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古谷大和&芹沢尚哉らが些細だけれど役に立つ“優しさ”を教えてくれる──舞台『おとぎ裁判』上演中!

古谷大和&芹沢尚哉らが些細だけれど役に立つ“優しさ”を教えてくれる──舞台『おとぎ裁判』上演中!

9月27日から俳優座劇場にて舞台『おとぎ裁判』が上演中だ。
おとぎの国の奥深くにある“幻火(まほろび)の館”通称“Castle Torch(キャッスルトーチ)”。この屋敷の主・裁判官の“アケチ”に判決を求め、おとぎの国の住人たちが毎夜訪れる。しかし、その灯火に照らし出されるのは、残酷で美しいたったひとつのジャッジメントだけ……。
初日前に行われたゲネプロのレポートと出演者による意気込みをお届けしたい。

取材・文 / 竹下力 撮影 / 鏡田伸幸

些細だけれど役に立つ本当の“優しさ”を教えてくれる

今日もウンザリすることばかりだった。つまらない残業続きの仕事に、言い訳ばかりの上司、喧嘩別れした友達、デートに誘っても断ってくるつれない恋人……SNSでは、何千万人の人が、好き勝手言いたい放題で、誰が“正義”か“悪”かわかりもしない。ボブ・ディランは、“明日は明日の風が吹く”と歌ったはずなのに、明日だって期待外れになりそうだ。もし、そんな風に現実に飽き飽きして、心がささくれだって、答えのない“ゲンジツ”に刺激をくれる“ジャッジメント”を求めているなら、彼に任せればいいかもしれない。

おそらく、おとぎの国の奥深くの“幻火(まほろび)の館”、通称“Castle Torch(キャッスル・トーチ)にすむ裁判官の“アケチ”が一刀両断してあなたの心をスッキリさせてくれるはずだ。と、言いたいところだけれど、彼は裁判が大嫌い。おまけに超がつくぐらい面倒くさがりなのだ。だから、答えなんてそうそう簡単に教えてくれない。いや、「教えてやるもんか」とアカンベーをしているようにさえ見える。

舞台は新宿か渋谷かはたまたどこかのドン・キホーテで買ったコスプレ衣装を纏ったメロディ(ロッキン=ヨーコ)の陽気な掛け声で始まる。そこはおとぎの国の“Castle Torch”という洋館。ヨーロッパの古の文献で見る裁判所を感じさせる荘厳な舞台装置だ。そこに執事のジュード(東 拓海)がやってきて、今日もアケチ(古谷大和)に裁判をしろと命令する。アケチは全然乗り気ではない。まったく持ってやる気はなし。

彼の元に、アリとキリギリスがやってくれば、北風と太陽も“有罪”か“無罪”の“ジャッジメント”を求めてくる。誰かが誰かを傷つけたがっている。おまけに、通りすがりの王子(小林健一)は、ラプンツェルという名前のとても綺麗な女の子だと思って近づいたら、なんだか得体のしれない“おっさん”だから詐欺だと訴える間抜けな裁判も続けば、アケチはウンザリしていくばかり。それでも裁判は続いて、そこに弁護人のブルー(古畑恵介)と検察官のロブ(芹沢尚哉)がやってきて、とある法廷が開延する。なんと赤ずきん(古賀 瑠)のおばあさんがオオカミに食べられてしまったというおとぎ話は、オオカミのせいではなく、赤ずきんの謀略や陰謀の類ではないかというのだ。そして伝説の弁護人ドロー(小林健一)が登場して法廷をかき回していけば裁判は泥沼化していく。一体、どうなってしまうのか……。

おとぎの国にいる幾人かは決して現状に満足をしていない。彼らは“ゲンジツ”の世界に旅立ちたい“キラー”という存在であり、そのために、彼らにとって絶対的存在の伽相手(とぎあいて)を満足させる必要があるという。裁判は、伽相手を楽しませる一種のゲームなのかもしれない。彼らはメルヘンの国にいながら、ジョージ・オーウェルの『1984』のビッグ・ブラザーのように監視されているように見える。まるでどの世界にも自由がないという悲壮感や現代を揶揄したような世界観は、脚本の神楽澤小虎(MAG.net)によって見事に再現されている。悪意に満ちた巨大な権力を持つ者が、一般市民である我々の“正義”と“悪”をジャッジしたら? そんな仮定も提示している。この舞台は、現代という時代に孕んだ危険性を訴えてくるタイムリーな作品でもある。

物語はダークな様相を呈していそうだけれど、観客参加型なので、事前にトーチ(レンタルもされている)を持ってメロディの煽りがあればノリノリになれる。DJメロディがかける陽気な桑原まこの音楽で、バラードを、ダンスナンバーを、カンパニーが歌い上げれば、一夜限りのパラダイスが広がる。演出の村井 雄の“スカし”の技術が活きていて、振付の野田裕貴のリズミカルで華やかなダンスや歌を、観客がずっこけるようなタイミングで差し込ませれば、思わず脱力して、笑ってしまう。

ブルーの古畑恵介は、なんだか一癖も二癖もある役を演じる。声優でもある彼は、台詞はどこまでも伸びやかで、台詞のトーンを変えるシーンでは声質を大きく変化させる。居住まいは凛としているキャラクターだけれど、声だけで観客を惹きつける魅惑的な演技だった。

執事のジュードの東 拓海は、アケチに従順に仕えるファニーなキャラクターなのに、ダークサイドな一面も見せるので、実際のおとぎの国は背筋が凍るような世界ではないか、という現実よりも過酷な現実を観客に感じさせる演技が印象的だった。

ドローの小林健一は、唯一“ゲンジツ”の真実を知っている。つまり、“ゲンジツ”の過酷さを知っている。そこで何が行われ、どんな辛いことが待っているのか。どこか達観した演技が見事だった。通りすがりの王子役とのギャップも楽しい。

赤ずきんの古賀 瑠は、なんと14歳だ。にもかかわらず、自身で振付したというタップダンスの腕前には唸らせられたし、台詞回しも達者だった。これからどんな“役者”になるのか、是非、“推し”として推奨したい。これからが楽しみな逸材である。

ロブの芹沢尚哉は、ナルシストで派手好きなのは、衣裳を見れば一目瞭然だけれど、検察官としての誇りを失っていないし、何より“ゲンジツ”に対して忸怩たる思いを抱えている。彼の内面は、素直だし清らかなのだ。彼はどんなに頑張ってもおとぎの国でしか存在できないかもしれない、そんな危うさを感じさせるフラジャイルな演技だったと思う。

アケチの古谷大和は、どの舞台で彼を観ても嘆息が漏れるというか、役が憑依しているのだ。いつも感じてしまうのは、映画『シザーハンズ』のジョニー・デップの頃のような透き通った芝居。今回は、やる気もなくて、どんなにジャッジをしても、伽相手を満足させるだけのために従属して生きることに疑問を覚えて不満をぶつける苛立った存在を演じきった。まるで現代人すべての心情を吐露する演技に舌を巻く。

演出の村井 雄は“スカし”で笑いを取りつつも、徐々に観客に現実の有様、今の日本の現状を直視する“勇気”の必要性を訴えかけてくる演出に見応えがあった。

結局のところ、明日だって現実は退屈かもしれない。明後日だって退屈かもしれない。それでも、この舞台では未来を信じる大切さを訴えかけてくる。我々を操るようなフィクサーがいれば、背筋を伸ばして立ち向かえばいいではないか。誰かに判断を委ねなければならないことがあるなら、そんなことは止めて、自信を持って自分の道を歩めばいい。胸を張って堂々としよう。歩み続けた先に広がる世界が真の“ゲンジツ”ではないか。といっても、声高でなく、笑いと、涙と、少しスパイスの効いたシニカルな姿勢で伝えてくれた。
そして、今日ぐらいは、喧嘩したばかりの友達と、嫌いな上司と、つれない恋人と一緒に、お酒でも飲みに誘いたい気分にさせてくれる。あるいは微笑ましいSNSの動画に“いいね”を押してみたくなる。誰かが誰かのためにちょっとだけ頑張って生きてみる。そんな些細だけれど役に立つ本当の“優しさ”を教えてくれる舞台なのだ。
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