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バンクシー、ニューヨークに行く。“良き先輩”そして“永遠の宿敵”アメリカへのジレンマ

バンクシー、ニューヨークに行く。“良き先輩”そして“永遠の宿敵”アメリカへのジレンマ

これだけ情報過多な社会の中で、自分が何者であるのかその素顔を一切明かさず、匿名のままで世界的に有名になったアーティストが他にいるだろうか。路上で作品を展示して市民には無料で公開する一方で、企業や組織とは一線を引いてインディペンデントな活動を続けるストリートアーティスト、バンクシー。当初から、ナイキをはじめとする大企業のオファーは一切受けず、その代わりに盲目の子どもたちを助けるNPO団体やパレスチナ自治区に献金をしたり、逮捕されたアーティストの保釈金を肩代わりしてきた。
故郷イギリスでは、グラフィティを厳しく取り締まる条例がある中で、バンクシーの作品は撤去しないよう通達を出している地区も少なくない。アーテイストとしてこれ以上冥利に尽きる功績はないのではないだろうか。作品が、その文化的、経済的価値を認めさせて、規制条例をも覆したのだから。

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バンクシーのアート哲学とこれまで

 英国・ブリストル出身のバンクシーが世界的に有名になったのは、イスラエルが国際法に違反しながらパレスチナに建設中の分離壁に、壁の向こう側に広がる美しい景色を描いた2006年のこと。「パレスチナの分離壁は、グラフィティアーティストにとって、もっとも腕のふるいがいがある最高の旅行先である」と声明文を発表したバンクシーの作品は世界各国の新聞やテレビで大きく取り上げられた。バンクシーは、より侵入困難な場所に作品を残すことが勲章になるグラフィティ文化の慣習を踏襲しながら、侵入困難な場所を“政治的な議論の集まる場所”かつ“民主主義を拒む壁”へと、グラフィティにおける「壁」の定義を刷新させたと同時に、どの国も他人事とは言い切れない中東の人道問題をストレートに扱った作品が話題になった。

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 その後も、ニューヨーク近代美術館や大英博物館で白昼堂々誰にも気づかれずに自分の作品を勝手に展示したり、初監督した映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010)は、第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートして話題をさらった。さらに昨夏には、ディズニーランドを風刺した<ディズマランド>を期間限定オープン、終了後にはその廃材をフランスの難民キャンプに送ってシェルターを作って提供するという、男前っぷりを見せてくれた。社会的メッセージ性の強い作品を発表する一方で、企業が作品を無断転用した和解金などをNPO団体に寄付するという活動も陰ながら続け、定期的にSNSやメディアを賑わせているのに、その正体はいまだ謎だ。そして“正体不明”を貫いたまま、今日も世界各国の路上でゲリラ的に作品を発表するために水面下で活動を続けている。

 そのバンクシーが、ニューヨーク市内で1ヶ月間、毎日1つずつ路上に作品を残すという “アーティスト・イン・レジデンス”を行った全記録を収めた映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』が、とうとう日本でも封切られた。2013年10月に1ヶ月間かけて行われたこのプロジェクトは、バンクシーがこれまで行ってきた作品の中でも、大規模かつ長期的な作品になる。

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 「ニューヨークのみなさん、こんにちは。このたび市内て?1ヶ月ほと?展覧会を行うことにしました。場所? それは、俺にもわからないんだけどね」という突然の声明文が公式サイトにアップされて始まったこのプロジェクトが現代アート業界だけでなく、ニューヨーク市全体を巻き込む一大騒動に発展した狂乱の日々を、映画はリアルに再現している。

 今回の仕掛けはこうだ。バンクシーは作品を設置するたびにインスタグラムに写真をアップしたが、設置場所は明かさなかったため、実際の作品を一目見ようとするファンや画商が連日スマートフォンを片手に市内を探し回った。その騒ぎを受け止めた市長は改めて「グラフィティは違法」と声明文を発表する事態に陥り、警察は威信をかけて“バンクシー逮捕”を掲げて包囲網を張り、その騒ぎを追うマスコミが市内を駆け巡った。かくして、ストリートを舞台に、ソーシャルメディアを駆使した壮大な「バンクシーの宝探しゲーム」がスタートした。

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“お騒がせアート”といえば、それまでかもしれない。しかし映画を観ればわかるように、今回のバンクシーのプロジェクトに関わった人の裾野は広い。熱狂するファン、冷笑する批評家、市長や警察のように不本意にも巻き込まざるをえなかった人たちーー。ストリートアートや現代アート業界だけでなく、白人も黒人もスパニッシュもアジア系も、エスタブリッシュなお金持ちからゲットーの若者たちまで、老若男女さまざまだった。かつて、これほどまでに人を巻き込み、議論を巻き起こした「開かれたアート」があっただろうか。
 もちろんニューヨーカーのノリの良さもプロジェクトを大きく手伝っている。作品の一部になるようにポーズを取って記念撮影をする人、作品の設置場所にたどり着いたものの、作品は撤去されていて見知らぬ人同志で慰めあう人、ゲットー地区では地元住民から「(何もなければ)普段はこんな地域までわざわざ来ないよな」と1回5ドルの撮影料を求められる人など、さまざまな群像劇が展開するさまもおもしろい。インターネット時代に、これだけたくさんの人々がネットにアップされた作品の現物を見に行こうとすることにも驚きだが、人々が普段行かない場所に行って、普段出会わないような階層や人種の人たちが、作品を媒介して出会ったり議論を交わしたりする様子が新鮮で、バンクシーは市民の反応や行動までを見越して、このプロジェクトをデザインし、作品を日々投下したのではないかと思えてくる。都市や社会構造の予定調和を壊してオルタナティヴなコミュニケーションを生む「祭」のような要素もあるし、企業が公共空間を私物化する都市問題など、普段見え難くなっている問題を可視化させる批評や報道性、ソーシャルエンゲージドアートの要素も含んでいると言えるだろう。

 映画では、実際に市民がSNSに投稿した現場の実況動画やニュース番組の動画をつないで編集し、バンクシーの1ヶ月間の作品と足取り、市民の興奮や一部の冷笑、そしてニューヨークという都市問題までも克明に記録している。おそらく、このプロジェクトの全貌は、この映画を通じて初めて明らかになった。というのも、現代アート業界では高値で取引されるバンクシーの作品群は、一度路上で発見されたら最後、転売目的で壁ごと持ち去られたり、そうとは知らない行政が違法グラフィティと同様に塗り潰してしまったり、バンクシーに敵意を持つほかのグラフィティアーティストが上書きしてしまったりと、作品の寿命が極めて短命だからだ。

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 それでもバンクシーのアート哲学は「アートは市民のために、路上や都市という開かれた場所にこそあるべきなんだ」(音声ガイドより)と一貫して変わらない。今回のプロジェクトのタイトルも「内側より外側の方がマシ(Better Out than In)」と銘打っている。「内側」とは、美術館・博物館などの閉鎖的な組織や場所のこと。「外側」は、街やストリート、公共の広場を意味している。アーティストにそして市民に「書を捨てよ、町に出よう」という呼びかけにも聞こえる。そのメッセージは、美術作品が投資する金融商品と変わらなくなってしまった現代アート界や、形骸化した地域アートやアーティスト・イン・レジデンスへの批判でもあるし、同時に「アートを解放して民主化し、自分たちの手の元に取り戻そう」という宣言でもある。英国紳士らしく、ブラックユーモアをもったやり方で。

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 バンクシーの作品には、ギリシャ神話や哲学や都市論などさまざまなテキストを参照する作品も多い一方で、中にはわかりやすい風刺漫画のような作品や、そしてただただくだらない作品も少なくない。まさにそこに「1%ではなく、99%側の人間のためのアートをつくる」というバンクシーのスタンスがある。美術史や難解な現代アートのコンテクストの知識がなくても鑑賞できるし参加できる。では、バンクシーは「1%側の人間」は排除しているのか?というと、そうでもない。

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例えば、最新作であるスティーヴ・ジョブスの作品は、フランス政府から弾圧を受けたシリア難民が集まる難民キャンプに描かれた。そこに同じシリアの血を引くジョブスが、初期のマッキントッシュと最低限の荷物を持って、ひょっこり亡命しにやってきたかのようなグラフィティは、シリア難民のアイディンティティや誇りを讃え、励ましのメッセージになっている。その一方で、フランス政府やEU連合に対しては、今回の政府の対応は人道的に正しくないだけでなく、シリア難民を弾圧すれば「次のジョブスもイノベーションも生まれないだろう」という“国益的”にも誤っているという辛辣な批判であり、「市民側として権力を監視している」という警告のメッセージをも内包している。そのように作品の多くは、99%側と1%側、内側と外側、時には自分自身にもその批評性を向けて、多層的に作品が構築されている。99%側の人間だけではなく、1%側の人間に対しても(たとえ批判はしても)排除はしないというバンクシーのスタンスは、徹底して民主主義的だ。

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