Review

イアン・マッケランと「悪魔の楽器」

イアン・マッケランと「悪魔の楽器」

誕生からまもなく130年、今も絶大なる人気を誇る不世出の名探偵ホームズ。コナン・ドイルの“正典”以外の“二次創作(パスティーシュ)”も数多く存在するなか、死を前にした93歳のホームズが未解決事件に再び乗り出すという、驚きに満ちた物語が映画化された。
シャーロック・ホームズの「音」世界、ラストは英国の名優イアン・マッケランが挑む「悪魔の楽器」の謎!

現在公開中の映画『Mr. ホームズ』は、“年老いたホームズ”を描いたパスティーシュの名作『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』(ミッチ・カリン/駒月雅子訳、KADOKAWA刊)の映画化だ。
ロンドンのベイカー街を舞台に超人的な推理力を披露するホームズ(65歳)と、引退してサセックスの美しい田舎でミツバチと暮らすホームズ(93歳)を完璧に演じ分けたのは、『ロード・オブ・ザ・リング』や『X MEN』でもおなじみの英国俳優サー・イアン・マッケラン。
家政婦のモンロー夫人に『ラブ・アクチュアリー』のローラ・リニー、その息子でホームズの新たな名助手として活躍する少年ロジャーに天才子役マイロ・パーカー、謎の鍵となる日本人ウメザキに真田広之など、多彩なキャストが脇を固めている。とくにマイロ少年は、本作での利発で愛らしい存在感が大注目を浴び、ティム・バートン監督の最新作にも起用されたという注目株だ。

© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

©SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

物語は1947年のサセックスからはじまる。
海辺の家でミツバチの世話をしながら、一見穏やかな余生を送っているシャーロック・ホームズ。しかし彼には、死ぬ前にどうしても解かなければならない謎があった。
約30年前、助手にして親友のワトスンがホームズのもとを去った日、ある男から奇妙な調査依頼が舞い込んだ。彼の妻が夫に隠れて怪しげな音楽教室に通い、亡くなった子供たちとの“交信”にのめり込んでいるというのだ。ホームズの捜査があぶり出したのは、妻による夫の殺害計画だった。しかし、事態は思わぬ方向へと転がり、取り返しのつかない失敗を犯したホームズは引退に追い込まれる。
ある日、その事件の手記を、新しい家政婦マンロー夫人の息子、ロジャーが盗み読みしたことに気づくホームズ。少年の非凡な頭脳を察した彼は、そばにおいて事件や養蜂について教えていく。少年との日々はホームズに張り合いを与え、少しずつ過去の記憶がよみがえりはじめるが……。

© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

©SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

個人的には謎解きというより「老人と少年」の人間ドラマへの感動が大きく、深い余韻を味わえた作品だったが、回想のなかの颯爽としたホームズが挑む「悪魔の楽器」の謎、にも触れておきたい。
事件冒頭で、依頼人トーマス・ケルモットの妻のアンは、2度の流産のせいで深刻な鬱状態に陥り、気分転換に“アルモニカ”という楽器を習いだしたと語られている。そして教室に通い出してから、亡くなった子供たちと“会話”するという奇行に走り、すっかり人が変わってしまったというのだ。

© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

この“アルモニカ”という楽器、映画を観ていない方には想像しづらいかもしれない。
アルモニカとは、ゴブレットと呼ばれるガラス製の筒を回転させ、指を触れるときに生じる共鳴(ハーモニー)を使って音を出す楽器のこと。グラス・ハーモニカに近い澄んだ音に人々はこぞって夢中になり、1761年に発明されて以来、爆発的な人気があった。モーツァルトやベートーヴェンといった音楽家たちも作品を書いている。
アルモニカの音色は人々を魅了したが、一方、音色に夢中になった人の間ではうつ病、めまい、筋肉の痙攣の襲われる噂が広がった。実際に病院へ入院した人や、演奏中に死亡した子どもの話などが尾ひれをつけて広がり、「悪魔の楽器」と呼ばれるようになった。
実際、禁止令や流行の変化によって1919年当時には衰退していたはずの楽器だが、この来歴はミステリーにふさわしい(実際、ホームズと同じヴィクトリア朝ロンドンを舞台にしたゴシックアニメ『黒執事』で、アルモニカを知った人も多いのではないだろうか?)。
アルモニカで「亡くなった子供たちと“会話”する」というくだりも、心霊好きのコナン・ドイルがいかにも考えそうな設定。そんなはずはない、と最初から論理を信じるホームズの態度も含めて、「あるある」とほくそ笑んでしまう。
楽器の音色を利用した「あるある」演出、これぞパスティーシュの楽しみではないだろうか。

そしてなにより、人間ホームズを掘り下げていくこと。これもパスティーシュの醍醐味に違いない。
研ぎ澄まされた知性で有名だった名探偵が、年老いて身体も思うように動かなくなった今、なにを思うのか。おまけにホームズは、ワトスン博士、ハドソン夫人、兄のマイクロフト、レストレード警部といった仲間たちをすでに亡くし、一人とり残されている。新しい人間関係を築いていかなくてはならないが、限られた感情表現しかできない人間(『SHERLOCK シャーロック』的に言えば高機能社会不適合者)にとって、それはとても難しいことだ。ビル・コンドン監督はこの物語について分析する。
「人生最後のステージに入った時、自分を決定づける資質をなくしてしまったら人はどうなるのか。これは複雑で繊細な映画だ。(中略)もし人が限界を乗り越えてゆく方法を与えられたら、人はきっと人生で何か新しいことをやれるはずなんだ」

© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

©SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

自らの老いに戸惑い、傷つく本作のホームズは、最後の事件によってロンドンを追われた敗者でもある。喪失感を抱えながら生きている孤独な老人。そんなホームズが「新しい疑似家族」を得るまでの物語、それがこの映画の本質だと思う。
事件(仕事)がすべてで、私生活など顧みなかったホームズ。
彼がだれかのために泣き崩れる日がくるなんて――

いくつになっても、大切な人と出会うことはできる。だれかのために生きることもできる。やりたいことをやりきって「わが人生に悔いなし」、そんなふうに言い切れる人生を送りたいとあらためて思わされる秀作だ。

構成・文 / 高野麻衣

映画『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』

出演:イアン・マッケラン『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ/ローラ・リニー『ラブ・アクチュアリー』/マイロ・パーカー『スティールワールド』(未)/真田広之『ラスト サムライ』
監督:ビル・コンドン『ドリームガールズ』/原題:Mr.Holmes/2015年/イギリス、アメリカ/104分/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:アンゼたかし
配給:ギャガ
© SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

オフィシャルサイト gaga.ne.jp/holmes/