恩師・久世光彦に導かれて、女優の小泉今日子が歩んできた道のり  vol. 1

Column

第1回 小泉今日子が泣いた日

第1回 小泉今日子が泣いた日

小泉今日子が読書家であることは、一緒に仕事をしたことのある人たちの間では、ずいぶん前から知られていました。なぜならば楽屋ではいつも本を開いていたからです。そこには本好きだということと同時に、人に煩わされたくないという気持ちが働いていたといいます。

 本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった十代の頃、人と話をするのが億劫だった。だからといって不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからTV局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないで下さい。そんな貼り紙代わりの本だった。
小泉今日子著「小泉今日子書評」中央公論新社より

1982年にアイドル歌手として「私の16才」でデビューした小泉今日子は、高校に入ってすぐに中退し、一人で東京に出てきて仕事を始めたわけです。その頃からドリルを買ったり、本を読んだりして独学で勉強を始めたといいます。それは学力がないことが、後でコンプレックスになるのが嫌だと思ったからでした。
やがて勉強しなければと思って始めた読書が、実は楽しいことだと気づいていきます。本を一冊読み終えると「心の中の森がむくむくと豊かになるような感覚」が得られたといいます。その森をもっと豊かにするために、小泉今日子は知らない言葉や漢字を辞書で調べて、自分のノートに書き写すようにして勉強を続けていったのです。

毎週日曜日に掲載される読売新聞の読書面に「小泉今日子」という名前が初めて載ったのは、2005年1月のことでした。読書面の書評コーナーに執筆する読書委員は、作家や文芸評論家、大学の文学部教授などが中心ですから、そこに登場した女優で歌手の小泉今日子はいささか異色に映りました。
ところが小泉今日子の書く文章は読んだ本の紹介という以上に内容があり、いわば本のエッセンスが彼女の身体を通り抜けてふいに姿を現したような印象で、新鮮な書評だったのです。本について語っている文章からは、そのときどきの小泉今日子が感じられて、ときには心根が語られることもあって好評でした。やがて味わい深い書評だと支持が広まり、多くのファンをつかんでいったのです。

平均して月に小説を5冊、エッセイを3~4冊は読み、2週間に1度の読書委員会にも、スケジュールの都合がつく限り小泉今日子は積極的に参加しました。そして書評を担当する本を決めると、年に10本ほどの書評を発表していきます。大半の委員が決められた任期の2年で交代していたにもかかわらず、2015年まで5期10年も委員をつとめたのはきわめて異例のことでした。

そして2015年10月末には書評をまとめた単行本、「小泉今日子書評集」(中央公論新社)が上梓されてベストセラーを記録したのです。初めに読書委員を依頼した読売新聞文化部の編集委員で、デスクの鵜飼哲夫は出会いについて雑誌の取材でこう振り返っています。

 ベストセラーになった小泉さんの自伝的なエッセイ集「パンダのanan」(1997年)を読んで、おもしろい文章を書くかただなと思っていたところ、たまたまテレビドラマの取材で小泉さんとお会いする機会がありました。丁寧に言葉を選んで会話されるところが印象的で、ぜひ一緒に仕事をしたいと思ったんです。
そこで彼女の恩師であり、私が連載小説を担当したテレビ演出家の久世光彦さんに相談すると一緒に会ってくださった。
女性セブン2015年11月12日号「売れると評判の小泉今日子書評連載」より

テレビドラマの演出家としてひとつの時代を築いただけでなく、作家としても数多くの小説やエッセイを残した久世光彦は、小泉今日子の恩師といえる存在でした。その恩師の仲介で書評を依頼されたときに考えたのは、女優とかタレントとしての名前がほしいだけだったら断ろうということだったそうです。
文章の書き方などについても分かってないことがあると自覚していた小泉今日子は、書いた原稿にきちんと向き合って評価してくれるのかどうか、そこが肝心な点だと考えました。だから鵜飼と対面した時に、自分が書いた原稿に対して「これはボツだ」とか、「書き直してほしい」ということを、しっかり言ってもらえるかどうかを問いかけたのです。

しかし「私の原稿がダメだったらボツにしますか」と切りだされても、まさかいきなりボツには出来ないと、鵜飼は「書き直しはしてもらいます」と話します。ところがそれでは納得してもらえない。
そのとき久世光彦は「キョンは若い頃から大人の世界で生きてきて、甘やかされるのが嫌い。ボツは“対等に仕事をしたい”という合図だから」と、鵜飼にそっと救いの手を差し出しました。“ボツにすると言えばキョンは受ける”と助言された鵜飼が「ボツにします」と言うと、彼女の手が伸びて握手して交渉が成立したのです。

書評のデビューにあたって小泉今日子が最初に取り上げた本は、吉川トリコの「しゃぼん」でした。まだ長い方の書評を書く自信がなかったので無理をせず、次の「沢村貞子という人」(山崎洋子)と、短評が二本続くことになります。このときに意識していたことは、背伸びせずに自分らしく書ける本、自分にしか書けない本について、自分ができることをするということだったといいます。
新聞が発行されたその日、久世光彦から小泉今日子へ一枚のファックスが届きました。

 書評読みました。うまくて、いい。感心しました。Kyonがだんだん遠くなるようで、嬉しいけれど寂しい。あなたの書評を読むと、その本が読みたくなるというところが、何よりすばらしい。それが書評ということなのです。
小泉今日子著「小泉今日子書評」中央公論新社より

それを読んで、小泉今日子は泣いたそうです。

 ロマンティスト久世さんらしいとてもキレイな直筆の文字を噛み締めるように読みながら私は泣いた。それから数年後、先に遠くへ行ってしまったのは久世さんの方だった。
ある朝、突然逝ってしまった。久世さんからのファックスはもう届くはずないのに日曜日に書評が載ると電話機をつい確かめてみたくなる。天国にもファックスがあればいいのに。
小泉今日子著「小泉今日子書評」中央公論新社より

女優になれたのは久世さんのおかげだと小泉今日子が語る「恩師」の久世光彦は、「演技もお行儀も文章を書くことも全部私に教えてくれた人」でした。

では最初に二人が出会ったのはいつ、どこで、だったのでしょうか。

文 / 佐藤剛

イベント情報

久世光彦 マイ・ラスト・ソング2016―歌謡曲が街を照らした時代―

末期(まつご)の刻(とき)に1曲だけ聴くことができたら、あなたはどんな歌を選ぶか……。
久世光彦が残した123篇ものエッセイに綴られた歌への想いを、小泉今日子の朗読と、浜田真理子のピアノ弾き語りで伝えるライブが開催されます。

「マイ・ラスト・ソング」は今は亡き久世光彦さんが、生涯を通して出会った忘れ得ぬ歌の数々を、1992年から2006年までの14年間に渡って書き綴ったエッセイです。
それらの珠玉のエッセイを女優の小泉今日子が丁寧に読み、恩師・久世光彦について語り、シンガー&ソングライターの浜田真理子がピアノを弾いて歌います。
その時、3人の表現者のそれぞれの想いは時空を超えて交錯し、現在が過去になり、過去が未来になり、
奇跡の瞬間が現出することになるのです。
(「マイ・ラスト・ソング」構成・演出/佐藤 剛)

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2016年5月6日(金) ・5月9日(月)
会場:三越劇場 日本橋三越本店 本館6階 (東京都中央区日本橋室町1-4-1)
構成・演出:佐藤剛
エッセイ:久世光彦
出演者:浜田真理子(歌・ピアノ)  小泉今日子(朗読)
主催:NPO法人ミュージックソムリエ協会

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