佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 54

Column

世界的なレジェンドたちとの出会いを経て、桑原あいが新プロジェクトに多彩な才能を集めて大きく動き始めた

世界的なレジェンドたちとの出会いを経て、桑原あいが新プロジェクトに多彩な才能を集めて大きく動き始めた

桑原あいの飛躍は2013年9月の「東京JAZZ」に出演したことと、11月に単独で4カ所の米国ツアーを敢行したところから始まった。
彼女はソロ活動と並行して、「桑原あいトリオ・プロジェクト」名義でのライブ活動も行い、自主制作CDを発表してオリジナル作品へのアプローチが増えていく。

2014年から15年にかけては3枚目のアルバム「the Window」と、4枚目の「Love Theme」をリリースした他に、「モントルー・ジャズ・ソロ・ピアノ・コンペティション・イン・かわさき」に応募して優勝した。
こうして若き才能に関心が向いて、知る人ぞ知るという存在になっていった。

本場スイスで開催されたモントルージャズフェスティバルに招かれて、ソロ・ピアノ・コンペティションへの出場を果たしたのは2015年7月だった。

その時にクインシー・ジョーンズに出会うという幸運に恵まれたのは、ものおじしない真っ直ぐな桑原が持っている、不思議な人間力のおかげだったのかもしれない。

生きる伝説と言われたていたプロデューサーで音楽家のクインシーはスーパーバイザー的な立場で、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに関わっていた。
そして日本から来ていた友人の誘いを受けて、桑原あいを見るために会場を訪れたのだった

運命の糸はこのようにして人と人との出会いや、不思議な巡り合わせを用意し、才能と才能を結びつけていくのであろう。

演奏30分前に会場に現れたクインシーは控え室で緊張している桑原を激励し、演奏後も「Wonderful」と微笑んでくれたという。

ところが審査発表が行われてみると、オーディエンスの拍手や歓声が圧倒的だったにもかかわらず、桑原の名前は3位までの表彰者になかった。
クインシーはそのとき、予想外の結果に落胆していた桑原を呼びよせて、「君の演奏はとても立派だったよ」と意見を述べた。

そこで桑原が「何が足りなかったと思いますか?」と訊ねると、思いもよらない答えが返ってきた。

リズムやグルーヴ、ドラマチックさ、細やかな指使い、弱音から強音までの表情、どこをとっても足りないところは一つもない。

まあ、そうはいっても23歳の女の子では、まだ表現できないことは当然ある。
足りないとしたら、齢を重ねることかな。

それを聞いて桑原は、涙がとまらなかったという。

桑原はピアニストであると同時に、作曲家であり、編曲家を目指して活動してきた。
ジャズだけでなく、ファンクもクラシックも取り入れて、新しい自分の音楽を創造していく、そんな表現者を目指していた。

しかし、2013年の後半から思うように曲が書けなくなって、そのまま1年以上の時が経過しても突破口が見えなかったという。
実は創作について、途方にくれていた時期にあったのだ。

そうした事情を知る由もないのに、クインシーはさらにこんな助言を与えてくれた。

賞に選ばれなかったのは、きっとそのことが今の君に必要だからだろう。
賞をとれなかったことの悔しさ、どうして選ばれなかったのか、それを考えることがこれからの演奏に大きなプラスとなる。
過去の大物プレーヤーにも同じ経験をした人がたくさんいる。
その人たちも、賞を逃したことをきっかけに大きく飛躍したのだ。
何も心配せず、このまま前を向いて突き進みなさい。

クインシーが帰っていく後ろ姿を見送りながら、桑原は「今なにかを書かなければ‥‥」と感じていたという。

こうして生まれたのが「The Back(背中)」、クインシーの後ろ姿と背中を思って書いた作品だ。
日本に帰る飛行機の中で、記念すべき楽曲が誕生したのである。

桑原はこの曲が誕生したことによって、長かったスランプを脱して世界に向けて足を踏み出していく。
そのときに彼女が進んでいく道を一緒になって、「君がリーダーだから」とサポートしてくれたのは、ニューヨークを拠点に活躍するドラムのスティーブ・ガッドと、ベースのウィル・リーだった。

こうした偉大なレジェンドたちに導かれるかのように、桑原はNYCにて録音した5枚目となるオリジナル・アルバム『Somehow, Someday, Somewhere』を2017年6月にリリースする。
そのアルバムの最後を飾ったのが、「The Back(背中)」であった。

リリースに合わせて来日したスティーヴとウィルのトリオで、6月には日本で国内ツアーも行って好評を博した。

それからは11月にテレビ朝日系報道番組「サタデーステーション」「サンデーステーション」のオープニングテーマを含むアルバム、『桑原あい×石若駿Dear Family』をリリースした他、『機動戦士ガンダムサンダーボルト』、任天堂ゲーム用ソフト『スプラトゥーン2』にも参加するなど、活動はますます多岐にわたっている。

そして2018年8月にはユニバーサルミュージックに移籍して、オリジナルアルバム『To The End Of This World』をリリースする予定だ。

桑原はデビュー直後から「私は自分の中に生まれる概念や作品を大切にしたいと思っています」と、音楽を重視して異なる顔ぶれでも出来るようにと、トリオ・プロジェクトと名乗ってきたのだが、このアルバムではザ・プロジェクトになった。
これまでのトリオという枠からも自由になって、LAジャズシーンを牽引するサックス奏者のベン・ウェンデルを筆頭に、内外のミュージシャンやラッパーがゲスト参加したほか、チェロの徳澤青弦が率いるカルテットなども共演している。

さらには歌人で劇作家の寺山修司による詩「悲しくなったときは」を桑原が英語詞にし、曲をつけた「When you feel sad」を歌っているのが注目の女性シンガー、吉田沙良(ものんくる)だということもあって、否が応でも期待がふくらんでくる。

桑原あい×石若 駿の楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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