黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 20

Interview

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

プロを目指す自覚が芽生えた1年間になった

厳しいですね。

植松 厳しいですよねえ。ただ、そのバンドで1年頑張るっていうあたりから、だんだんプロを目指すっていう実感というか、自覚みたいなのが湧いてきたのかもしれませんね。

CM音楽の募集があって、そこに何度も何度も応募されたというエピソードも読んだことがあるんですけど、そういった活動も大学在学中にされていたんですか?

植松 大学2年のときに、その先輩に1年つき合わせてもらったんですよね。で、その頃に水道橋に鍵盤楽器を教えるキーボードスクールみたいなのができて、一緒のサークルで同じく鍵盤をやっていた仲間と、そこに習いにいくようになったんですよ。僕が知りたかったのは理論のほうだったんで、ジャズの理論をそこで教えてもらって。2年ぐらい習っていたんですけど、ある日先生に「植松君、もう十分理解できているよね。僕の代わりにここで教えない?」みたいなことを言われたんです。

ある日「アレ?」と気づくわけですよ。オレは何をやっているんだと(笑)

ええ、ええ。

植松 で、バイトを探していたし、ちょうどいいわと思って、大学3年ぐらいからそこで教えるようになったんですけど、これでなんとなく食えてしまったんですよね。それで、大学を卒業しても就職しないで、その音楽理論を教える仕事をして、稼ぎが足りないときは東急ハンズの配送とか他のアルバイトをして。それで食えちゃうもんだから、真剣さが足りなくなるわけですよ。プロを目指しているとかいいながら、適当にライブをやって、適当にデモテープを送って、「また今回も返事なかったわ~」みたいな。

なるほど。でも、いろいろなことをされていたんですね。

植松 いろいろやりましたよ。工事現場のトラックの誘導とか、熊谷組の受付で「はい、ここにお名前を書いてください」ってやるのとか、コーラのビンを一晩中眺めてキズが入ったビンを取り除くとか。

そんなこともされていたんですか!?

植松 要するに、現金が欲しかったんです。こういう仕事って、やったあとに即金で1万円もらえるんです。で、そういう仕事のひとつにシロアリの駆除のバイトがあったんですよ。毎日、人の家の軒下とかに入っていって「植松クン、ホース回して」「ハーイ」って。そんなことをやっていたんですけど、ある日「アレ?」と気づくわけですよ。オレは何をやっているんだと(笑)。

人の家の軒下で決心しましたよ。ホンットに、もうやめようと

そうですよね、確かに。

植松 そう。人の家の軒下で決心しましたよ。ホンットに、もうやめようと。バイトを全部やめて、音楽しかやらないことにしようと。で、当時は「日刊アルバイト情報」とか「フロムエー」とかのアルバイト求人雑誌を毎日見ていたんですけど、あるときそこにCM音楽制作の作曲家募集みたいなのがあったんです。

なんか音楽制作会社が作曲家を求めているっていう。そんな募集広告はめったにないんで、これにしがみついてやろうと思って毎日送り続けましたね。毎日毎日、昼間に作曲して、夜録音して、翌朝テープを送るっていう。これを1カ月半続けたら、その制作会社から電話がかかってきまして、「面倒臭いから会ってやる」って、ハハハハハ。

すごいですねえ。素晴らしいというか、すごい。

植松 音楽のことなんか、全然ほめてくれないですよ。お前は連絡しないとずうっと送ってくるつもりだろうとか言われて。それが24、5歳ぐらいでしたかね。

もう大学は卒業されたあとですよね。

植松 そうですね。だから、卒業して3,4年ぐらいはただのプーですよ。日活のポルノ映画の音楽とかもやっていましたけど、そんな仕事はコンスタントにないですもんね。

6月に仕事をしたあと、8月までずっとないみたいなことがあったわけですか。

植松 全然、ありますよ。

そうでしたか。こう言うと失礼ですけど、よく情熱が折れなかったですね。

植松 同じ年頃の、まだ諦めきれないヤツらがたくさんいたんですよ。音楽家を目指しているヤツ、作家になりたいヤツ、絵を描きたいヤツ、企画屋になりたいヤツ。そういうヤツらが日吉の僕のアパートに毎夜毎夜集まってね。

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