Interview

須澤紀信 気鋭のシンガーソングライターは『半径50センチ』というアルバム・タイトルにどんな思いを込めたのか?

須澤紀信 気鋭のシンガーソングライターは『半径50センチ』というアルバム・タイトルにどんな思いを込めたのか?

昨年秋のデビュー以来、各地のラジオ局で好調にエアプレイを伸ばしている、注目のシンガーソングライターだ。「プロを目指していた野球少年が、挫折を経て、全寮制の高校で音楽に出会い…」というプロフィールも話題だが、届けられた1stアルバム『半径50センチ』では、その歌声の魅力と歌詞の世界の広がりを確認できる。
ここでは、音楽と出会うまでのいきさつから始めて、音楽を仕事にすることを志した彼が初めてのアルバムにどんな思いを込めたかというところまでをじっくり語ってもらった。

取材・文 / 兼田達矢 撮影 / 鈴木圭

いろんな人の曲をコピーしてみたら、“みんな同じようなコード進行で歌が進んでいくな”ということに気づいたんです。

アルバムの1曲目に「ユニフォーム」という曲がありますが、プロフィールを拝見すると、あれは野球のユニフォームということになりますか。

須澤 そうですね。学生時代に熱中していたものということで。いまでも思い出すことがありますから。本当に、野球ばかりやってました。プロになりたいとまで思いましたから。

でも、高校に入って野球をやめてしまったそうですね。

須澤 地元の高校で、すごい名門というわけでもなかったんですが、野球をやる環境がすごくいいなと思って行ったんです。でも、中学までの野球と違って高校になると上下関係がより厳しくなったりしますよね。まさにそういう部分でうまく馴染めなくて、純粋に野球を楽しみたくて入った僕としては“ちょっと余計なことが多いな、このまま続けていると野球を嫌いになっちゃうな”と思ったんです。正直、野球をやめるという決断はすごく怖かったですが、しょうがないなあみたいな感じで1年の夏くらいにはやめてしまい、高校自体も野球をやりたくて行った学校でしたから、そこもやめてしまって宙ぶらりんな状態になりました。幸い、島根にある全寮制の高校の試験に合格して、次の年の春に入学することになるんですけど。

その学校に入ると、すぐに音楽に向かっていくんですか。

須澤 そこは、島根の山の上にあって、3学年で60人くらいしか生徒がいないという小さな高校です。男女共学だけど恋愛は禁止で、携帯もダメ。寮にはテレビもないっていう。人対人を大事にする教育方針の学校で、生徒たちは何をして遊んでいるかと言えば、サッカーをしたりバスケットボールをしたり、あるいはギターを弾いたりしています。そういう環境に入ったばかりの時期に、ある先輩がギターを譲ってくれて、それとは別の先輩がゆずのギター譜を持ってたんですよ。ゆずは、家にいた頃に姉の影響で好きになってずっと聴いていたので、そのギター譜を見ながら譲ってもらったギターを弾き始めて、ゴールデンウィークが始まる前にはだいぶ弾けるようになってました。その上達のスピードに驚かれたのがうれしかったのを憶えています。

野球に向けられていたエネルギーを一気にもやし始めた感じですね。

須澤 もうひとつギターにのめり込んでいった理由があって、入学したときからギターを弾ける同級生がいたんです。ゆずが好きだった僕は、彼とユニットを組もうと思い、そのためには自分がギターを上手くなって歌えるようにならないといけないと、勝手に目標にしてやっていきました。彼と活動するようになると、学校自体は生徒がやろうと思えば特に何があるということがなくてもミニライブみたいなことはやれる環境だったので、二人でステージに立って歌うようになっていったんです。

自分で曲を作り始めたのは?

須澤 ギターを弾き始めて、わりとすぐの頃です。まずいろんな人の曲をコピーしてみたんですよ。そしたら、“みんな同じようなコード進行で歌が進んでいくな”ということに気づいて、こういうふうにコードを並べていくことで曲ができているんだろうと思い、それで自分でも作ってみようと思ったんです(笑)。とりあえずコードを並べて、そこに自分なりのメロディが浮かべば、それで作曲じゃないですか。そこに言葉を乗せていけば作詞ですし。そういうふうに、すごく簡単に考えていました。

それで、うまく曲が作れましたか。

須澤 自分のなかで“これはいい曲ができたな”と思ったことはあまりなくて、“どうなんだろう?”と思いながらまず相方に聞かせたりしてたんですけど、そういう曲を文化祭で歌ったら、聴いた人がすごくほめてくれたりして、それで“僕の曲はけっこういいんだ”みたいな(笑)、聴いた人に教えてもらうような感じでした。

世の中のプロを目指している人よりも何百歩も遅れていると思っていたので、まず知識を、と考えたんです。

曲を作って歌うことを続けたのは、それが気持ち良かったからですか。人に褒めてもらえるのが気持ち良かったからでしょうか。

須澤 曲を書いていくなかで、“ここは、こういう感じの表現なんだけど、この言葉じゃないな”ということがけっこうあるんです。そういうときに“これだ!”という言葉を“言葉の宇宙”から引っ張ってくることができたりすると、そこには大きな快感があって。そうやって作った曲を人に聴いてもらって、褒めてもらえるのも快感だし…。あるとき、僕が作った曲を僕が歌って、それを聴いた人が涙を流すという場面があったんですけど、それは僕のなかではすごく不思議な感覚だったんです。“そんなことが、それまでの僕の人生にあったかな? なかったよな”と思って。そんなふうに人を感動させられる「音楽」というものがすごいなと思ったんです。それで、もっと曲を書きたい、歌いたい、いろんな人に聴いてもらいたい、そしていろんな人と一緒に歌いたいという気持ちになっていきました。それから、僕の曲が文化祭のテーマ曲に選ばれて、文化祭の開会式、閉会式でみんなで一緒に歌うということがあったんですが、それは僕にとってすごく感動的なシーンで、そのときは僕が泣いちゃったんですけど(笑)。みんながすごくいい顔をして、僕の顔を歌ってくれるのがすごくうれしくて、“歌を歌っていきたいな”という気持ちがそこで決まったんだと思います。

歌を仕事にすると思い定めたわけですね。

須澤 自分の家が農家だったので、周りにサラリーマンみたいな人がいなくて…。だから、自分の未来像としてサラリーマンになるというイメージはなかったんですよ。しかも、自分の父親は僕が生まれる前にはサラリーマンをやってた時期もあるらしいんですが、自分でトマト農家になったので、そういうものなんだろうと思ってたんです。つまり、自分のやりたいことを仕事にしたいという気持ちがずっとあったので、歌を歌っていける才能がもしかしたら自分にはあるかもしれないと思ったときに、“じゃあ、音楽の勉強をしよう!”と思って、それで名古屋にある音楽の専門学校に行きました。

いきなりプロになる動きをするのではなく、その前にちゃんと勉強しようと思ったんですね。

須澤 高校3年間に自己流でいろいろ勉強してはいたんですけど、でもちゃんと習わないとなという気持ちがありまして。というか、自分は何も知らないなと思ったんです。高校時代は、マイクを使うことも許されていなかったので生声で歌っていましたし、ライブハウスというところでやったことはなかったですし。世の中のプロを目指している人よりも何百歩も遅れていると思っていたので、まず知識を、と考えたんです。

実際に、プロを目指している人たちと一緒に学校に通って、何がいちばん遅れていると感じましたか。

須澤 最初に、生徒同士が仲良くなるために「スタンド・バイ・ミー」をみんなで合わせたんですけど、僕はスピーカーから出てくるベースの音が衝撃だったりするわけですよ。でも、みんなはそういう音を平然と聴くわけですよね。僕は“ベースの低音がかっこいい!”とか“ドラムはああいうふうに叩くんだ”とか、そういう感じでしたから、まったく違う音楽の世界なんだなと思って。逆にアコギを持って歌う人は誰もいないんです。ボーカルはハンドマイクで歌ってるし、ギタリストはみんなエレキギターを持ってるっていう。“あれっ!?弾き語りするヤツがいないぞ”っていう(笑)。

プロになったなと実感したのは、あるお客さんが自分の結婚記念日に僕のライブを選んでくれた時ですね。

バンドをやることは考えなかったですか。

須澤 その専門学校での2年間は自分のスキルアップに充てようと思って、だから入学した時点ではバンドを組む気はまったくなかったです。それでも、1年の秋頃には仲良くなったギタリストに誘われてバンドを組んで、そのギタリストが作ってきた曲に僕が歌詞を乗せるというやり方で4ピース・バンドを始めました。

でも、あまり面白くなかった?

須澤 面白くなかったわけじゃないんですけど、それをやっているうちに“詞も曲も全部、自分で作った曲を歌いたい”という気持ちが強くなって、自分主導でバンドをやってみたいと思ったんです。それで、そのバンドは解散して、今度は自分でメンバーを集めてバンドを組んで、ソロと並行して活動していきました。そのバンドで“ヤマハミュージックレボリューション”に出場して、それがデビューにつながったので、いまから思うと、ずっと意固地にソロでやってたらどうなってただろう?とは思いますね。

音楽を仕事にしたいと実感した場面の話は聞きましたが、その須澤さんが“プロになったな”と実感したのはどんなタイミングでしたか。

須澤 それは…、あるお客さんが自分の結婚記念日に僕のライブを選んでくれた時ですね。福岡のラジオ局の招待ライブだったんですけど、お客さんのメッセージが集められていて、そのなかにそういうことが書かれていたんです。“そういう大事な日に選んでもらえるようなアーティストとして認めてもらえたんだなあ”と思ったんですよ。もちろん、シングルを出してデビューしたときもすごくうれしかったですけど、それでもデビューすることとプロになることは同じではないと思うんです。僕としては、そういうふうに誰かに認めてもらえる、その人の大切なタイミングで選んでもらえる存在になれたというのがプロなんじゃないかなと思うんですよね。

それはいつ頃の出来事ですか。

須澤 今年の2月ですね。

では、今回のアルバムを作り始める前の話ですね。

須澤 今回のアルバムにどんな曲を入れようか、みたいな話をしていた頃ですね。だから、そういう選んでもらえた、プロになったという気持ちを持ってアルバム作りに向かったと思います。

身近な世界の中で起きているいろいろな物語を全部ちゃんと受け取って大切にしたいという気持ちがあるんです。

アルバムを作り始めるときには、どんなことを考えましたか。

須澤 今の自分を包み隠さず、アルバムで届けたいなと思っていました。先に2枚シングルを出して、さっきの話のように、少しずつ僕を認知してもらえるようになって、そういう方々から“どういうアルバムを作るんだろう?”と多少なりとも期待してもらっていたんじゃないかと思うし、僕も受け取ってもらったときのことを想像したときに変な期待の裏切り方はしたくないなと思ったんです。だから、アルバムを作っていくなかでいちばん気をつけたことは、歌詞の1フレーズで誰かを傷つけるんじゃないか?とか、誤解させてしまって須澤紀信に幻滅してしまうことのないように、ということで、本当にギリギリの時点まで歌詞は考え抜きましたね。

自分のやりたいことをやるのが仕事だと思って音楽を仕事にし、その分野でプロになったなという実感を得て作り始めたアルバムだから、まずは自分が思うことを真っ直ぐに歌うということが中心になったと思いますが、でも一方で受け取り手に選んでもらえることの喜びを知った後では、より選んでもらえるようなものを作ろうという気持ちもはたらくと思います。その2つの気持ちがぶつかるような場面はなかったですか。

須澤 僕の作り方として、まずは自分の言いたいことばかりを書くんです。その上でスタッフのみなさんと「これは言い過ぎだね」とか「これはもっと言っちゃっていいんじゃない」とか、そういう相談をしながらやっていったんですよ。最初から自分の言いたいことと受け取り手に選んでもらえるようなこと、両方を考えながら書いていると中途半端になっちゃいますからね。相手が求めているものに寄り過ぎると、自分でなくてもいいことになってしまうし。求められているものをわかった上で、それを自分なりの表現として曲に落とし込んでいくという、その具合というのは…、ちゃんと落ち着くべきところにいいバランスで馴染んだ気がします。

須澤さんなりの表現ということについてもう少し具体的に聞きたいんですが、例えば「りんご」という曲と「はんぶんこ」という曲は、ひとつの物事をそれぞれ別の角度から歌った曲であるように感じました。

須澤 確かに、「はんぶんこ」の反対にあるのが「りんご」なんです。「はんぶんこ」は、自分が感じたものを誰かと共有して、二人で喜んだり悲しんだりできるのが人間だということを歌ってるんですが、それは明るい一面であって、逆に同じものを見たけれど僕とあなたはまったく違うものとして捉えているかもしれないし、相手のことをどんなに好きで、どんなに運命の人だと思っていても、すべてを分かり合っているわけではなく、あくまで僕らは別の個体であって、最終的には独りよがりになってしまうのかもしれないと歌っているのが「りんご」です。どっちが正解かという話ではないし、どっちがいい/悪いという話でもないですけど、同じ映画を見ても感動する場面が違っていて「いろんな視点があって、面白いよね」というふうに、自分を広げていく方向に外とつながりを持とうとしているのが「はんぶんこ」。閉じこもってしまうのが「りんご」というふうにも言えると思います。ただ、それも一人の人間のなかで“昨日は「りんご」的、今日は「はんぶんこ」的”ということもあると思うんです。

アルバム・タイトル『半径50センチ』は、そういうわかり合うことの難しさに対して、半径50センチの世界からいろいろな物事を考えるという選択をしたということでしょうか。

須澤 本当はというか、僕自身は遠い海の向こうのニュース、事件、テレビの中で報道されていること、いろんなものをどうにかしたい気持ちがあるんです。微力ながら、できることは何かないか?という気持ちはあるんですけど、でも今すぐにはなんとかなる話ではないし、手を伸ばしても届かない話でもあるし。そういう状況のなかで我に返って考えたときに、だったら自分がどうにかできる範囲で、海の向こうの出来事に対してやりたかったことをやればいいんじゃないかという気がして。このアルバムで歌っていることは日常生活のなかで起きた夢の始まり、恋の始まりや終わり、すべて身近な出来事なんですけど、その世界の中で起きているいろいろな物語は全部ないがしろにしたくないし、全部ちゃんと受け取って大切にしたいという気持ちがあるんです。その気持ちをアルバムにパッケージして、そのアルバムを聴いてくれた人がその人自身の周りのことを大切にしようと思ってくれれば、僕の半径50センチの世界で終わっていたことが、その人の世界とつながって広がっていくのではないかと思うんですよね。そういうことが繰り返されたら、僕がどうしようもなくて憂いていた誰かや何かの半径50センチにつながっていって、間接的にどうにかできるんじゃないかって。そういう気持ちを、そういう可能性を、その距離感をこのタイトルに込めています。

1stアルバムが世の中に出た感触はいかがですか。

須澤 店頭に並んでいるところをまだ見に行けてないので、並んでいるところを実際に見たら喜びもひとしおという感じになると思います。ただ、いまは僕のアカウントに、聴いてくださったみなさんからのメッセージが届いたりして、そこで実感できるので、とりあえずいまはホッとしています。「はい、もう後戻りはできないですよ」という感じもありますが(笑)。

1年後、来年の9月頃はどうしていると思いますか。

須澤 来年の9月…、またアルバムを出しているんじゃないですか。そうだったらいいなという願いでもありますけど、アルバムというのはアーティストとして活動していることの証明みたいなものでもあると思うので、いい曲を書いて新しい自分を届けていくということを毎年やっていきたいですよね。毎年アルバムを出して、10年後には47都道府県を全部まわれるようになっていたいです。

期待しています。ありがとうございました。

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ライブ情報

1stワンマンライブツアー2018

9月21日(金) 愛知・名古屋今池BL café
9月28日(金) 大阪・難波music bar SORa.
9月29日(土) 福岡・博多LIV LABO
10月8日(月) 東京・渋谷La.mama

須澤紀信

1991年2月27日生まれ。長野県松本市出身。
20代の葛藤を、儚げではあるが力強い歌声で歌うシンガーソングライター。少年時代は野球に没頭し、進学した地元の高校でも野球を続けたかったが、理由あって夢半ばで断念。恋愛も携帯電話も禁止という全寮制の学校へ転校することに。そこで先輩から譲り受けたアコースティックギターで初めて曲を作る。そこから彼の音楽人生は始まった。2017年10月4日、シングル「はんぶんこ」でデビュー。2018年1月24日、2ndシングル「ノイズ」をリリース。

オフィシャルサイトhttps://suzawakishin.com