佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 56

Column

日本の音楽シーンに革新的なプロダクトを生み出し続けてきたアートディレクター、信藤三雄の全仕事

日本の音楽シーンに革新的なプロダクトを生み出し続けてきたアートディレクター、信藤三雄の全仕事

1948年に東京で生まれた信藤三雄はアートディレクターや映像ディレクター、フォトグラファー、書道家、映画監督など様々な肩書きを持つ表現者である。特に広く知られているのは音楽の仕事で、これまでに1000枚以上にものぼるCDを手がけている。

松任谷由実、高橋幸宏、矢野顕子、ピチカートファイヴ、フリッパーズギター、コーネリアス、オリジナル・ラブ、サザンオールスターズ、Mr.Children、MISIAなど、日本の音楽シーンをリードしてきた数多くのミュージシャンのCDジャケットやポスターで、ヴィジュアルによる鮮烈なイメージを創造し続けてきて現在に至っている。

そんな信藤さんの膨大な数の作品と出会えるのが、東京の世田谷文学館で開催されている「ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ」である。

展示会場に入るとすぐに、カラフルで大きなパネルが出迎えてくれる。
1980年代から始まった初期の作品から最新の仕事まで、奥に進んでいくにしたがってポスター、レコード、CD、写真、映像など1000点以上の信藤作品に、順に出会えるという仕組みになっていた。

なかでも印象的だったのは全面の壁を埋め尽くしていたポスター群で、とりわけMr.Childrenのアルバム『深海』は、2018年の日本だからこそあらためて強く印象に残るものだと、かなりの衝撃を受けた。

信藤さんは雑誌『カーサ ブルータス』2018年8月号のインタビューで、この作品についてこんなことを語っていた。

Mr.Childrenの作品を進めている最中、桜井(和寿)くんが「ウォーホルの電気椅子が好きだ」と言うから、気になっていて。その後『深海』というタイトルになったと聞いたんで、最初は椅子を海に沈めようかと思ったんだけど、潮の流れや透明度の問題もあって難しい。だから、黒く大きなテントを張り、天井部に小さな穴を開けて光が射すようにしようと思ったんだけど、それも叶わず。スタジオにセットを組んだんです。

『深海』にはどことなく死の影が降りているような、重苦しい暗鬱さをずっと感じていたが、そのイメージの原点にアンディ・ウォーホルの「電気椅子」があったことを、ぼくは初めて知ることになったのだ。

それはこの内覧会を観に行く数日前に、オウム真理教の事件で死刑が確定していた7人に対して、刑が執行されたことと無関係ではなかった。

ところで死の影といえば、この回顧展のタイトルを「ビーマイベイビー」としたことについて、信藤さんが1年前にひらめいたときのことを、自ら手書きの文書で明らかにしていた。
1963年から64年にかけて大ヒットしたロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」から、アイデアが降ってきたかのように思いついたという。

とにかくPhill SpectorとRonettsの作った大名曲ですからねーー良いのやら悪いのやら、全然、確信が持てずにいて、…。 しかししばらくしてYouTubeで、この名曲の彼らのレコーディング風景とか、キラキラした愛くるしい映像を観てると何だか僕の身体にBe My Babyが馴じんできました。

信藤さんはそのことについて、フィル・スペクターやロネッツが持っている物語性や、その時代の変化、形あるものはひとつのところにとどまれないことなどが、諸行無常という思いなどとともに今回のレトロスペクティブと共鳴すると思えてきたという。

そして実際に制作していく段階にはいってから、実はBe My Baby からカタカナの「ビーマイベイビー」へと変化していくことになる。
そのひとつのヒントが、加賀まりこが主演して1964年に公開の映画『乾いた花』(監督・篠田正浩)のタイトル文字、テロップ文字があまりに美しかったからだったと述べていた。

その文字のひとつが死という形でした。死の右側の「匕」をベースに、カタカナのビーマイベイビーを作ってきました。

信藤さんは「死」という漢字からインスパイアされたカタカナのロゴを、各アーティストの写真の上に置いてみたという。
そして「ビーマイベイビー」という言葉に対して、各々のアーティストが意味を持ち始めて、化学変化を起こすのを確認して、このように文章を締めくくっていたのだった。

いったい”ビーマイベイビー”は誰に向けて言っているのか…?
ビーマイベイビー / BE MY BABYというフレーズには確かに魔法があります。

会場を訪れて膨大な数の作品を順に見ていくうちに、ぼくは宇多田ヒカル、エレファントカシマシ、クレイジーケンバンド、AKB48などにまで信藤さんの作品があって、しかも今でも現在進行系で生み出されていることにも気付かされた。

数は少ないのだが、多くのポスターとCDのなかには、ぼくがデザインを依頼した作品もいくつか並んでいた。
展示の最後には映像作品が視聴できるコーナーがあって、2003年にリリー・フランキーの脚本を監督した、24分の短編映画『男女7人蕎麦物語』を椅子に座って、ゆっくり楽しむことが出来た。

噂は耳にしていたが観る機会がなかった作品に、意外なところで遭遇した感じで実に特をした気持ちになった。
亡くなってしまった作家で、シャンソン歌手の戸川昌子さんがとても懐かしかった。

7月14日から始まった『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』は、9月17日まで続くので少し涼しくなったら、また足を運んでみようと思っている。

撮影 / 鈴木渉、佐藤剛

『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』オフィシャルサイト

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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