黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 20

Interview

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(中)今の視点で語る『FF』制作秘話

人間の体験する現実って、自分の信じていることがすべてなんです

なるほど、確かにそうかもしれません。

植松 だから、多分人間の体験する現実って、自分の信じていることがすべてなんです。自分が全身全霊をもって信じられることって、その人の周りに起きると思うんですよね。陸上の100メートルも10秒で走れるって信じている人じゃないと、きっと走れないんですよ。僕らは絶対無理ですけど、それは無理だって思っちゃっていたからなんですよね。で、僕は多分オカルトには100パーセントはいけていなかったんじゃないかなと。でも、これから100パーでいけば……。

何かに出会えるかもしれないと。

植松 そう、出会えるかもしれない。

できないと思っていることはできないんでしょうね。つまり、植松さんにとって音楽は、自分が信じるに値して、なおかつ自分は音楽ができると、ずっと信じて今までやってこられたわけですよね。

植松 不思議ですよね、習ってもいないのに。ただ、作曲を始めた小学校の終わりぐらいからそうなんですけど、できないっていう意味がよく分かんないんですよ。作ればいいわけですよね。別にモーツァルトみたいな曲を作れって言われているわけじゃないんです。曲を作んなさいって言われたら、適当に自分でつじつまを合わせて作っちゃえばいいだけの話でしょう。そういうレベルにおいては、できないと思ったことはないですね。

純粋に自分の作りたいものを何10年も作っていたら、めげると思いますよ

は~~すごいなあ~。

植松 いや、すごくはないですよ。

いやいや、すごいですよ。それに、その頃はできても、だんだんできなくなることって、あるじゃないですか。感受性か何かが鈍っていって、昔は描けた絵が大人になると描けなくなるとか。でも、植松さんはそうした感性を持ち続けているわけで、それはひとつの才能であり、そこを信じてきたっていう感じがします。

植松 いや、僕の場合は仕事だからですよ。純粋に自分の作りたいものを何10年も作っていたら、めげると思いますよ。「仕事で締め切りがあるからしょうがないじゃん」、「締め切りがあるから、ここで終わらせないと」っていう救いがないと。最後まで自分の中で完璧なものを作りたい、作ろうって思っていたら、多分ひとつの曲を作るのに何年もかかっちゃいますよ。やったことがないから、分からないですけどね。でも、仕事だから続けられているっていうのはあります。仕事だったら言い訳が常に用意されていますもんね。締め切り以外にも容量がなかったとか、予算がなかったとか。もちろん、そんなことを前提に仕事はしていないですけど。

最初にゲームミュージックって言われたときは、すごい戸惑われたわけですよね。でも、ゲーム音楽の仕事をやっていく中で、坂口さんたちと一緒にやろうと思われたのは、やっぱりそこに何か大きな可能性を感じたからですか?

植松 いや、始めたときは腰かけですよね。ちょうどその年に結婚しようと思っていたんです。収入の安定していない人間が結婚なんかダメじゃないですか、人として。だから、坂口さんが誘ってくれたんで、「おお、ラッキー。結婚しようと思っていたから、ちょうどよかったわ」って。

大波にさらわれちゃって、アタフタアタフタしている間に59歳ですよ

そうだったんですか。

植松 その頃っていうか、作曲家を目指したときから、僕は映画の音楽がやりたかったんですよ。映画の音楽っていっても、今でいうハリウッド映画のような華々しいハデな音楽じゃなくて、ちょっと物悲しい感じの印象的なメロディが流れる、60年代ぐらいのヨーロッパ映画のメインテーマみたいな音楽を作りたいなあと。ゲーム業界で1、2年やったら、そっちの方にいきたいなとか思っていたんです。ところが、入ってみたら「リストラだーッ」、「カネがないぞーッ」、「銀座に行って、さらにカネがないぞーッ」、「ヤバイぞーッ」ってバタバタバタバタしていて。

なるほど、その時期だったんですね。

植松 で、そうこうしているうちに『FF』が始まって、映画音楽どころじゃなくなって。冒頭に話した大波にさらわれちゃって、アタフタアタフタしている間に59歳ですよ。

でも、スクウェアの最後の作品だったかもしれない、『FF』のメインテーマを作ったことで大きく人生変わりましたよね。

植松 変わりましたね、うん。

あの頃のスクウェアはどうでしたか。確か、日吉時代はよかったけど、銀座はビルの家賃が月々2千万円ぐらいで、さらに販管費もかかるのでリクープするのが大変だったそうですが。

植松 あの頃、坂口さんは会社の経営に噛んでいたんじゃないですかね。だから、カネの点でシビアに考えていたのかもしれないです。分からないですけどね。でも、ただの作り手の僕らは「ヒャッフ~、銀座だあ!」って(笑)。

あ、そんな感じでしたか。

植松 お祭り騒ぎですよね。でも、そうこうしているうちにカネがなくなって、リストラだ、引っ越しだとなったんですが、「あ、やっぱりな」って感じで意外と冷静でしたね。そりゃそうですよね、ヒット作もないし。

そもそも売れるものを作るっていう発想が、まずなかったですよね

そのあとスクウェアは御徒町に移ったわけですが、ご自身はその状況をどう見ていましたか? (スクウェアが)なくなったらなくなったでしょうがない、みたいな感じだったんでしょうか。

植松 正直、そう思っていましたね。当時はまだゲームに操を立てるほどの思い入れもなかったですし。スクウェアっていう会社もまだ注目されてなかったですしね、『FF』が出るまではそんな……もちろん、何作も出してはいましたけど、正直ガツンっていうのはなかったじゃないですか。

それまでは確かにそうでしたよね。でも、そのあとガラっと変わりますよね。

植松 瞬間で変わったわけではないですけど、会社が成長していく直線の角度は上がりましたね。それは下っ端でも感じました。何か違うぞって。でも、僕は経営のことにはホント疎かったんで、『FF』が売れてるって認識していなくて。「あれ、売れてるのかな、注目されてるな」みたいなのは『III』でやっとって感じでしたね。

ああ~そうだったんですか。

植松 だから、売れているっていう実感は全然なかったし、そもそも売れるものを作るっていう発想が、まずなかったですよね。多分、坂口さんとそういう話をしたことはないです。坂口さんもそんなこと考えてなかったんじゃないかな。

< 1 2 3 4 5 >
vol.19
vol.20
vol.21