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“全力少女”百田夏菜子&玉井詩織&高城れに&佐々木彩夏が“ももいろクローバーZ”として3年ぶりに舞台を駆け巡る。ミュージカル『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』上演中!

“全力少女”百田夏菜子&玉井詩織&高城れに&佐々木彩夏が“ももいろクローバーZ”として3年ぶりに舞台を駆け巡る。ミュージカル『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』上演中!

“ももいろクローバーZ”主演のミュージカル『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』が、9月24日(月・休)から舞浜アンフィシアターで上演中だ。初日の幕開きの前日、彼女たちのライヴでは垣間見えることのできない表情が伺えた、ドキドキの公開ゲネプロと初日前挨拶が行われた。

取材・文・撮影 / 竹下力

“肉体性”と“お祭り性”が生み出す唯一無二の特大の“ハレ”のエンターテインメントショー

のっけから私事におよぶ。静岡の祖父の家にはいつの時代のものかよくわからないけれど“ジュークボックス”があった。祖父は進駐軍向けのバーを開業していて、50年代の中頃には二束三文で店を譲ってしまったが、それだけは、今でも祖父の家にある。どこからどう見てもオンボロで、蹴りを一発入れればコインなんて無用に、その当時流行っていた“ビバップ”、“ロカビリー”、“ロックンロール”なんかが、ひしゃげた音だけれど奏でてくれて、私の耳を楽しませてくれた。

“ももクロ”の魅力がひと言で言えないのと同じように、この舞台の楽しさもひと言では語れないけれど、“ビバップ”、“ロカビリー”、“ロックンロール”といった、心ときめかせる様々な“ミュージック”がびっくり箱から飛び出したような、一夜限りの“ジュークボックス”ミュージカルで、終演後には“ももいろクローバーZ”に“明日も元気に生きろよ”とお尻に一発蹴りを入れられるかのような爽快な舞台だった。

舞台のアンフィシアターは円形に近く、コロッセウムのように扇型に座席が広がっている。上方にはどこかのジャングルを模したような植物が生え、天井には、ぬいぐるみやお菓子を模したキッチュな風船がいくつも釣り下がっている。床は一部が回り舞台になっており、さらに中央には、大きな“迫り(舞台の床をくりぬき、そこに昇降装置を配置している)”があり、奥のほうにも小さな“迫り”がいくつかあり、俳優が出入りする。また、上手と下手の階段の上にはオーケストラピットがあり、ギター、ベース、ホーン、シンセ、ドラムと、クールな音色を奏でる凄腕バックバンドが控えている。

劇中歌にも使われた彼女たちのヒット曲「全力少女」らしく、百田夏菜子&玉井詩織&高城れに&佐々木彩夏は“全力”だった。彼女たちを止めるものは何もないという演技と歌と踊りを見せる。“ももクロ”自体、ほとばしる“生きる肉体”で、“お祭り”を見せるというマキシマムな“ハレ”の世界を体現する存在として、“ジュークボックス”的な何が起こるかわからない、ワクワクが止まらないパフォーマンスをする。それだけに、カーテンコールが終わって彼女たちが舞台袖にハケても、舞台上に彼女たちの残存というか、生命の躍動感が鼓動としてかすかに残っていたのが印象的だった。

もちろん、劇団ラッパ屋・鈴木聡のダークで苦みばしった脚本が活きているからこそだろう。どこか胸にぽっかりと穴が開くような考えさせられる舞台でもある。それは死後のお話をテーマにしているからだ。

ダンス部に所属している高校2年生のカナコ(百田夏菜子)、シオリ(玉井詩織)、レニ(高城れに)、アヤカ(佐々木彩夏)の4人。彼女たちは、ダンスの大会の決勝前日に話し合いをしている。話しているのは明日のダンスで頑張ろうということ。そして、4人はダンスの振りの確認に夢中で、ついついはしゃいで交差点に踊り出してしまう。そんなとき、交差点内に1台の車が暴走して突っ込み、その車が彼女たちを天高く跳ね上げた……。

カナコがふと気づくと、そこは天国の世界だった。天使ミーニャ(シルビア・グラブ)と執事(妃海 風)から、シオリ、レニ、アヤカは即死し、その後、転生をして別の人生を生きていることを教えられる。しかし、カナコは自分の死を受け入れられず、転生することなく天国の世界にいる。彼女はみんなで踊った日々が忘れられない。どうしてもみんなと踊りたいし、それ以外には考えられない。彼女は天国にある“時空の鍵”を奪い、時空を歪め、転生した彼女たちの元へ急ぐ。いわばパラレルワールドの世界へ。

シオリは「遠藤しおり」という名前になって来月に結婚式を控えている。アヤカは「渡辺あやか」になってとある高校の演劇部の部長をしている。そしてレニは「高田れに」という看護師として働いている。そんな平穏な日常を送っている彼女たちの元へ、カナコが「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」と呼びかけに参上するも、すでに前世の記憶を失っている3人にとっては素性の知れない来訪者だ。しかし、怪しがるのだが、どうも胸のざわつきが止められない。

そうして彼女たちは奇跡的に邂逅を果たすのだが、そこはもうこの世ではなかった。ならばいったいどこなのだろう? カナコがやってきて「あのときの約束を果たしてないからダンスを踊ろう」と“時限の鍵”を使うと、世界は、アイドルメンバーグループの選抜試験に様変わりする。審査員にはどこか見た覚えのある、プロデューサーのチャコ(シルビア・グラブ)とマネージャーの山上(妃海 風)がいる。そこから彼女たちは、アイドルグループ「ヘヴン」となって活動を始める。高校のダンス大会のはずが、いったいどうして、どうやって、さて彼女たちはどうなる……?

まずは、ミュージカルなので、オリジナルソングにも注目だけれど、「WE ARE BORN」、「世界の秘密」、「行くぜっ!怪盗少女」、「HAPPY Re:BIRTHDAY」など、曲名を知らなくても、“モノノフ(ももクロのファンの呼称)”でなくても楽しめる、バンドアレンジの“ももクロ”ソングが原曲の良さに忠実でありながら舞台ならではの生のグルーヴを生み出していた。そして、オリジナルと既発曲が混ぜ合わさって、DJが卓を回しているようにどのナンバーがいつ飛び出すかわからない驚きの仕掛けになっていた。今作のモチーフとなっている「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」もハッピーなチューンで思わず口ずさめる。

なかでも“ももクロ”の新曲「天国のでたらめ」は忘れてはならない。これは8月から始まっている5ヵ月連続配信リリースの第3弾にあたり、10月12日(金)に配信リリースされるので、要チェックだ。またこの曲は、2019年の“ももクロ”結成日=5月17日(金)に発売される5thアルバム『MOMOIRO CLOVER Z』に収録されることも発表された。

この曲は舞台のアレンジでは、ホーンセクションと打ち込みが絡む、とてもノリのいいナンバーだった。作詞・作曲をロックバンド“ドレスコーズ”の志磨遼平が手がけ、編曲は“水曜日のカンパネラ”のケンモチヒデフミが担当しており、聞き応え十分なケミストリーを生み出していた。それより、“生と死”の間を漂う人間の“魂”はちゃんとこの世に生きているという歌詞のモチーフと『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』の世界観との相性は良く、舞台に華を添えていた。

シオリこと「遠藤しおり」の玉井詩織は、普通に結婚し、平凡に生きる自分に疑問を抱きつつも、父親と母親の命令には逆らえない、どこか従順な女の子。内向的な美少女を演じているのだが、ダンスと歌になれば別人になってしまう。3年前に『幕が上がる』の原作者・平田オリザも彼女の演技を評価していたけれど、まったくブレない芯のある演技は脱帽モノ。

アヤカこと「渡辺アヤカ」の佐々木彩夏は、3年生の部長がいなくなった演劇部がうまくいかないことに悩んでいる2年生。おまけに演劇部の先生もセンスがなくて困っているという、どこか悩み多き少女を演じていたが、そんな葛藤に揺れる10代の女の子を熱演していた。

レニこと「高田れに」の高城れには、他人から頼まれたことについつい乗ってしまうお人好しの看護師を好演していた。カナコ以外の3人の中では彼女がリーダー格となって、わけのわからない状況を観客に説明していく、いわば狂言回しをしていくのだが、それをとてもスムーズにこなし、このカンパニーの裏の立役者を務めていた。

妃海 風はミーニャの執事という役で、終始、ミーニャのそばにいて命令を聞いているのだが、一方で、場をかき乱すカナコのことが心配でならない。様々な状況を打開しようとするヤケ気味な雰囲気の芝居としっかりとした歌のギャップが見事にマッチしていた。

ミーニャ役のシルビア・グラブは、完全にコメディエンヌで、場の笑いをかっさらっていく。彼女がくれば、笑いとともにストーリーが展開するし、彼女がいれば、そこに歌が生まれる。彼女と妃海 風の“ももクロ”ソングは、シルビアのスーパーファルセットも含め、これまで聴いてきた“ももクロ”ソングとは違った体験を与えてくれた。

演出の本広克行はミュージカルの演出は初めてだそうだが、芝居と音楽の見せ方が絶妙で興奮させられっぱなし。ストーリーは、“死後の世界”、“パラレルワールド”、おまけに“夢”や、“妄想”まで絡んでくるのでとても難しい舵取りだったかもしれないが、難破することなく、誰にでもわかる、誰にでも楽しめる、何が起こるかわからないエンターテインメントに仕上げていた。

やはり忘れてはならいのは、カナコの百田夏菜子だろう。とにかく元気いっぱいで、天使さえ制御ができない闊達さ。まさに生きていることを、台詞だけではなく、歌と踊りと表情、肉体を使って見せていた。彼女は死んでしまっているわけだから、そこには矛盾があり彼女は悩んでいくのだけれど、それを元気一杯の笑顔で“死んでいることなんてお構いなし”という溌剌としたパフォーマンスで、ひたすら生きることを体現していた。ストーリーは、実際の彼女たちのクロニクル的な要素もあるから、リーダーとして感じることもあっただろう。だが今作では、百田が中心となってメンバーたちの手を繋ぎ合い確固とした座組みをつくっていたと思う。

もちろん百田ひとりではなく、“ももクロ”4人、さらにカンパニーの一体感で舞台をつくり上げようとするパワーに感服する。そして、演出も、脚本も、ダンサーも、メンバーを誰ひとりとしても欠けさせないという揺るがない気持ちに皆をさせてしまう“ももクロ”がそこにいる。全力で何事にもぶつかる“ももクロ”は、誰にでも親しめるポップであり誰にも消費されない唯一無二の存在として燦然と輝くのだ。それこそが“ももクロ”が“ももクロ”たる所以なのだろう。

祖父の家にある“ジュークボックス”が、異国の人をひととき踊らせていたかもしれないと思うと不思議な気持ちになる。おそらくその“ジュークボックス”は「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」と小さな声で呼びかけていたのだ。彼女たちは大きな声で歌い、みんなを踊らせ、納屋の古びたジュークボックスにはない、まったく新しい時代の風を生み出して、どんな悩みも、どんなつらいことも、一瞬だけでも宇宙の彼方へぶっ飛ばす、そんなパワーを与えてくれるはずだ。

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