大事な“感覚”について歌ってる。具体的には歌詞の、この部分…。自然というのは様々なものを連れて[レビューを見せに来る]と歌う部分だ。このフレーズは、とても意味深い。つまりこれ、人間も自然の一部分なのだということを、さり気なく伝えようとしているのだ。僕なんかは歌詞がこの場面に差し掛かると、いつもじわーんと感動しちゃう。のちに『スユアの波』(1997年)で表現されることの兆しが、すでにここで出ている感じもする。

なお、『SURF & SNOW』でダントツに有名な楽曲は「恋人がサンタクロース」だ。それもあって、冬の印象が強いかもしれないが、どうしてどうして、“SURF ”サイドも名曲多数で頑張っている。のちに彼女は『LOVE WARS』というアルバムで、“恋の任侠”というキーワードを口にするわけだが、そのプロトタイプとも受け取れるのが「彼から手をひいて」である。絶妙なアレンジもあって、他の曲とは気圧と水圧が違って聞こえる「人魚になりたい」もイイ。そこからスカッと抜けていくのが、次の「まぶしい草野球」だ。その前に一度潜るから、見事に抜けるのだ。

翌年の5月、ミニ・アルバム『水の中のASIAへ』を発表する。ジャケットは和服姿のユーミン。ご存知の通り、ご実家は八王子の老舗呉服店である。和服にした理由はなんだろうか。アジアと自分が向き合うにあたり、日本人として“正装”することで、礼を尽くしたかったからかもしれない。

ユーミンのアルバム・タイトルに“ASIA”という言葉が出てきたのは唐突な気がした。この頃、アジアはトレンドでもなんでもなかった(“ベトナムは可愛い雑貨の宝庫です”、なんていうのは、ずっとずっと後の話)。個人的に、アンテナがそこへ振れた、ということのようだ。彼女が東南アジアを旅行して、現地で感じた様々な想いがキッカケだったのだそうだ。その旅は、『時のないホテル』がリリースされた約2か月後、1980年8月19日に離日し、シンガポールやジャカルタなどを回るプライベートなものだった。前回、『時のないホテル』の時はバイオリズムも下がっていたと言っていたユーミンだったので、何か転機を求めての旅だったかもしれない。

その成果として『水の中のASIA』を受け止めるなら、特に1曲目の「スラバヤ通りの妹へ」は、そのドキュメンタリーにも聞こえる作品である。舞台はインドネシア。主人公は現地で15歳の女の子と出会い、妹のように想い、親近感を抱く。しかし朝の市場では、かつてこの地を侵略した当事国の人間であることを、否が応でも意識させられる出来事に遭遇する。たまたま見かけた[やせた年寄り]は、[私と日本に目をそむける]ような態度を取る。アジアを旅すると、自分は戦後の生れであっても、加害者意識に苛まれることがある。わざわざ歌詞に、このシーンを加えたのは意図的だろう。彼女のなかにも加害者意識が存在したからだろう。

でも、それも認めつつ、を聴き終えたあと心に残るのは、心温まるものだ。主人公は、女の子からインドネシアのポピュラーな民謡「ラサ・サヤン」を教えてもらう。そして、教えてもらった一節だけでなく、[そのつぎを教えてよ]と、より深く現地の文化へコミットすることを望む。それはつまり、未来へ向けて、悲しい過去を越えていこうとする意志に他ならない。「スラバヤ通りの妹へ」は、そんな歌だ。「ラサ・サヤン」が、「スラバヤ通りの妹へ」という歌のなかに、同時に鳴ってるような構成が巧みだ。

いま原稿を書き終わる間際に急に想いだしたのだが、この『水の中のASIA』のジャケットの着物姿なのだけど、たしか以前、このアルバムの回想をして頂いた時、帯留めの位置について仰っていた記憶がある。このジャケットの締め方では下過ぎるだったかどうだったか、細かいこと忘れたが、やはりそのあたりはご実家がご実家であるから、沽券に関わることだったのだろう。音楽とぜんぜん関係ない話題で失礼いたしました。

文 / 小貫信昭
写真提供 / EMI Records

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