【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 86

Column

これからユーミンを聴くヒトに、『Delight Slight Light KISS』はお奨めです

これからユーミンを聴くヒトに、『Delight Slight Light KISS』はお奨めです

このコラムでは、以前やらせていただいたバイオグラフィ・インタビューから、たびたび引用させて頂いているわけだが、『ダイアモンドダストが消えぬまに』(1987年)から今回の『Delight Slight Light KISS』(1988年)のあたりというと、どんな状況だったのだろう。彼女のなかにハッキリあったのは、自分は“アルバム・アーティスト”であるという意識だ。

みんなが何を待っていてくれようと、何をやろうと、その中心になるのはいつもアルバムです。アルバムという石をポンと水面に投げて、そこから輪が広がっていくものなんです。私はいつも、雑誌を作るようにアルバムを作ろうと言っているんですけど、世の中のスピードは、どんどん早くなってるのは感じてましたね。許されるなら年に2枚作らないと追いつかない感じ
(月刊カドカワ1993年1月号)

実は70年代末から80年代前半にかけて、年に2枚のアルバムをリリースしていた時期もあった。ただ、その頃とは状況が違う。ミリオン・アーティストになったことで、自分の音楽が、急速に消費されるようにもなる。

音楽シーンを眺めると、CDの売り上げがレコードを抜いたのが、ちょうどこの頃、1987年から1988年にかけてだった。“雑誌を作るように”という発想は、それと無関係ではなさそうだ。レコードに較べ、手軽で扱いやすいのがCDであり、雰囲気も“雑誌”っぽいと言えなくもない。しかも“雑誌”なら、ガチガチのアルバム・コンセプトも不要だろう。ただ、このアルバムはLPでもリリースされているので、レコードで手にした人は、A面B面を意識しつつ聴いていたわけだ。

“アルバム・アーティスト”を実践したことで、この時期、シングル・リリースは少ない。1987年11月の「SWEET DREAMS」のあと、次のシングルは1989年の「ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU〜」。その次はなんと、1993年の「真夏の夜の夢」まで無いのである。あの曲が入っているからこのアルバム買いました、ではなく、みんなは彼女が、“石をポンと水面に投げてくれる”のを待っていたわけである。 

久しぶりに『Delight Slight Light KISS』を聴いたが、とてもバランスがいい、お奨めのアルバムである。明らかな“OLさんソング”が無いのも特色で、このあたり、より幅広い聴き手に門戸を開いたということかもしれない。「とこしえにGood Night(夜明けの色)」という、オールディーズ調の楽曲を、当時すごく好きだった自分を思い出した。最後に入っている「September Blue Moon」は、サンバのリズムの曲で、賑やかに終わっていくのも実にいい。

コンセプト的には“純愛三部作”の第二弾である。アルバム・タイトルに関連ありそうなのは「恋はNo-return」で、ノリのいいロック・チューンだが、歌詞に『Delight Slight Light KISS』ならぬ、[light KISS]という表現がある。そもそもこれは、どんなキスだろう。“light”というくらいなので、ブッチュ〜、ではなく、チュッ、みたいな感覚だろうか。でも、唇の接触時間や面積は少なくても、精神的な純度は高く、永遠にも思える凝縮した時間が詰まっていそうだ。ちなみに「恋はNo-return」の相手は、いきなりブッチュ〜へ導こうとする。しかし主人公はそれを制し、チュッからの始める恋を望む。

さきほど“雑誌”という言葉が出たが、そもそも“雑誌”というのは、購読する年齢層を設定すると、それより下の層がむさぼり読んだりするものだ。このアルバムにしても、当時は多くのティーンが、オトナの恋愛の指南書のように聴いていたのではと思う。

「ふってあげる」における指南は、実に高度である。この歌の場合、出会った段階では、主人公が相手を受け入れた形であり、その後、主人公はこの恋愛の成就のため、努力もする。しかし相手の心変わり…。もはや二人の心は距離を縮めることもなく、ジ・エンドは近づきつつも、相手の優柔不断さを知る主人公は、名誉ある撤退を選ぶのだ。

それがすなわち、実は気持ちとは裏腹な、「ふってあげる」。でも、なぜこれが名誉なのだろう。この恋愛経験が主人公にとって、尊いものだったからこそ、ここで撤退し、最低でも、楽しい想い出が繁った“心の陣地”だけは、守りたかったのだ。

落とせない名曲といえば、やはり「リフレインが叫んでる」だろう。ホント、凄い。さっき再び聴いてみたが、改めて凄かった。簡単に言うと、恋愛における「後悔は先に立たず」ということなのだが、それをユーミンが描くと、もっと深い意味、「僕たち」と「私達」(ともに歌詞より)の、魂と魂の邂逅の歌に聞こえる。

イントロのピアノのスタッカートからして緊張感があって、もはやこの部分だけでもドラマチックなのだけど、いきなりサビから歌い始める構成が、追い打ちをかける。全体が巧みな二重構造になっていて、表題の“リフレインが叫んでる”というのは、主人公が久しぶりに聴いてみた[すれきれたカセット]のなかに録音されていた音楽のこと。しかしあたかも、それが歌全体に乗り移ったかのように、[どうしてどうして]の実際のリフレインとも、シームレスで繋がっているように響くのだ。

“あの時、ああしておけば…”。この想いは、誰にだってある。“ああしておけば”の想いは、心のなかの痛覚を刺激する。この歌は、誰の胸にも眠るその感覚を呼び覚ます。だからみんなが共感する。

前回書けば良かったが、最後にちょっとしたエピソードを。僕がユーミンに初めてインタビューしたのは、『ダイアモンドダストが消えぬまに』の時だったと思う。インタビュー場所は、所属レコード会社の最上階の、リッパな応接セットのある部屋だった。話しているうちに思ったのは、ユーミンは和菓子の老舗「とらや」みたいな存在のヒトだなぁ、ということで、それを言ったら喜んでくれた。

別れ際、彼女は僕に、「私ってティンパン・アレー系に思われているんですかね?」と、逆に質問してきた。もしかしたら僕の口ぶりのどこかから、僕の中の“荒井由実時代への特別なシンパシー”のようなものが、こぼれ落ちていたのかもしれない。いや、おそらくそれは、質問ではなかったのだ。初めて現われた僕というインタビュアーの素性を、見事に言い当てたということだ。

次の取材の時(「MATTARI!」という企画作品についてだった)、「とらや」の羊羹を差し入れで持っていった。最初に撮影があり、袋を下げて取材場所に入っていくと、すぐにご本人が見つけてくれて、大いにウケてくれた。ただ、「とらや」ってあんな高いって知らなかった。自腹を切ったのが痛かった。

文 / 小貫信昭
写真提供 / EMI Records

UNIVERSAL MUSIC STORE
https://yuming.co.jp/discography/album/original20/

オフィシャルサイトhttps://yuming.co.jp

その他の(荒井由実)松任谷由実の作品はこちらへ

vol.85
vol.86
vol.87