【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 88

Column

松任谷由実 “ドア”の施錠が解き放たれ、音楽シーンの“前提”が変わった。

松任谷由実 “ドア”の施錠が解き放たれ、音楽シーンの“前提”が変わった。

いま、机の上に『LOVE WARS』と『天国のドア』のCDがある。あと僅かで200万枚だった前者と、ついに200万枚を突破した後者。ふだん、僕は音楽を“産業”として意識することはないので、これまでもチャートや売り上げに関しては特に記述しなかったが、今回だけは別だ。数字にこだわりたい。

というのも、ユーミンが“開かずのドア”の施錠を解き放った瞬間、音楽シーンの“前提”が変わったからだ。ダブル・ミリオンの、さらにその先のトリプル・ミリオン(300万枚)も、この後は珍しくなくなる。「そんなこと有り得ない」と「それもあり得る」はまったく違う。陸上の100メートルで、10秒の壁を破る前と、ひとたび破った後の状態にも、どこか似てるかもしれない。

前のアルバムの時に、もう少しで“きりのいい数字”ってところまで来てたから、もしさらに行ける可能性があるなら、“一生懸命プロモーションしよう”って感じでしたね。同時にエキセントリックにもなってたんです。“この際、行っちゃえ!”って(笑)
(月刊カドカワ 1993年1月号)

かつて僕が取材させていただいたユーミンの回想でも、有り得ないと思われていたことを実現する際の、特別な精神状態が語られている。しかし彼女は、それと同時に客観的でもあった。時代に選ばれしこのスペシャルな立場に、ただ浮かれていたわけじゃなかった。

数字って(中略)、予想外の効果を持って一人歩きすることもあるんです。もしそれが止めようもないものなら、こちらとしてはそれに見合ったクリエイティヴをやるしかない、という気分でもあったんです。ここで悪いもの出したら、自爆するのはわかってた。
(引用は、同)

素晴らしい。さすが“恋の任侠”の切った張った(前回アルバムのテーマ)も乗り越えてきただけの腹の据わり方である。

パリ・ダカ・ラリーが『ダイアモンドダストが消えぬまに』に影響を与えたように、今回も、ある旅が関係している。1990年8月に、ソビエト・バイコヌール基地にソユーズの打ち上げを見に行ったのである。『天国のドア』のラストを飾る「SAVE OUR SHIP」は、その関連番組のテーマ・ソングである。ただ、ソユーズが天空へと昇ったから“天国のドア”なのか、といえば、その解釈はいささか短絡的かもしれない。

打ち上げを見て帰国したユーミンから聞いた話で覚えているのは、音のことである。その場所でしか聞けない、その瞬間、地球の質量全体を体感してしまうかのような、地鳴りのような音。それはショッキングな出来事でもあったろう。十代の頃、母校の教会で、初めてパイプオルガンの音に包まれた時に似たもの(音質の類似ではなく、その時のエクスタシー感)かもしれない。

200万枚もの出荷が可能だったから実現できたのが、CDジャケットの特別仕様だ。『天国のドア』には、分割されたシートレンズが封入されていて、乗せて回すとジャケットのユーミンがくるくる回る仕掛けである(ただ僕は、聴く前に毎回くるくるやってたわけじゃなかったけど…)。実は前作『LOVE WARS』は、ジャケット部分がぶ厚いビニールで出来た3D加工になっていた。あれも驚いたがこれも驚いた。

思えば『YUMING BRAND』(1976年)というベストが出た際には、ジャケットに青と赤のセロファンを貼った“3Dメガネ”が付属していた。時を経て、彼女の想いが理想に近い形で実現したのかもしれない。確かマイケル・ジャクソンが、この時期のユーミンのジャケットを知って悔しがった、という話を耳にした記憶もあるのだが、噂の範疇、ということでひとつ…。

大衆に受け入れられたからこそ200万枚を達成した『天国のドア』を、改めて「解説する」のはヤボな行為である(そもそも解説が必要なものが、そんなに受け入れられるわけがない)。でも改めて、このアルバムの魅力を探るなら、ひとつのキーワードに行き着く。さきほど引用させていただいたユーミンの発言にも“この際、行っちゃえ!”というのがあったが、まさに『天国のドア』には、“イッちゃってる”感覚があるのだ。エクスタシー満載である。しかしそれは、広義に言えば“生きてる実感”ということでもある。

アルバム冒頭の 「Miss BROADCAST」が、まさにそうだろう。ここに登場するニュース番組の女性キャスターは、刻々と変化する世界の情勢を、秒単位で把握・整理し、自らの口から報道する立場にある。このアルバムがリリース時期からいって、このキャスターはおそらく、久米宏とのコンビで「ニュースステ−ション」を切り盛りしていた小宮悦子あたりを想像させる。しかしこの職業、世の中の真実を伝えるという、その職責の重さの裏返しとしてのエクスタシーも、きっと多い立場だろう。

そしてもちろん、アルバムで最重要なのはタイトル・ソングの「天国のドア」である。ジェット・コースターに乗る男女の様子を描写する。日常では味わえないG(重力加速度)が掛かり、そこから得られるスリルが“生きてる実感”へ繋がるのがジェット・コースターの魅力だが、この歌ではそこに、性愛をダブル・ミーニングしている。その際、表現はけっこうあからさま、にも受け取れる。男女のセックスそのものを描いているとも言えるのだ。“この際、行っちゃえ!”、というのは、このことだったのかもしれない。

「天国のドア」の歌詞のなかで、一番重要なのは[もっと]である。もっともっともっと…。主人公は相手に対し、せがみ続ける。やがて歌は、無限の螺旋を上がり昇天していくのだが、その熱狂が終わり、次の曲、「SAVE OUR SHIP」が始まる。前の曲で接近遭遇した魂と魂が、ここでは離れ離れである。この2曲の並べ方は、ひれ伏したくなるほどにドラマチックだ。

いまの季節を意識するなら、「残暑」という人気曲も入っている。もともと麗美に提供した作品だけど、ほかにもユーミンは、「ノーサイド」「霧雨で見えない」「青春のリグレット」といった作品を、彼女に提供している(もちろん自分でも歌っている)。どれも名曲である。もともと麗美というアーティストは、松任谷夫婦の肝いりでデビューしている。だからユーミンとしても、“三親等以内の親族”に曲を書くくらいの意識だったから、名曲率が高かったのかもしれない(と、書きつつ、“あかの他人”にもユーミンは名曲を書いてるけど…)。

「残暑」を聴いて、この歌の世界観を“着心地良い”ものとして受け止めてしまうのは、ここに描かれるような恋愛経験などなくても、「残暑というのは夏のようでいて実質的には秋なんだよなぁ」ということを、みんなが知ってるからだろう。この場合、肌にまとわりつくものはまだ夏だけど、見上げる先の視界は、すっかり秋なのだった。でもこれ書いてる時点ではまだまだ暑い。本当に来るのか、今年の秋!?

文 / 小貫信昭
写真提供 / EMI Records

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