横川良明の演劇コラム「本日は休演日」  vol. 6

Column

『アンナ・クリスティ』が描いた、女性を「物」扱いする社会への怒り

『アンナ・クリスティ』が描いた、女性を「物」扱いする社会への怒り
今月の1本 舞台『アンナ・クリスティ』

ライター・横川良明がふれた作品の中から、気になる1本をチョイス。独断と偏見に基づき、作品の魅力を解説するこのコーナー。今月は、女優・篠原涼子の13年ぶりの舞台出演作品となった『アンナ・クリスティ』をピックアップ。97年前に書かれた海外戯曲から見る日本の現状と、映像系の俳優が舞台に立つプレミア感について語り尽くします。

文 / 横川良明

私は、誰の「物」でもない。こだまするアンナの叫び

東京医科大が医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていた……というニュースが世間を騒がせている。最初に一報を聞いたとき、にわかに信じがたかった。この21世紀の日本でそんな露骨な女性差別が残っていることに言葉を失ったのだ。だが、そのすぐあとに気づく。これは何も医療の現場に限ったことではない、と。多くの就労現場で厳然として男性優遇は存在する。ただ、(少なくとも僕は)それに気づかないふりをしていただけに過ぎない。女性というだけで男性の下に置かれ、意志や尊厳を無視される。女性たちは、ずっと不当な差別と戦ってきた。それは、100年前から今も、まるで変わっていないのかもれない。

この『アンナ・クリスティ』が発表されたのは1921年。今から97年前のことだ。作者は、ノーベル文学賞受賞作家であるユージン・オニール氏。あらすじだけ読めば、運命の出会いを果たした男女のラブロマンスだ。けれど、東京医科大のニュースにふれ、改めてこの作品について考えてみると、自らを虐げてきた男性たちと社会に対するアンナの反骨の言葉が甦ってくる。

篠原涼子が演じるアンナは、孤独の中を生きた20歳の女性だ。父親のクリス(たかお鷹)は石炭船の船長。一度海に出れば、陸にはなかなか帰ってこられない。最後に会ったのは、もう15年も前のこと。親戚一家に預けられたアンナは、そこで虐待を受け、やがて娼婦となり、身も心も深い傷を負っていた。

ボロボロになった心身を癒すため、アンナは15年ぶりに父・クリスのもとへ。父の船で新たな生活を始めた矢先、マット(佐藤隆太)と出会う。たくましく情熱的なマットと恋に落ちるアンナ。大事な娘が船乗りと交際することにクリスは反対するが、若いふたりにとって、周囲の反対は恋の炎を燃え上がらせる薪のようなもの。マットはついにアンナにプロポーズしようと決意する。

しかし、そんな洋々たる恋の航路に突如分厚い霧が覆いかぶさる。その霧の正体は、アンナの過去。アンナが娼婦であったことを、マットも、そして父のクリスも知らなかった。封印された過去が明るみに出たとき、三者の関係は大きく狂いはじめる。マットは激昂し、アンナを罵倒。そしてクリスはこんな娘と結婚してくれる相手はもういないとばかりに、マットに娘をもらってくれと懇願する。

まるで狂った方位磁石のように、突如反転した立場関係の中で、アンナはやがて激しい怒りの渦巻きをつくり出していく。ここからが本作の見せ場だ。

アンナは、ずっと「物」としてしか扱われてこなかった。親戚の家に預けたきり、連絡ひつとよこさなかった父。自らを性欲のはけ口としか見ていない男たち。ようやく愛してくれる男性にめぐり会えたと思ったら、その男さえもが自分を「所有物」のように振る舞う。

私は、誰の「物」でもない。自分を抑圧するすべてのものに、アンナは高々と啖呵を切る。その言葉が、「女性活躍」という輝かしいスローガンが飛び交う現代社会を痛烈に斬る。

97年後の未来で変わったもの、変わらないもの

オニールがこの作品を発表してから100年近い時が流れたが、当時と今で何が変わったのだろうか。もちろん機会の平等という面では比較にならないほど進歩した。けれど、「世間体」という皮を1枚剥げば、本質はそんなに変わっていないのかもしれない。

女性が男性に意見すれば「生意気」だと敬遠され、少しでも感情をあらわにすれば「ヒステリー」だと嗤われる。自分の本心をぶちまけるアンナに対する、マットの疎ましそうな態度は、いかにもマチズモな男性の女性観が透けて見えて、しかもそれがまったく旧時代的ではなく、周囲を見渡せば、いくらでもマット的な男性がいることに、寒々しい想いがする。

三者の関係は、最終的に一応のハッピーエンドを迎える。けれど、それがちっとも晴れやかに見えないのは、アンナを苦しめる構造そのものは何ら解決されていないからだろう。マットはとても改心したように見えないし、きっとアンナはまた自分を搾取と支配の対象としか見ていない男性社会とぶつかることになる。依然、幸せは霧の中だ。

もしもアンナが件の東京医科大のニュースを見たら、何を思うのだろうか。望まない性暴力やセクシャルハラスメントが絶えない現代を、これが97年後の未来だよと、誰がアンナに言えるのだろうか。

演劇は、社会を映す鏡だ。97年も前に書かれた言葉が今なお痛烈な主張を秘めていることに、現代社会が抱える問題の根源が暗示されていた。

強い女の代名詞・篠原涼子が舞台だから見せる“やさぐれ”ヒロイン

主人公のアンナを演じる篠原涼子は、『ハムレット』、『天保十二年のシェイクスピア』に続く3本目の舞台出演。数々のヒット作を持つ人気女優だが、映像で見る印象とは随分違った。いや、むしろ久しぶりに彼女らしい持ち味が光った作品だったと伝えたい。

もともと篠原涼子の女優としての魅力は、いい意味で“やさぐれ”感にあると思っている。初期作品を例に挙げると、『ナニワ金融道2』では風俗嬢に身を落とすことになったOLを、『ギフト』ではアウトローな世界を生きるちょっと頭の軽い女の子を、『きらきらひかる』ではモグリの賭博場で換金係をさせられている裏社会の女性を、『危険な関係』では知的で有能だが、ステータスに弱い秘書を、そして『北条時宗』では息子を溺愛するあまり暴走する側室を好演。

当初は歌手あるいはバラエティの印象が強かった彼女が、作品に華とアクセントをもたらす名バイプレイヤーとして評価を高めていったのは、ひとえにあの目の強さと少し鼻にかかった声にある。今でこそメイクも柔らかい印象だが、若い頃の彼女はアイメイクも少しキツめで、それが画面によく映えた。甘い鼻声も、“やさぐれ”感に欠かせない幼さや脆さを表すのにぴったりだった。

だが、『anego』以降、仕事のできる強い女というパブリックイメージが定着。以降、こうした「篠原涼子」的いい女像を自ら上書き更新していくような役どころが続いた。もちろんそんな篠原涼子も魅力的だが、役者としての引き出しの多さを知っている身としては歯がゆい想いがあったのも事実。そんな中、13年ぶりに立った舞台での“やさぐれ女”ぶりは新境地開拓どころか、むしろ原点回帰の感すらあった。

映像が主戦場の俳優が舞台に立つときに嬉しいのが、ドラマだとなかなか見られない、ちょっと挑戦的な役柄が楽しめるところだ。それは今回の篠原涼子だけに限らず、三浦春馬が『キンキーブーツ』で演じたドラァグクイーンもそうだし、映画化までされた松坂桃李の『娼年』も発端は舞台。ほぼ全編セックスシーンという衝撃作を堂々と演じ切り、俳優として一段上のステージに抜けた。

制約の多いドラマでは、ある程度、正統派の役柄を求められるのは仕方のないこと。だからこそ、大胆な挑戦ができるのが舞台の醍醐味でもある。今回の篠原も、連ドラでおなじみのヒロイン像とは違うアンダーグラウンドな役どころにイキイキと輝いているように見えた。舞台と言うと敷居が高いと敬遠してしまう人も、その高い敷居の先には生の舞台でしか見られないレアな光景があることを知ってほしい。もし好きな俳優の舞台出演が決まったら、迷わずチケットを獲ってみるべし。そのチケットは、あなたがまだ知らない俳優の一面にふれる“プレミアチケット”になるかもしれない。

舞台『アンナ・クリスティ』

東京公演:2018年7月13日(金)~7月29日(日)@よみうり大手町ホール
大阪公演:2018年8月3日(金)~8月5日(日)@梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

作:ユージン・オニール
翻訳:徐賀世子
演出:栗山民也
出演:篠原涼子、佐藤隆太、たかお鷹、立石涼子、原康義、福山康平、俵和也、吉田健悟

梅田芸術劇場『アンナ・クリスティ』

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