Interview

「音楽に関してやりたいことで溢れてる」 そう語る降谷建志が完成させた2枚目のソロアルバム『THE PENDULUM』

「音楽に関してやりたいことで溢れてる」 そう語る降谷建志が完成させた2枚目のソロアルバム『THE PENDULUM』

“Pendulum”とは“振り子”のこと。降谷建志は2枚目のソロアルバム『THE PENDULUM』に、そうタイトルを付けた。
アルバムタイトル曲「The Pendulum」から始まって、3曲、ドラマチックな英語詞の曲が続いたあと、美しい日本語で歌われる「Playground」から3曲の日本語詞の歌が続く。全12曲の日本語と英語の割合は、半々。1stアルバム『Everything Becomes The Music』から3年。より明確になったソロプロジェクトの全貌を、降谷に聞いてみた。

取材・文 / 平山雄一 撮影 / 関信行

振り子が弧を描くように、残像を残しながらまったく同じ経路を辿って端から端に行く

『THE PENDULUM』の制作はいつ頃から始まったんですか?

今年ですね。年始にツアー(Dragonash Live Tour MAJESTIC)のファイナルが横浜アリーナで終わって、そこから本格的にという感じです。

前作『Everything Becomes The Music』を作り終えて、すぐにはソロのギアに入らなかった?

いや。すぐにでもやりたかったですけど、Dragon Ashを出さないといけないんで、曲も貯められないし、物理的に無理だったというだけで。

(笑)。それは、ソロでの音楽的なテーマや歌うテーマが明確にあるから?

いや、歌いたいこと、言いたいことなどは、何ひとつないですよ。Dragon Ashは盛り上げることが正義みたいなバンドで、10代のときからその螺旋の中でしかやっていない。でもそれはそれでちゃんとプライドを持っているし、青春性のみ大切に抱えてやっているバンドなんで。

そこはテーマがはっきりしている。

そう。誰かの体を揺さぶる、突き動かすってことだけに焦点を当ててる。でも、そこに絞って焦点を当てることによって、こぼれ落ちるものが大量にある。その大量にこぼれ落ちたものを、ソロでやっているわけで。

ソロとバンドで、棲み分けがはっきりしているんですね。

もっと細かく言えば、Dragon Ashではピアノも入れないし、ほかにもいっぱい違いはありますけどね。『THE PENDULUM』のテーマ自体は、Dragon Ashの“静”と“動”みたいな、激しいところから急に静寂に行くという大きな緩急の付け方ではなくて、振り子が弧を描くように、残像を残しながらまったく同じ経路を辿って端から端に行く。等価交換の反動で逆の端にも至るという、その感覚を音楽でも出したかったんですよね。だから、歌詞は特に考えていないです。曲に合わせて、そのときそのときなので。

制作作業はスムーズだったんですか?

そうですね。単純にスタジオに入れるのは週に3~4日で。ほかに何も現場がないときは、丸々1週間入ったりもするけど。それを今年の1月からずっと続けてきたという感じかな。

延べ4ヵ月くらい?

いや、終わったのはつい最近です。まだ1ヵ月も経ってない。たしか、〈RUSH BALL〉(8月26日)の2日後が最後のレコーディングだったと思うから、終わったのは8月末〜9月頭くらいですね。

今回のアルバムは「Playground」をはじめ、日本語詞の曲が多い。日本語と英語の歌詞のバランスは6曲ずつで、半々ですね。

1stはほとんど日本語でできなくて。たしか3曲くらいだったんですよ。極論を言うと、日本で活動してるんだから、全部日本語で、英語で乗せるのと同等のスムーズなメロが作れれば、それが一番いいんです。だから今回はできるなら全部日本語でやりたいくらいの感じで臨んだんですけど、やっぱり詞よりメロディ優先で作っていくから、どうしても日本語がハマらない曲もあって。でもDragon Ashより、日本語の割合は全然多いです。

「セントエルモ」という曲の、日本語がキレイに聴こえる歌い方が好きです。情景描写から入る詩の世界もキレイで。光と陰が強調されている一連の楽曲の中で、この曲は象徴的だなと思った。これは普通の光ではないですよね?

この曲の“光”は、比喩として“みちしるべ”ということです。

「セントエルモ」はどういうキッカケで生まれたんですか?

去年の〈京都大作戦〉の1日目はいい感じだったんですけど、2日目が大嵐になって中断したりして、ROTTENGRAFFTYと10-FEETが3曲ずつしかやれなかったのかな。今年は最初から中止になって、さすがに2年連続だったから、心配で京都に駆け付けたんです。俺とSiMのMAHと10-FEETのTAKUMAとKOUICHIちゃんの4人で、KOUICHIちゃんの運転で〈大作戦〉のグチャグチャの現場に行って。そのあと定食屋に行ったり、4人で半日くらいデートみたいな(笑)ことをして、俺は日帰りで帰ったんですけど、そのときに思ったことを書いたのが「セントエルモ」です。

ある種のドキュメンタリーみたいなものですね。

ソロは特に、日記みたいな、ブログみたいな感覚だからね。思ったことを詞にしてるのが多いですね。

1作目のあとにすぐにでもソロをやりたくなったというのは、そういうカタルシスがあるからかな?

カタルシスというより、単純に音楽に関してやりたいことで溢れてるんですよ。Dragon Ashは条件付きでやってるので。

さっき言っていた「青春性」という条件?

そう。要は、ぶち上げられればなんでもいいんですよ。激しくあれればいい。となると、Dragon Ashがキレイなピアノで始まったら、リアリティないじゃないですか。Dragon Ashはいろんなものを犠牲にして、絞って絞って光量を強くしてる。犠牲にするもののほうがはるかに多いわけだから。

リアリティを持ってやれるようになってきた

犠牲!?

犠牲って言っても、それを自分で良しとしてやってるんですよ。その代わり、光量が強い。光量の強さといろんな幅を照らすというのは、どちらかを選ばなきゃいけない。どっちもは得れないからバランスを取るんですけど、バランスを取りすぎると、光量もまあまあ、照らす範囲もまあまあみたいな、よりポップスに寄っていくので。それは悪いことじゃないけど、興味がないんですよ。Dragon Ashは絞りを意図的に強くしてるからこそ、強いエネルギーを人に感じてもらえる。だから、そこでこぼれるものを拾い集めてソロとして形にしていくと、もう1枚や2枚じゃきかないということです。

こぼれるもののほうがはるかに多いだろうし。

そうですね。ソロの1stのときは、ライヴするかしかないかも考えてなかったし、単純にひとりの音楽家として、Dragon Ashの盛り上げ勝負の路線から一歩出て、音楽と向き合うのがテーマだった。で、1stを出して固定メンバーでライヴをするようになって、どういう形でソロの作品を提示していけばいいのか、リアリティを持ってやれるようになってきて。だから今は、1stよりもっと外に向いてます。内省的ということではないですね。

アルバムの曲順は、頭の3曲が英語詞で、次の3曲が日本語詞になってますが、意識的にこの曲順にしたんですか?

結果的にそうなりました。俺、あんまりこだわりないんで、わりと無頓着というか。Dragon Ashのライヴのセットリストも、自分で決めてないですからね。だけど、「The Pendulum」を1曲目に入れたいとか、核となる部分はあって。それを決めていって、あとは埋めていくという感じかな。でも、曲順決めてるときに、頭から英語3曲、日本語3曲だなとは自分でも思いました。

この先もソロを続けていくなかで、日本語詞の割合は増えていきそうですか?

うーん。これを作り終えて、だいぶしっくりはきてるんですよね。日本語と英語のバランスって意味じゃなくて、音楽性も、打ち出してる世界観も、すごくいいところに落ちてくれたなという感覚がある。やりきれてはいないんだけど、やりたいことができた。そのとき思ったことやそのとき打ち出したいものが、うまく真空パックできたなと思ってます。

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