横川良明の演劇コラム「本日は休演日」  vol. 7

Column

最後の1日、少年たちは野球をすることを選んだ。舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~

最後の1日、少年たちは野球をすることを選んだ。舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~
今月の1本 舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~

ライター・横川良明がふれた作品の中から、気になる1本をチョイス。独断と偏見に基づき、作品の魅力を解説するこのコーナー。今月は、舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~をピックアップ。数多くの2.5次元舞台を手がける西田大輔が全身全霊を傾けたオリジナル作品の魅力を語り尽くします。

文 / 横川良明

あの蝉時雨は、「生きていること」の証だった

劇場を出たとき、ふと幼い日に聴いた蝉時雨を思い出した。耳をつんざく蝉たちの大合唱。そうか、あれは「生きているぞ」と叫んでいたのか。わずか7日しか残されていない中で、「僕はここで生きている」ということを証明するために、蝉たちは身を震わせて鳴いていたのだ、と気づいた。

彼らにとっての生の証明は、きっと「野球をすること」だったのだろう。西田大輔が、1997年、自身の率いる劇団・ANDENDLESSで上演を試みようとしながら叶わなかった、構想21年、渾身の舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~。先日、その幕がついに下りた。

ド直球のタイトルが示す通り、本作はただ少年たちが野球をする物語だ。冒頭からラストシーンまで、ひとつの試合が続いていく。投げて、打って、走って、泥まみれになる。ただそれだけの2時間45分。

だが、ひとつはっきりと違うことがあるとすれば、それはこの試合が彼らにとって最後の試合であること。明日、少年たちは戦闘機に乗り、出撃する。戻ってくることは許されない。爆弾もろとも敵艦へ突っこむ決死の作戦――彼らは、特攻隊員だった。

出撃前日、少年たちには1日だけ、自由時間が許される。迫り来る最期を前にどう過ごすのか。彼らが望んだのは、「もう一度野球がしたい」という願い――彼らは、球児だったのだ。

平成最後の夏、伝統の全国高校野球選手権大会は記念すべき100回目を迎えた。夏の風物詩と言える同大会だが、同大会は過去に2度ほど甲子園のマウンドに試合開始のサイレンが鳴らない時期があった。1度目の中止は1918年、米騒動の煽りを受けて。そして2度目の中止は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて。甲子園の夢を奪われたこの空白の期間の中で、それでも野球を愛した少年たちの生き様を、西田大輔が小手先の技術に頼らずストレート一本で描いた。そこに笹川美和の『蝉時雨』など叙情的な音楽が重なることで、1944年の夏が舞台上に甦る。

描いているのは、悲しい「死」ではなく、眩しい「生」

本作がとりわけ胸を打つのは、「死」を前にした彼らの「生」があまにりも壮烈だから。劇中に登場する人物は、大人も、子どもも、みんな無我夢中で生きている。そして、みんな大切な人を守るためなら自己犠牲もいとわない。その生き様が、現代を生きる自分には眩しすぎて、瞼が熱くなる。

中でも心に残った何人かについて書かせてほしい。

ひとり目は伏ヶ丘商業学校の中堅手・菱沼力(小野塚勇人)だ。明日出撃だというのに、こんな試合はただの茶番劇だ。そう突っぱね、みんなが意気揚々と白球を追いかける中、ひとりくすんだ目をしている力。その投げやりな態度の裏側には、他の選手たちと違った事情があった。

彼は、朝鮮人なのだ。その出自ゆえ、予科練に入隊した後も上長から激しいリンチを受ける。日本人の血は流れていない少年が、明日、日本のために命を捨てる。彼の母国は、どこなのか。彼の誇りは、何に捧げられているのか。そんな葛藤を背負って、力は最後の1日を迎える。

自分の人生は何だったのか。自暴自棄に見えた力に再び本来のひたむきさを甦らせたのは、野球だった。仲間たちが輪になる中、ひとりそれには加わらず、背を向けていた力。その孤独な背中が、試合が進むにつれて躍動する。あんなにも早く試合を終わらせたがっていた力が、白いユニフォームを真っ黒にして白球に飛びつく。仲間のために勝ちたいと思うようになる。

なぜか。そこに仲間がいたからだ。彼の血は、確かに日本人ではないのかもしれない。だけど、その血には仲間と共に白球を追いかけた日々が息づいている。その血が、彼に走れと叫んでいる。その血が、彼に打てと訴えている。日本にも、朝鮮にも、居場所を得られなかった彼が見つけた「母国」に涙が溢れ出た。

天才も、凡人も、子どもも、大人も、みんな同じ夏を生き抜いた

試合を通じての成長という意味では、会沢商業学校の二塁手・早崎歩(白又敦)も忘れがたい。人生には、絶対に成果を出さなければならない場面がある。だけど、そのときに必ず成果を出せる人間ばかりではない。どんなに努力を積んだつもりでも、どんなに神様に祈っても、ミスをしてしまう人間も、いる。歩は、そちら側の人間だった。みんなと一緒にできる最後の試合。人生最後の野球。なのに、普段の練習でもしないような凡ミスを繰り返し、相手チームに3点も献上してしまう。

でも、そんなものだろう。みんながみんなヒーローになれるわけではない。私たちが覚えているのは、新聞の見出しに載るようなメジャーな選手だけ。その陰にどれだけの選手がいるのか。いや、そこに辿り着くまでの間に夢を諦めた人間がどれほどいるのか。神様は、いつだって無慈悲だ。

だからこそ、最後の最後で歩が放ったアーチは、爽快だった。あれは、運命という名の堅強な壁に開けた、小さな、小さな、風穴だった。

その明るさでチームを照らした会沢商業学校の中堅手・田村俊輔(松本岳)、聡明な佇まいが印象に残る伏ヶ丘商業学校の遊撃手・佐々木新(伊崎龍次郎)、記者を夢見た伏ヶ丘商業学校の三塁手・堂上秋之(松井勇歩)など名キャラクターを挙げれば紙幅がいくらあっても足りないが、グラウンドに立った少年たちだけでなく、それを見守る大人たちも素晴らしかった。

特に、野球のことは何も知らない海軍少尉・菊池勘三(林田航平)は、かくありたいと思える大人像だった。子どもたちの夢を守るために身を挺し、どんなときも笑顔を忘れない。菊池と歩の魂のダイアローグは、本作きっての名シーンだ。また、菊池と対照的な立場でありながら、根底にあるものは同じだった穂積大輔(村田洋二郎)の気迫と慈愛も、ドラマに奥行きをつくった。

みんな、みんな、生きていた。あの夏、あの場所で。「平成最後の夏」という言葉が氾濫した2018年の夏だったが、彼らを見ていると、そんな言葉が容易く口から出てくる自分がいかに平和ボケしているのか身にしみた。だって、来年また夏が来るかなんて誰にもわからないのだから。もしかしたら、この夏は「人生最後の夏」なのかもしれない。それだけの覚悟をもって自分の人生をまっとうできているのか。最後に舞い乱れた無数の野球帽が、彼らの命の眩しさを語っていた。

夏が終わりを迎え、そこかしこに蝉の死骸が落ちている。つい蝉を思うと、短い命というフレーズがついてくるが、それもまた思い上がりなのかもしれない。蝉はきっとあの7日間を短いなんて思って鳴いてはいない。ただ、自分の命を懸命に生きただけだ。

少年たちの人生もまた同じだ。これは可哀相な少年たちの物語なんかじゃない。ただ、大好きな野球を、大好きな仲間と、やり抜いた。本作は、戦争ものでも悲劇でもない。野球だ。野球の話だ。

舞台『野球』飛行機雲のホームラン

東京公演 2018年7月27日(金)~8月5日(日)@サンシャイン劇場
大阪公演 2018年8月25日(土)・26日(日)@梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ

作・演出:西田大輔
野球監修:桑田真澄
音楽:笹川美和
出演:安西慎太郎 / 多和田秀弥、永瀬匡、小野塚勇人、松本岳、白又敦、小西成弥、伊崎龍次郎、松井勇歩、永田聖一朗、林田航平、村田洋二郎、田中良子 / 内藤大希(友情出演、Wキャスト)、松田凌(友情出演、Wキャスト) / 藤木孝

※内藤大希は7月27日(金)~31日(火)の東京公演に出演。
※松田凌は8月1日(水)~5日(日)の東京公演、および25日(土)・26日(日)の大阪公演に出演。

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