黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 19

Interview

ダービースタリオン 薗部 博之氏(上)ゲーム作りに出会うまで

ダービースタリオン 薗部 博之氏(上)ゲーム作りに出会うまで

プログラミング費用は原稿料というかたちでもらっていました

それで、どうされたんですか?

薗部 FM-7を買ったときにデモソフトみたいなのが入ったカセットテープが付いていまして、そのソフトのスクロールしている部分を抽出したんです。その部分はマシン語だからダンプリスト(注12)がありますよね。で、ここに何か入れると、どのくらいスクロールするみたいなことを解析したわけです。でも、そのプログラムのどこからどこまでがスクロールの部分なのか全然分からなくて、かなり適当でした。じつは、あの頃はプログラムが雑誌に載るとページ単位でお金をもらえたんですよ。

注12:コンピューター内に記憶された内容をモニターなどに出力したもの。16進数で表現されたデータの羅列であるため、雑誌に掲載されているダンプリストを打ち込んだ際、必ずといっていいほど最初は打ち込みミスでエラーとなり、何度もリストを見直すことになるのが常であった。

プログラムがページいくらですか。

薗部 最初は原稿料っていうかたちでもらっていましたからね。だから、長ければ長いほど、お金をもらえるシステムだったんです。それで、どうせ分かんないだろうと思って、そのデモソフトから適当にダンプリストをパクったんですけど、明らかに長いわけですよ。どう考えてもスクロールだけで、そんなにダンプリストが必要なわけはないんです。ダンプリストだけで3ページぐらいになっていましたから。

でも、その方がもらえるお金は多いと。

薗部 プログラムは短いほうがいいに決まっているのに、長いほうがいっぱいお金がもらえるって、おかしいだろうってね、アハハハ。

おかしいですよね(笑)。長いことアルバイトだったというのを他のインタビューで読んだのですが、やはりそうだったのでしょうか。

薗部 『タンクバトル』が雑誌に載って、それが縁でアルバイトっていう形になったんですけど、バイトらしきことは一切やっていませんでした。編集部に行くと晩飯が出るので、一食浮くなと思って夜だけ行っていましたが、行っても何もしないんですよ。

ほんとに何もしていなかったんですか?

薗部 なんにもしてないです。座ってゲームをやるぐらいなもんです。それで、確か時給が500円。アスキーがまだ景気が良かった時代の話です。その頃は大学4年生になっていたので、バイトだったのは1年ぐらいですね。

漠然と、野球ゲームを作りたいと思っていた

では、就職活動をしようとはとくに思わず、そのままアスキーに入ってしまおうみたいな気持ちがあったわけですか。

薗部 いや、ちょっと単位があやしかったんで、留年の可能性もあったんですよ。それで、理工の卒業研究は2人組でやるんですけど、僕はもう留年でいいやみたいな感じで、全然何もしていなかったんです。でも、僕と組んだヤツは、ちゃんと目的を持って大学に来た人で、すでに地元の会社への就職も決まっていたんですね。絶対に卒業しなきゃいけないということで、ものすごい頑張ってくれまして。その彼のおかげで、なんとか卒業できたんですけど、そういう状況だったので就職活動を全然していなかったんです。それで、アスキーに入れてくれって話をして入社試験を受けて。だから、新卒で入ったんですよ。

その頃、すでにパソコンやゲームやプログラムで生きていこうみたいな考えはあったのでしょうか。

薗部 コンピューターに出会う前は、オモチャとかを作りたいなっていうのはありました。子供の漠然とした思いですが、野球ゲームを作りたかったんです。中学生の頃から野球ゲームを作って遊んでいたんですけど、ゲームそのものはどうでもよかったんですね。6人集めてペナントレースをやって、それを全部記録するっていうのが楽しくて。まだ電卓もない頃ですけど、毎日打率を計算して誰々が首位打者とか、そういうのを記録するのが好きだったんです。

野球の勝ち負けよりもデータが構築されていくことが楽しいと。

薗部 ゲーム自体はたいしたものではなくて、野球盤みたいにボールを弾いて、ここに止まったら二塁打とかそういうものです。でも、その結果を記録して残すのが楽しくて。だから電卓が出たときは、これで計算が楽になるなと思いました。

なるほど。それで、野球ゲームを作ることになるわけですか。

薗部 そうですね、『ベストナインプロ野球』(注13)。野球ゲームをいつか作りたいなとは思っていましたけど、テレビモニターで遊ぶなんてことは子供の頃は考えもしなかったです。野球盤が将来進化したら、すごいゲームになるんじゃないか、みたいなことは想像していましたけどね。

注13:『ベストプレープロ野球』の前身。1985年にアスキーよりFM-7用ソフトとして発売された。

確かに、テレビを見るもの以外に使おうなんて発想はまだなかったですよね。

薗部 そうですね。それで、もしかしたら、パソコンで作れるかもしれない。こういう形で子供のときの夢が実現できるかもしれないと思ったんです。


続きは第2回インタビューへ
8月14日(火)公開予定

ダービースタリオン 薗部 博之氏(中)ベスプレ、ダビスタ誕生秘話

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2018.08.14

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

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