佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 63

Column

ピンク・マティーニが5年ぶりの来日公演!

ピンク・マティーニが5年ぶりの来日公演!

ハリウッド映画が黄金時代だった頃のジャズ・バンドを思わせるスタイルで、20世紀に世界各国で生まれたポピュラー・ソングをレパートリーにして、世界中の人々を魅了し続けているワン・アンド・オンリーの音楽集団、アメリカのポートランドを拠点に活躍するピンク・マティーニが5年ぶりに来日公演を行う。

1994年にオレゴン州ポートランドで設立されたピンク・マティーニは、12人編成のジャズ・オーケストラ・グループ。
古き良き時代のハリウッド映画に流れていた歌や音楽や、その昔にバンドや歌手がステージにいてホールではいわゆる紳士淑女が踊っていた時代の空間を、今に再現したいという気持ちから始まったという。
もともとは、パーティーのケータリングからスタートした活動が発展し、フランスで最初にヒット曲が出て評価を得たことから、世界中をツアーするまでになったのだ。

ぼくがピンク・マティーニと出会ったのは、友人の佐藤利明氏がYOUTUBEでこのグループを見つけたのが発端だ。
当時プロデュースに携わった由紀さおりさんのプロジェクトで、2009年に『いきる』というアルバムを制作した後で、コンサートを行うためのプランを考えていたときのことだった。
そのときにもっと具体的なテーマを打ち出していこうということになり、「1969年」という言葉がキーワードとして浮かんだ。

由紀さんがデビューして「夜明けのスキャット」が大ヒットした1969年は、後に歌謡曲の黄金時代といわれた時代の元年であった。
その年に起こったエポックメイキングなことや、街に流れていたヒット曲に焦点を合わせていくと、面白くなるのではないかと考えた。
なにしろ、ぼくが個人的に美空ひばり以降の「三大歌手」と名付けた、由紀さおり、ちあきなおみ、藤圭子が揃ってこの年にデビューしていたのである。

ピンク・マティーニを発見した佐藤氏は、そのときのことをこのように語っている。

つまりは1969年が歌謡曲元年で、由紀さんの「夜明けのスキャット」が、ぼくらが認知している歌謡曲の最初なんじゃないかと思ったわけです。
このキーワードがすべの始まりでした。
YOUTUBEで外国人のグループが日本語で由紀さんの「タ・ヤ・タン」を歌っている動画を見つけたんです。
これはデビューアルバム『夜明けのスキャット』の中に入った1曲で、厳密に言うと2枚目のシングル「天使のスキャット」のB面曲です。
その曲を大きなホールで大編成のバンドが、しかも明らかにアメリカ人が日本語で歌っている。
これはいったいなんだって思いましたよ。
どうしてアメリカのピンク・マティーニが由紀さんの「タ・ヤ・タン」をカバーしたのか、当然知りたくなったわけです。

そこで佐藤氏が調べてみると、1997年に『サンパティック』というアルバムでレコード・デビューしたところ、これがヨーロッパで好セールスを記録していたことがわかった。

ピンク・マティーニはポートランドのグループなのに、アメリカではそれほど売れていなかったようで、フランス語で歌った「サンパティック」がフランスでCMに使われてヒットしたことが、世界に発見される契機となったという。
そしてライブ活動を重ねることで、ヨーロッパから火が点いたらしい。

その頃にフランスに留学して演劇の勉強をしていた「遊◎機械/全自動シアター」の主宰者、役者で劇作家でもある高泉淳子さんは、ピンク・マティーニをフランスのグループだと信じ込んでいたそうだ。

https://youtu.be/nLaY4aksfRo

『サンパティック』以降もゆっくりしたペースでレコードを出していたピンク・マティーニは、3枚目の『ヘイユジーン』というアルバムで「タ・ヤ・タン」をカバーしていた。

そこでぼくはコンサートの中で「1969ラジオ・デイズ」というコーナーを設けて、ラジオからヒット曲が生まれた時代をDJ形式で取り上げることにした。
そもそも「夜明けのスキャット」だって、もとはラジオの深夜放送のテーマ曲だったのである。
そんなことを佐藤氏と話していると、またしても彼からアイデアが湧いてきた。

由紀さんが「タ・ヤ・タン」を歌う時にピンク・マティーニとの共演ってイメージがぼくの中で湧いてきました。
YouTubeでぼくが発見したピンク・マティーニの映像をバックに、由紀さんが「タ・ヤ・タン」を歌うというジョイントです。
それで写真と音源の使用に許可をもらおうと連絡するわけですけど、剛さんが自分でメールを書いたんですよね。

佐藤氏と一緒に文章を考えたりして、ぼくは彼らのオフィシャル・サイトにメールを送った。
するとうれしいことに「いいよ。ぜひ使ってくれ」と、すぐに返事が返ってきたのである。

「ここにアクセスしてパスワードを入れれば、音と資料と画像を落とせるので自由に使ってください」というメールを読んで気づかされたのは、世界の音楽人はこんなふうにインターネットでつながっていて、それを活用してスムースかつスピーディーに仕事をしているということだった。

2009年に開かれた由紀さおりデビュー40周年記念コンサート「いきる~今日からはじまる夢~」は、ぼくが音楽面での流れと選曲を考える一方で、由紀さんの希望で高泉さんが役者として出演することが決まり、演劇的なパートをかなり加えることになった。
そこから全体の構成と演出も彼女にお願いすることになり、とても充実した内容に仕上がって公演は大成功だった。

そして彼女とも「サンパティーク」からつながっていたことが、明らかになってきたのである。
やがてピンク・マティーニの来日コンサートが実現することになり、そこで由紀さんがゲスト出演したことから交流が本格的に始まっていった。

2011年に大ヒットしたコラボレーション・アルバム『1969』が生まれたのは、そうした流れを振り返ってみれば、今では必然だったような気がしている。

ライブ情報

<PINK MARTINI来日公演>

日時:
10月27日(土) 1st Start 6:30pm / 2nd Start 9:00pm
10月28日(日) 1st Start 5:00pm / 2nd Start 8:00pm
10月29日(月) 1st Start 6:30pm / 2nd Start 9:00pm

会場:ブルーノート東京

メンバー:
トーマス・M・ローダーデール(ピアノ)
チャイナ・フォーブス(リードヴォーカル)
ギャビン・ボンディ(トランペット)
アントニス・アンドレウ(トロンボーン)
フィル・ベイカー(ベース)
ダン・ファーンレ(ギター)
ニコラス・クローサ(ヴァイオリン)
ティモシー・ニシモト(ヴォーカル、パーカッション)
ブライアン・デイビス(パーカッション)
ミゲル・バーネル(パーカッション)
ラインハルト・メルツ(ドラムス、パーカッション)

BLUE NOTE TOKYO公演ページ
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/pink-martini/

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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