恩師・久世光彦に導かれて、女優の小泉今日子が歩んできた道のり  vol. 3

Column

第3回 今日子がこんなに頭のいい子だとは

第3回 今日子がこんなに頭のいい子だとは

 脚本家の向田邦子は1981年8月22日、遠東航空の旅客機が空中分解して墜落する事故に台湾で遭遇、51歳という若さで亡くなりました。久世光彦はそれから14年後、20年来のパートナーだった彼女との出会いと思い出を書いたエッセイ集を出版します。その「触れもせで 向田邦子との二十年」の帯に載せる推薦文を依頼されたのは小泉今日子でした。久世光彦はこのときのことを、このように書き残しています。

 賢い女の子である。これもつい先頃、私が、向田邦子さんについてのエッセイを出したとき、小泉が推薦文を書いてくれた。
頼んだ翌日ファックスが届いて、まずこう書いてあった。

《私は書くことが下手くそなのでこれでいいのかわかりません。変だったら使わないで下さいね》。
それにつづく本文を読んで、私は驚いた。
《私は今、ここにいるのに、ちゃんとこうして久世さんにも出会えたのに、向田邦子さんに出会えなかったことが、くやしくてたまりません。小泉今日子》。
身びいきでなく上手いと感心した。ほとんどプロである。
まず自分と直接面識のなかった向田さんとの接点として私を置き、《私に出会えた》というフレーズで著者である私を立ててくれた上で、最後にはキチンと主目的である向田邦子に焦点を合わせている。
出版社には申し訳ないが、私の本のために書いてくれたどんな惹句よりもセンスがあって、上手で効果もある。
ふだん自分で、頭が悪い、頭が悪いとあんまり言うので、長らくそうかと思っていたが、本当は賢いのだということが、今回はじめてわかって、私は幸せである。
久世光彦著「ひと恋しくて~余白の多い住所録」(中央公論社)より

帯の文章を褒められた当の小泉今日子は、その時のことをこんなふうに語っています。

「バカだバカだと思っていましたが、今日子がこんなに頭のいい子だとは思っていませんでした」って(笑)。そういう言葉は本当に嬉しかったですね。ああ、いつも私のことを見ていてくれるんだって。
月刊「東京人」2009年9月号「向田邦子と久世光彦 昭和の東京」より

最初から小泉今日子を女優として注目していた久世光彦は、デビュー作となったテレビ朝日の『後は寝るだけ』(1983年)に続いて、『おかあさん-たぬき屋の人々』(1985年)、『花嫁人形は眠らない』(1986年)とドラマに起用していきます。
そして新米レコード・ディレクターに扮した小泉今日子が主演した長時間ドラマ、『艶歌・旅の終わりに』が1988年2月26日にフジテレビでオンエアされました。
それが完成した際に開かれた試写会について書いた文章に、久世光彦にとって小泉今日子という女優の存在がどんなものだったのか、それを時間の経過を追って明らかにしていく描写が出てきます。

 小泉今日子という女優を追いかけ回して、もう五年になる。初めから私にとっては女優であった。最初は『後は寝るだけ』という絶望的なタイトルのドラマで、これは悲しいことにほとんどの人が見ていない。毎回、ビデオに撮ってみてくれたのは、唐十郎・李礼仙の夫妻くらいのもので、これでは当たるわけがない。
<略>
ずいぶんいろんなキョンキョンをとってきたが、そのたびにいつもドキドキさせられる。目が合うと、こっちの目が泳ぐ。名誉のために言っておくが、誰にでも泳いでいるわけではない。私がひそかに動悸し、紅潮するのは、沢田研二とコイズミだけである。
小泉今日子は十七歳で既に童女の顔と娼婦の眼とを併せ持っていた。十九の春には、悲しい人はよく笑うという切ない人間の真実をいとも簡単にやってのけ、二十二歳の今回は相手に負担をかけない愛、自分の孤独ゆえに相手の孤独に立ち入らない大人っぽい優しさ、そんな厄介なもの消して湿っぽくなく明るく表現してみせる。一年ごとの、あまりに鮮やかな変化に呆れてしまう。
マスコミ関係の試写会の後の挨拶では「このドラマを見て、自分の若さの可能性に自信を持ちました」などと恐ろしいことを可愛い顔で言ってのける。
そんな小憎らしくもチャーミングな娘なのだ。
週刊朝日1988年1月22日号「しごと日記から」久世光彦の巻⑧より

その後も小泉今日子は久世光彦が演出するドラマ『華岡青洲の妻』、『花迷宮・昭和異人館の女たち』、そして向田邦子脚本の”新春シリーズ”『風を聴く日』と『終わりのない童話』に出演していきます。そして二人の最後の作品になったのが、2003年2月16日にWOWOWで制作された『センセイの鞄』でした。
これは第40回ギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞、日本民間放送連盟賞番組部門テレビドラマ番組最優秀賞を受賞し、小泉今日子もまた芸術選奨文部科学大臣新人賞に選ばれました。
久世光彦が虚血性心不全で急逝したのは、それから3年後のことです。

いつものように送られてきた最後のファックスには、愛弟子に向けて含蓄のあるこんなことが書いてあったそうです。

「最近は今日子も大人になって、いろんなことが堂々と立派にできるようになりましたね。鼻が高いような気もするけれど、僕は、いつもゆらゆらしていて、危なっかしい今日子が好きだから、あまり上手いということにはこだわらないように、上手いの先には、そんなに広い世界はありません」

小泉今日子は恩師が亡くなってから2年後に、「久世さんのことを見てきた者のひとりとして、後輩たちにもちゃんと伝えていかなければ」と、2007年に自ら行動を起こします。それが小泉今日子の朗読と浜田真理子の歌と演奏による舞台、久世光彦を偲ぶ「マイ・ラスト・ソング」公演です。

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文 / 佐藤剛

イベント情報

久世光彦 マイ・ラスト・ソング2016―歌謡曲が街を照らした時代―

末期(まつご)の刻(とき)に1曲だけ聴くことができたら、あなたはどんな歌を選ぶか……。
久世光彦が残した123篇ものエッセイに綴られた歌への想いを、小泉今日子の朗読と、浜田真理子のピアノ弾き語りで伝えるライブが開催されます。

「マイ・ラスト・ソング」は今は亡き久世光彦さんが、生涯を通して出会った忘れ得ぬ歌の数々を、1992年から2006年までの14年間に渡って書き綴ったエッセイです。
それらの珠玉のエッセイを女優の小泉今日子が丁寧に読み、恩師・久世光彦について語り、シンガー&ソングライターの浜田真理子がピアノを弾いて歌います。
その時、3人の表現者のそれぞれの想いは時空を超えて交錯し、現在が過去になり、過去が未来になり、
奇跡の瞬間が現出することになるのです。
(「マイ・ラスト・ソング」構成・演出/佐藤 剛)

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2016年5月6日(金) ・5月9日(月)
会場:三越劇場 日本橋三越本店 本館6階 (東京都中央区日本橋室町1-4-1)
構成・演出:佐藤剛
エッセイ:久世光彦
出演者:浜田真理子(歌・ピアノ)  小泉今日子(朗読)
主催:NPO法人ミュージックソムリエ協会

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