黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 20

Interview

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(下)『FF』は自分にとって“新しくない”

ゲームミュージックの巨匠 植松伸夫氏(下)『FF』は自分にとって“新しくない”

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

ゲーム音楽が変わったのはいつからだろうか。個人的に強い印象は『ドラゴンクエスト』だったと思う。エニックスが開発したゲームにすぎやまこういち氏が作曲した交響楽がゲームにマッチした記憶がある。『ドラゴンクエスト』の音楽を初めて聴いたときの印象は、今までのゲーム音楽とは何かが違うことがわかった。その何かの定義は未だにはっきりしない。でも、言い換えれば当時のドット画面に似つかわしくないほどの荘厳さや華麗さをもった旋律だったからと言えば適切だろうか。

そして、私が感じるゲーム音楽に革命をもたらした人物は植松伸夫だ。彼の作品は斬新であり、力と情念を感じる旋律を我々ゲームプレイヤーに届け続けてくれる。そして、『FFⅦ』を境に訪れたゲームグラフィックの革命もまた彼に味方したと思う。 今回の「エンタメ異人伝」は、株式会社スクウェアの黎明期から『FF』の世界観を音楽として醸成したサウンドクリエイター、アーチストの植松伸夫にスポットを当てたものだ。

植松伸夫が何を感じ、何を想い、それぞれの作品に向かい合い、人生を生きてきたのか、今回のインタビューは、植松伸夫を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)第2回(中)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

※9月20日に植松さんがご自身のブログで活動休止宣言をされました。 本インタビューは活動休止宣言前に取材したものです。


坂口さんっていう象徴がいなくなったとたんに社内のムードっていうのがガラっと変わりましたよね

2006年に植松さんはスクウェアをお辞めになるわけですけど、スクウェアがスクウェア・エニックスになって、何かお気持ちの変化のようなものがあったのでしょうか。

植松 すごい甘い言い方をすると、それまではやりたいようにやっていたんですよ。音楽なんかも作りたいように作らせてもらっていたんですが、だんだん会社が大きくなって。ゲーム業界があそこまで成長すると、売れるものを作んなきゃいけなくなるんです。だから、『FF』のどれぐらいでしょうかね……『VII』か『IX』、『X』か……ちょっと具体的には言えないですけど、初期の『FF』に感じていた「オレたちは作りたいものを作るんだ」的なムードっていうのは、どんどん無くなりつつあったんですね。多分、坂口さんが辞めたあたりが決定的だったんじゃないかな。作りたいものを作る、坂口さんっていう象徴がいなくなったとたんに社内のムードっていうのがガラっと変わりましたよね。

やっぱり、そういうことがありましたか。

植松 それまでの作りたいものを作るっていうのができなくなった時点で、もう自分のやってきたことは卒業なのかなあって。だから、卒業っていう感じはありましたよ。もう、ここでやれることはやったかなあっていう。

なるほど、そうだったんですね。僕はスクウェアというのはクリエイティブを優先した会社だったと思うんです。でも、経営よりもクリエイティブを優先するがあまり、ちょっとそこのバランスが悪いかなって感じていた時期もあったんです。

植松 それはありましたね。

ですから、坂口さんという象徴がお辞めになったあと、経営のほうに振れるといいますか、クリエイティブの部分に文鎮を乗せるみたいな感じになったのかなっていう気はしましたよね。

植松 でも、それはしょうがないことで、良い悪いの話じゃないんです。僕は水が合わないから離れただけであって、売れるものを作らなきゃなんないっていうのは、エンタテインメント業界として当たり前のことですからね。

スクウェアで20年かけて勉強させてもらったようなものです

そうですよね、ええ、ええ。

植松 そんな世界で何百万本も売れているゲームで、好きなことをやらせろっていう方が、おかしいっていうのは自分でも分かっていますし、それを僕は主張する気もなかったです。そうか、これからは世界で売るっていうことを、意識しながらの作り方になるんだなあと思っただけです。

ちょっと話を戻させてください。すぎやまこういち先生もそうですけど、植松さんはゲーム音楽を変えた人であると僕は思っているんです。植松さんたちが出てきて、ゲーム音楽っていうものは、いろんな意味で注目されるようになりましたし。ゲーム音楽が広く認知されるようになったきっかけを作った方のひとりだと思うんです。

でも、その背景にはスクウェアというクリエイティブを最優先する会社があって。スクウェアがある種のダンナ衆みたいだったから、できたのかなとも思うんですけど、どうだったんでしょうか。植松さんがこれをやりたいって言ったら、なんでも実現できる感じだったんですか?

植松 う~ん、これをやりたいっていうのは、たとえばどういう?

たとえば、フェイ・ウォンさんで『Eyes On Me』をやりたいとか、大きなところで交響楽のコンサートをやりたいとか。ゲーム音楽の部分なら、たとえば合唱スタイルをガッと入れるとかっていうのは、当時はあまりなかったと思うんです。そういったことは植松さんがやりたいと言えば、ほぼなんでもできるような環境であったわけですか?

植松 音楽制作に関してはホントに全部ひとりでやっていましたね。『FF』の1作目、2作目ぐらいまでは坂口さんから、この町とこの町はこんな音楽、バトルは2種類とかそういう指示があったんですけど、3作目ぐらいからはなんか分厚いシナリオを渡されて、「やっといて」っていう。

完全な信頼関係ですよね。

植松 信頼してくれていたんだったら、うれしいですけどね。で、そのシナリオのここからここまで音楽が何曲必要っていうのを自分でチェックして。ストリーミングとかができるようになったので、オープニングを合唱とフルオケでいきましょうとか、主題歌でやりましょうとか自由にやらせてもらえましたね。

なるほど。

植松 だから、僕が音楽を勉強したことがないのに、ここまでやってこられたのはスクウェアで20年間、現場体験をさせてもらったからなんですよ。20年かけて勉強させてもらったようなものです。大学でも4年ですからね。それをカネもらいながら20年って、すごくないですか?

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