佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 62

Column

樹木希林さん、そして悠木千帆さん、ありがとうございました。

樹木希林さん、そして悠木千帆さん、ありがとうございました。

樹木希林さんが亡くなったというニュースを知ったあとで、想像もしていなかった喪失感にとらわれている自分に気づいた。

2006年に逝去した久世光彦が書き残した5冊のエッセイ集を原作にして、小泉今日子の朗読と浜田真理子の歌で舞台化した『マイ・ラスト・ソング』のテレビ・ヴァージョンが、NHKの101スタジオで公開収録されたのは今年の3月中旬だった。

そのときに進行役だった又吉直樹がゲストの樹木さんに向かって、まだ悠木千帆の名前だった30歳の頃にテレビで脚光を浴びた人気ドラマについて訊ねたのだが、「視聴率30%を超えてたでしょ」と問いかけたときの反応がすごかった。
樹木さんは静かに言葉を区切りながら、このように言い切ったのである。

「闘っていたから。それまでは体制側のホームドラマ、常套手段で普通に歩いてた中で、戦ってた人たちだから」

それらの番組『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』を数年にわたって制作した久世光彦、脚本の向田邦子とともに積極的に関わっていたキャストとしての挟持が、その言葉の奥にちらりと垣間見えたように思えた。

というのも番組の人気を支えていたギャグのほとんど全ては、悠木千帆や堺正章、浅田美代子といった出演者たちが自ら考えたものであり、それを身体を使って試してみることでブラッシュアップして、次第に話題を呼ぶことになって視聴率を上げるのに貢献したのだ。
ひとつのギャグを完成させるのにキャストだけがスタジオに残って、徹夜で取り組んで本番に取り組むことも日常茶飯事だったという。

脚本の向田邦子さん、演出の久世光彦さん、それに堺正章さん、西城秀樹さん、郷ひろみさんといったスターたちとわーっと駆け抜けてったって感じね。そのころの向田さんの脚本は隙間だらけで、それを久世さんが「このシーンはあんたが何とか」って、穴埋めみたいにして私らを動かした。それが今の財産にはなってるなと思います。

女優・樹木希林(2)テレビの最前線を駆け抜けた- 産経ニュース

その後で6月に入ってから観たカンヌ映画祭におけるパルムドール受賞作、映画『万引き家族』における自然な演技と人間的なぬくもり、そしてあっけないまでの死に至る役柄も、きわめて強く印象に残るものになった。

しかもぼくは仕事の上でどうしても確認したいことがあって、この夏の間はテレビドラマ『寺内貫太郎一家2』をDVDで1話から、最終回まですべて観直すという作業をしていた。
それが全部で40本もあったので、結果的に悠木千帆時代の演技を30時間以上にわたって、延々と観続けたことになったのである。

そんな状態だったところに訃報を知ったものだから、しばらくは仕事が手につかずにボーッとしていた。
だが翌朝になって知人のライター、「働くオバちゃん」こと和田靜香さんが「樹木希林さんのこと」という文章を、「note」に公開していたのを読んで元気を頂いた。

和田さんは今から30年ほど前、音楽評論家の湯川れい子さんの事務所で、アシスタントのアルバイトをしていた時期があった。
その頃にいわゆる「有名人」という人とも数多く話をする機会を得たそうだが、その一人が樹木希林さんで、ただし彼女は特別な人だったという。
これを読んでいて自分なりに思うところがあったので、いささか長くなるが引用させていただく。

湯川さんの息子が当時夏になるとアメリカの少年少女対象の「サマーキャンプ」なるものに1か月とかそれぐらい行っていた。

で、そのキャンプ地がどこだったのかはまったく忘れたけど、そこに樹木希林さんの娘さん、今思うと内田也哉子さんだったわけだが、彼女がどういういきさつだか、同じサマーキャンプに行くことになり、そういうとき湯川さんは俄然、姉御肌を披露したくなるタイプだから、いいわよ、私が手続きやってあげるから、という感じで色々請け負ったようだ。

とはいえ、例えばキャンプ地へ荷物を発送する手続きあれこれとか、何やらあれこれファックスするとか、実際にやるのは秘書である私。クロネコヤマトの海外便だったのかなぁ?色々調べて、湯川さんの息子の分、内田さんの分、と両方を送ったり、なんだかんだした。

で。普通ならそれで「湯川さん、ありがとうね」で終わり、私の影など一分も見えないものだけど、樹木さんは違った。サマーキャンプに也哉子さんが無事に旅立った後だったか、事務所に電話をしてきて、最初は湯川さんがしゃべっていたものの、急に湯川さんが「樹木さんが和田と話したいと言ってるのよ」と言って電話を代わるように言う。えっ? 私? なんで?と思って電話に出ると樹木さんが「和田さんですか? 今回は荷物の発送をありがとうございました。面倒なことをお願いしてしまい、すみませんでした。本当にありがとうございます」という。頭の中にリンゴ殺人事件~~~♪がたちまち流れだし、ジュリーって身悶えする姿が浮かんだが、実際の樹木さんはなんと義理堅く、そして実のある人だろうと、私の方が身悶えした。

電話を切ってから湯川さんが「荷物を実際に送る手配をしたのは湯川さんじゃないでしょう?秘書の人でしょう?その人は誰?代わって、って言ったのよ」という。そんな人は後にも先にも樹木さんだけだった。

働くオバちゃん/和田靜香
2018/09/16 20:40

和田さんは樹木さんについて、「黒子のアシスタントにまで気を使う人だった。いや、アシスタントにこそ、気を使う人だった」と、とても大切なことを記していた。

ぼくは樹木さんが自分の決めた原則を曲げるのが嫌で、融通がきかない人だったということを知人から聞いていたので、長いものには巻かれろ、大人には大人の考え方がある、子供は黙っていろ、女は余計なこと言うな、そういうことに対して子供の頃から徹底して反発していたのではなかったのかと、遅ればせながら気づいたのだった。

そういう意味では樹木さんもまた、夫の内田裕也さんがロックを選んだように、役者としての覚悟を決めて生きてきたに違いない。

女性向けファッション誌「GLOW」で小泉今日子と対談した記事のなかで、自分の軸を決めることの重要性について、樹木さんは覚悟という言葉を用いて語っていた。

樹木 うん。それいちばん表れるのは、人を見て態度を変えないかどうかなの。浮き沈みの激しいこの芸能界で、人の立場とか人の状況で自分の損得を考えないということって、実は大事なこと。それはたぶん、資質なのよね。あなたはきっと、小さい頃から覚悟が決まっていた人。そういう感じは、不思議と表れるのよ。佇まいになって。

小泉 親や周囲の大人たちから、そういうふうに育てられたんだろうなと思いますね。だって私、仕事をしようと思って芸能界に入ったんですから。中学校の時に一家離散して、私にも何かできないかと思って、オーディションを受けて。「これで迷惑かけないで済む!」って気持ち、思えばそれが、最初の覚悟だったのかもしれません。

樹木さんの「小さい頃から覚悟が決まっていた人」という見方と、それに対応する小泉今日子の返答からは、ほんとうの表現者に共通する本質が伝わってくる。

残念ながら樹木さんは75歳で逝ってしまったが、彼女が出演してきたテレビや映画の代表作を観るだけで、われわれはいつでも希代の女優と再会することができる。

しかも幸いなことに前評判の高い映画『日日是好日』が10月13日から公開されるほか、2019年に公開予定の映画『エリカ38』は、企画から樹木さんが創り上げた作品であるらしい。

主演は45年来の友人である浅田美代子、若い頃に一緒にギャグを考えた仲間だという。
お楽しみはこれからも、まだ残されているのだ。

樹木希林さん、そして悠木千帆さん、ありがとうございました。

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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