恩師・久世光彦に導かれて、女優の小泉今日子が歩んできた道のり  vol. 4

Column

第4回 小泉今日子が伝え続ける「マイ・ラスト・ソング」

第4回 小泉今日子が伝え続ける「マイ・ラスト・ソング」

 久世光彦は2006年3月5日に急逝するまで、「もし死ぬ間際に、最期の刻に、一曲だけ聴くことができるとしたら、あなたはどんな歌を選ぶだろうか」というテーマで、歌についてのエッセイ「マイ・ラスト・ソング」を雑誌の「正論」(産経新聞社)で14年間にわたって連載していました。そこで忘れえぬ風景や時代とともに取り上げられた歌は、全部で100数十曲にも及んでいます。
小泉今日子はそれを受け継いで伝える役割を果たそうと、2008年にシンガー・ソングライターの浜田真理子と二人で「マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか」を舞台化しました。それは久世光彦の仕事を後世にきちんと伝えていきたいという思いから始まったものです。


浜田真理子作品一覧 配信/視聴はこちら(mora)


舞台化された「マイ・ラスト・ソング」について、小泉今日子はこのように語っています。

私も昭和時代に青春を過ごしたので、久世さんがお好きだった昭和歌謡の雰囲気とか、歌の中に描かれている昭和の女性の姿というのが、やっぱり好きなんですね。それこそ、向田さんの作品の中に出てくる女性じゃないけど、女であることの悲しさというか、仕方なさというか、でも、決して恨みがましい気持ちじゃなくて、それを受容する豊かさみたいなものがあって。
向田さんがもっと生きていらしたら、現代のものもたくさん書かれていたと思うんです。久世さんも、昔はアヴァンギャルドなものも作っていたじゃないですか。だけど、向田さんがいなくなったことで、今の私みたいな気持ちが久世さんの中に生まれて、昭和というものをより大きなテーマにしていったのかもしれないって。そんな気がするんです。

舞台のオープニングは毎回、久世光彦が書いた文章の朗読から始まります。

 「同棲時代」の劇画家・上村一夫は酔うときまって「港が見える丘」を唄った。
もちろん破調、乱調の「港が見える丘」である。
いかにも辛そうに身をよじり、もともと怪しいギタアの手もとはもつれ、歯と歯の間に隙間があるのでそこから息が洩れて歌の文句は聞きとりにくい。
けれど春の夜、満座は妙にしんとしてこの不思議な歌を聞いてしまう。
私などはその度に泪ぐんでしまう。
それは、まるで陽炎みたいにとりとめもなく生暖かい「港が見える丘」なのである。
久世光彦著「マイ・ラスト・ソング」文藝春秋より

戦後間もない1947(昭和22)年に発表された「港の見える丘」は、新人の平野愛子が歌ってヒットした和製ブルース。太平洋戦争が始まってからは、戦意高揚の勇ましい歌ばかりが推奨されて、アメリカのジャズやブルースは敵性音楽として、聴くことはおろか歌うことも禁じられていました。だからバタ臭くて物憂いブルースの「港が見える丘」が大ヒットしたことは、戦争が終わったということを実感させる象徴的な出来事だったのです。
その歌を12、3歳から聞いてきた久世光彦は年下の友人だった上村一夫が、自分でギターを弾きながら歌う「港が見える丘」の向こうには、〈戦後〉が揺らめいて見えるという名文を書き記しています。このようにして大衆的な歌謡曲を語ることによって、昭和という時代の空気や忘れてはならない人についての記憶が、次世代へ受け継がれていくことが可能になるのです。
ところで女優の小泉今日子がどう変化してきたのかについて、久世光彦は演出した「センセイの鞄」を終えた後で、以下のように正確に分析しています。

 四十年も演出という仕事をしていると、余裕の表情や声がある時期に変わったり、周囲に醸し出す空気の色や匂いが、違ってきたりするのに出会うことが、ときどきある。このごろ出色の例は小泉今日子で、つい最近の『センセイの鞄』で、彼女の変わり方を見て、私はかなり驚いた。もともと好きな女優で、彼女が十六歳だった『後は寝るだけ』というドラマ以来、今日まで二十年の間、ほどほどの感覚で一緒に仕事をしてきたが、目立って彼女の表情や動作に、陰影が色濃く出始めたのは、先年の『風花』という相米慎二の映画からだった。――たとえば、なにげなく街を歩いている後ろ姿に、都会の憂鬱というようなアンニュイが滲んでいた。そっけない無表情の横顔に、恋の悶えが突然揺れて見えた。人の心の中の、さまざまな矛盾を、不用意と言っていいくらい正直に、表へ出すようになった。これは小泉今日子の〈演技の変化〉ではなく、〈生きていることの自覚〉の変化ではないかと、私は思うのだ。
久世光彦著「歳月なんてものは」幻戯書房より

そんな気配の変化が見え始めたのは、小泉今日子が父親を亡くした頃だったことだと思い当たった久世光彦は、近親の死というものについてこんな感慨を抱きます。

この人の歩調に乱れが見え始めた。呼吸が不規則になった。投げやりとさえ思われる、ある〈放棄〉の色を目に浮かべるのを、私は見た。つまるところ、ある人を変えるのは〈人の死〉なのではないかと私はそのとき考えた。
(略)
昨日元気だった人が、今日はもういない。年の順でもない。部屋の中に、ポッカリ一つ空席ができて、その後、誰がそこに座っても、どうにも落ち着かない。生きているということは、周りに空しい空席が次々とできることなのか。ということは、自分にだっていつか、席を立っていく日が来るのだ。――そして小泉今日子は、静かに変わっていった。
久世光彦著「歳月なんてものは」幻戯書房より

誰しも死から逃れられるはずはなく、したがって人が死ぬことはとりたてて特別のことではありません。とはいえごく当たり前で日常的なことであったとしても、その後に周囲に与える変化は人それぞれにさまざまです。
久世光彦と小泉今日子の代表作となった『センセイの鞄』は、37歳のごく普通の女が、70歳の元高校の国語の先生と恋に陥る物語です。淡々としたメルヘンにも見えますが、実はすごくリアルな話でもあります。主役の月子を演じた小泉今日子について、久世光彦はこう述べています。

 小泉今日子が素晴らしかったのは言うまでもない。試写が行われた池袋の劇場では、大勢の観客が泣いていた。特に男が泣いていた。『センセイの鞄』の月子は生き生きと走り、滑稽に転び、喜びにあふれてセンセイに抱かれ、やがて、真っ逆さまに絶望の底に落ちていった。恋の喜びと死は、いつだって背中あわせであり、死の予感のないところに、恋は生まれない。
久世光彦著「歳月なんてものは」幻戯書房より

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最後は小泉今日子が恩師に向けて書いた、この手紙で締めくくりたいと思います。

 前略 久世光彦様

あなたが急に逝ってしまってから、もう5年の月日が過ぎました。あなたが大好きだった、歌について綴ったエッセイ「マイ・ラスト・ソング」を、浜田真理子さんの素敵な歌声と私の朗読で聞いていただくという舞台をここ数年続けています。そちらにも聞こえていますか?
「浜田真理子の歌っていうのはなんともいいもんだねぇ」なんて感心していらっしゃるのではないかしら。それから、「小泉今日子は相変わらず朗読が下手だなぁ」と呆れていらっしゃるかも知れませんね。
ナレーションが上手にできなかった私に、毎日声を出して新聞を読め、と教えてくれたのは私が17歳の時でした。私にとって恩師と言える唯一の存在。演技を通してたくさんのことを学びました。昭和の歌謡曲が好きなのも、純文学が好きなのも、センチメンタルが好きなのも、ユーモアが好きなのも、全てあなたの影響のような気がします。出会う以前からあなたのドラマが大好きだった私ですしね。
真理子さんも私と同世代。もちろん久世ドラマを見て育ったと言っていました。
そんな私たちの『マイ・ラスト・ソング』は少しずつ成長しています。森繁さんや美空さんと一緒にふらっと遊びに来てください。いやいや、森繁さんや美空さんの前ではおそれ多くて緊張してしまうから、やっぱり一人でお越し頂けると幸いです。

では、どこかの街で。

早々
小泉今日子

文 / 佐藤剛

イベント情報

久世光彦 マイ・ラスト・ソング2016―歌謡曲が街を照らした時代―

末期(まつご)の刻(とき)に1曲だけ聴くことができたら、あなたはどんな歌を選ぶか……。
久世光彦が残した123篇ものエッセイに綴られた歌への想いを、小泉今日子の朗読と、浜田真理子のピアノ弾き語りで伝えるライブが開催されます。

「マイ・ラスト・ソング」は今は亡き久世光彦さんが、生涯を通して出会った忘れ得ぬ歌の数々を、1992年から2006年までの14年間に渡って書き綴ったエッセイです。
それらの珠玉のエッセイを女優の小泉今日子が丁寧に読み、恩師・久世光彦について語り、シンガー&ソングライターの浜田真理子がピアノを弾いて歌います。
その時、3人の表現者のそれぞれの想いは時空を超えて交錯し、現在が過去になり、過去が未来になり、
奇跡の瞬間が現出することになるのです。
(「マイ・ラスト・ソング」構成・演出/佐藤 剛)

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2016年5月6日(金) ・5月9日(月)
会場:三越劇場 日本橋三越本店 本館6階 (東京都中央区日本橋室町1-4-1)
構成・演出:佐藤剛
エッセイ:久世光彦
出演者:浜田真理子(歌・ピアノ)  小泉今日子(朗読)
主催:NPO法人ミュージックソムリエ協会

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