黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 20

Interview

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

日吉梁山泊、夢を語る人がたくさんいるから大丈夫・・・?

いわゆる日吉梁山泊(注13)ですよね。

注13:植松氏はこうした集まりを中国の歴史伝奇小説『水滸伝』で好漢たちが集結した地・梁山泊の名前にちなんで、このように呼んでいた。

植松 そうです、そうです。そこでああだこうだ芸術論を偉そうに戦わせていたっていう。そいつらがいたから、なんとなく、ね。ひとりだったら、多分ねえ……。

自分はそういう状態だけど、周りにも夢を語っているヤツがいるので、まだ大丈夫なんじゃないか、みたいなことを思われていたわけですか。

植松 大学時代からの音楽仲間にも、なんとかプロになりたいと思ってしがみついているヤツが3人ぐらいいましたしね。そういう仲間がいなかったら、やっぱりムリですよね。

坂口さんたちと出会われたのは、その頃ですか? グラフィックデザイナーのお知り合いがいらっしゃって、その方を介してっていう話を読んだことがありますけど。

植松 グラフィックデザイナーじゃなくて企画です。ある日、その日吉梁山泊に雪ノ浦(美樹)さん(注14)っていう女性がやってきて、誰かが「この人、ゲームを作っているんだよ」って。ゲームを作って仕事になるんだと。まだ、出始めの頃で、僕ら貧乏だったから、ファミコンの存在すらよく知りませんでしたけどね。『スーパーマリオブラザーズ』の音楽がオールナイトニッポンで流された時代ですね。

注14:草創期のスクウェアのメンバーのひとりで、『デス・トラップ』、『アルファ』、『クレオパトラの魔宝』などの初期スクウェア作品の開発にスタッフとして参加していた。

ああ~ありましたね。

植松 DJの人がレコードになってないって言っていましたから。レコードになっていないけど、コレいいから聞いてみ!ってゲーム機から録音してきたのを流したんですよ。ビックリしましたけどね。「ゲームの音楽を深夜放送で流す?」みたいな。

1曲5千円でやったのがスクウェアさんとの出会いですね

そのときはそう思われたんですか。

植松 当時はそんな風に思っていましたね。自分がその世界に入るとは思ってもなかったです。そのぐらいの頃に、その雪ノ浦さんという企画の女性が梁山泊に現れるようになって、「今、作っているゲームにソノシート(注15)を付けるんだけど、そのシンセアレンジ版を作らない?」って誘われたんです。それで、1曲5千円でやったのがスクウェアさんとの出会いですね。

注15:塩化ビニールなどで作られたペラペラのやわらかいレコード。子供向け雑誌などの付録になっていた。

1曲5千円ですか!?

植松 そう、5千円。『ブラスティー』(注16)っていうPCゲームの音楽だったんですけどね。で、雪ノ浦さんに連れられて行ってみると、なんか若いイキのいい兄ちゃんがいっぱいいるんですよ。話してみたら、坂口さんも音楽とかにすごい興味があって。彼ももともとはプロのミュージシャンを目指していたんですよね(注17)。そんなこともあって、新作ができたら「こんなの作ってるんですよ」って、遊びに行きがてらデモンストレーションに持っていったりするようになったんです。

注16:正式なタイトルは『クルーズチェイサー ブラスティー』。1986年にスクウェアから発売されたPC向けのロボットRPGで、日本サンライズ(現サンライズ)が制作に協力していた。

注17:坂口氏がバンドでプロを目指していたという話は下記記事を参照。
連載Vol.4「FF生みの親、坂口氏(上)」

「来週、植松君の運命変わるよ」って言われた

へえ~。

植松 そうこうしているうちに、スクウェアが日吉を離れてどっかに移ることになったんですよね。そのときに坂口さんに偶然会って「何やってんの?」、「相変わらず音楽作ってるよ」とか話していたら、「今度、(スクウェアを)ちゃんとした会社にするんだけどウチに来ない?」って誘われたんです。それで「行くわ」って答えたんですよ。

坂口さんと会う前の週に、占い師に「来週、運命が変わるよ」と予言されたという話を聞いたんですけど。

植松 あれ、ホントなんですよね。「来週、植松君の運命変わるよ」って言われた、その週でしたもんね、坂口さんと日吉の町で偶然会ったの。

その占い師の方はお知り合いだったんですか?

植松 友達に紹介されたっていうか。僕ね、何年かに1回、周りにヘンな人が現れるんですよ(笑)。

ハハハハ、そうなんですか?

「植松さんは将来世界的に名前を知られる作曲家になるよ」

植松 別にこっちから近づいていったわけじゃないんですけどね。昔、いっしょにバンドをやっていたヤツが、「UFOが見える人がいるって言って植松の話をしたら、会いたいっていうんだけど」とか言ってきたんです。それで会ってみたんですが、相当あやしい人なんですよ。病気とか人の悪いところは分かるらしいんですけど、治すことはできないんで、治す力をつけるために修行しているんだとか、なんとか。シャンバラ(チベットに伝わる伝説の仏教王国)の話なんかも、えんえん聞かされましたね。「植松君も一緒にシャンバラ行くか!」って。

すごい、シャンバラですか。行けるなら行ってみたいですね~。

植松 その人の他にもおかしい人がいっぱいいました。もう名前も忘れちゃいましたけどね。まだスクウェアで仕事をする前で金もなくて、えらいひどい生活をしていたときに会ったんですけど、初めて会ったその人に「植松さんは将来世界的に名前を知られる作曲家になるよ」って言われたんです。当時はそんなこと、ありえないわけです。今は世界的に知られる作曲家になったなんて言うつもりもないですけど。

いやいやいや、もう大変なものだと思いますよ。

植松 でも、今にして思うと、海外でコンサートをやらせてもらったりとかしている、今の状態が彼に見えていたのかなあって。そう考えると、ちょっと怖いですよね。ああいう人たちって、もしかしたらホントに何か見えてるんじゃないかと思うときがありますよね。

そんな僕に心を開いてくれたのが『ムー』だったんです(笑)

すごい話ですね。

植松 なんなんですかね。毎月、『ムー』(注18)を読んでいたんですけど、分かんないです、アッハハハハ。

注18:1979年に創刊された学研のオカルト情報雑誌。UFO、UMA、ノストラダムス、超能力、超古代文明など、さまざまなジャンルを幅広く取り上げ、80~90年代に多くのオカルトファンを獲得した。

そういうオチですか(笑)。でも、『ムー』を読んでいたということはオカルティックなものをけっこう信じるほうだったんですか?

植松 そうですね。信じるっていうか小さい頃にね、ありがちなんですけど、寝ていたら横に知らないおばあちゃんが座ってるとか。見えていたのかは分かんないですけど、そういう感覚はあったんです。足首を持たれて部屋中引きずり回されたりとかね。親には「バカなこと言ってるんじゃない、あるわけないだろそんなの」って言われましたけど。

ホントですか? すごいことですよ?

植松 そうなんですよ。いっぱいありますよ、そういう話って。でも、「錯覚なんだろうな、親もそう言ってるし」って思っていたんですよ。そんな僕に心を開いてくれたのが『ムー』だったんです(笑)。

ああ~それはよく分かります、そうでしたか。

植松 夢があるじゃないですか。UFOに宇宙人が乗ってるかなんて分からないですけど、ホントに何かの間違いで宇宙人が乗ったUFOが飛んでいたらエラい話ですよね。百万にひとつでも事実だとしたら、『ムー』ってすごい雑誌じゃないかって。

僕らの世代って今でいうUMA(雪男やネッシーなどの未確認生物のこと)とかUFOとかの話が、すごいいっぱいありましたよね。すごく夢踊るといいますか、わくわくする時代だったような気がします。

植松 最近は科学が進んじゃって、全部いないほうの証明ばっかりされちゃってね。

なんか夢がなくなっちゃいましたよね。

植松 ねえ。でも、今年の3月号ぐらいで『ムー』を買うのを止めたんです。ひとつ自分なりの結論が出まして、幽霊やUFOはいてもいなくてもいいんだと。「いる」「見える」っていう人にとってはいるんです。多分、見えているし、感じていると思うんです。でも、「いて欲しいな」と思っている反面、「いや~いるわけないよな」と思っている、自分のような人間にはそのチャンスは訪れないんですよ。作曲と同じです。曲が作れると思っている僕は絶対に作れるんです。でも、作曲したいけど最後まで作れるかなあと思っている人って、絶対作れないんですよ。

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