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廣瀬友祐&三浦涼介らが“時代”に抗いながら生きる“漢”を熱演する浪漫活劇『るろうに剣心』上演中

廣瀬友祐&三浦涼介らが“時代”に抗いながら生きる“漢”を熱演する浪漫活劇『るろうに剣心』上演中

10月11日(木)に新橋演舞場にて浪漫活劇『るろうに剣心』が開幕した。原作は和月伸宏の大ヒットコミック。逆刃刀を手に流浪人となった男・緋村剣心の波乱万丈の人生を描いている。そのゲネプロと囲み取材が行われた。

取材・文・撮影 / 竹下力

新しい“時代”に立ち向かう答えを見つけるために

“人”が“時代”を弄ぶのか。“時代”が“人”を弄ぶのか。それは誰にもわからない。江戸、明治、大正、昭和、平成、平成最後の秋、そして新たな時代へ。時代は巡り、人は変わり続ける。時は止まらない。民間人で月へ旅立とうとする人がいるかと思えば、奇しくも新橋演舞場の近くにあった歴史ある築地市場が豊洲に移転した。それは“時代”が“人”をそうさせたのか、“人”が“時代”をそうしたのか。『るろうに剣心』という原作を読んだとき、2年前の宝塚版の舞台、あるいは映画を観たとき、ふとそんな堂々巡りの問いを見つける。

幕末の動乱に翻弄され、文明開化に騒ぐ明治に生きることを余儀なくされた剣客たち──。舞台は、江戸末期、桂 小五郎(三浦涼介)を維新志士がとある場所で出迎えるところから始まる。そこに倒幕を図る桂小五郎を倒そうという新撰組が襲撃してくる。すると長州派維新志士の伝説の人斬り“緋村抜刀斎”(早霧せいな)が、大立ち回りを演じて彼らを簡単にやっつけてしまう。

一方、世にはびこる“悪”を憎む「悪・即・斬(あく・そく・ざん)」を旗印にする斎藤 一(廣瀬友祐)ら新撰組が“悪”と認識している維新志士たちを倒し、島原では同じく新撰組の加納惣三郎(松岡 充)が、名もない人を辻斬りして強盗をしている。まるで内ゲバのように新撰組は焦りと矛盾と内部崩壊の渦中にあった。加納は島原の朱音太夫という女性に熱をあげて金が必要だった。そして桂 小五郎も彼女に入れあげていた。維新志士と新撰組、彼らが争えば、緋村抜刀斎が登場する。そうなる羽目になる。幕末の志士たちと新撰組による立ち回り、そして早霧せいなが高らかに歌う「幕末血風録」。かっこいい。シビれる。

原作も舞台も史実に基づきながら進むので、直接は描かれないけれど、ペリー来航から戊辰戦争、西南戦争など、アメリカからの影響、戦争の不穏な影を感じることができる。そして倒幕。時代は変わる。人も変わる。あるいは“人”が変わったから“時代”は変わったのか。明治になると、緋村抜刀斎は“人斬り”を止め、逆刃刀を携えて“不殺”を誓い、“緋村剣心”として、流浪人となり旅をしている。彼はやがて東京に移る。そして、神谷活心流道場師範代の神谷 薫(上白石萌歌)の元に居候し、相楽左之助(植原卓也)、明神弥彦(ゲネプロでは加藤憲史郎)らとなごやかに、時代の変遷に合わせてつつましく生きているように見えた。

しかし、“時代”は平和を許さない。トラブル続きだ。斎藤は警視庁に務め、警官として勤務する裏で、政府の密偵として暗躍する。かつては幕府の御庭番衆だった四乃森蒼紫(三浦涼介)は、倒幕で行き場所を失い、武田観柳の用心棒となり、抜刀斎(剣心)を倒して名をあげようとしている。一方、フランスに影響を受けたという加納惣三郎はジェラール山下と名乗り、西洋武器の商売に手を染める。さらには、医師の高荷 恵(愛原実花)らが病人のために作ったはずの薬物“阿片”が東京中に蔓延し中毒患者が溢れ……果たして時代はこれでいいのか。

設定は明治時代だが、起こっている出来事は、ケンドリック・ラマーのコンプトンか、はたまたエミネムのデトロイトでもおかしくない喧騒と荒み具合。銃社会やドラッグ社会といった社会の闇が、明治時代の日本にもリアルに垣間見える。やはりどこの国も、どの時代にも平和は訪れないのだろうか。そんな重厚な問いかけもこの舞台から感じる。

緋村剣心を演じる早霧せいなは、2年前の宝塚版からさらなる研鑽を積んで、殺陣に歌に縦横無人の活躍。何より性格が底抜けに明るい。今作の希望の光のような存在だ。また、神谷 薫 役の上白石萌歌が、あどけなさを残しながら父の遺産である武道場を立ち直らせたいと奮闘する様に心打たれる。加納惣三郎 役の松岡 充はまさに“時代”に変えられてしまった“人”を演じる。いや、もともとそういう“人”だからこそあの“時代”に求められたのか。金と武器とドラッグにまみれ、豪華な洋装の悪役を熱演した。

だが、もっとも時代に右往左往させられた人物といえば、斎藤 一と四乃森蒼紫のふたりが挙げられるだろう。斎藤は、幕府を守る新選組三番隊組長だったのに、維新後は明治政府の警官(警部補)となってしまう。しかもかつては敵対していた政府の密偵となり暗躍する。いくら己が信念を曲げずにいても、その屈託はいくばくたるものか。もちろん、うかがい知れることはできないが、舞台で斎藤を演じている廣瀬友祐の鋭い目に宿る眼光や仕草やぶっきらぼうな口調に、時代に対してやきもきした気持ちをわずかながら感じたのは気のせいだろうか。

廣瀬の大きな体躯がぎこちなく空間に収まっているように見えて、時代への反抗心が浮き彫りになるような圧巻の存在感を放つ。彼はつねに苛立っているように見える。右手を前に突き出し、左手で刀を持ち地面と水平に一直線に突き出す彼オリジナルの必殺技“牙突”は、彼の一本気な孤独のありようを表現しているようだ。半ばやけっぱちになって、時代の渦に飲まれていく苦みばしった演技が絶品だった。

四乃森蒼紫は、史実でも実在しているか定かではなく、まさに闇の中の人なのだが、隠密行動を生きる糧にした男が、時代が変われば、存在できる居場所さえなくなる。行き場所を失い、自分の意義すらなくなりそうになって、用心棒として身をやつすことで必死に時代にしがみつく。そうして、ただ闇雲に己の強さを求めることでしか自分を証明できない人間の存在は、江戸という時代に取り残されてしまった悲しさを表現しているようにも見える。彼も“時代”に翻弄されたひとりなのだ。

何より三浦涼介の物憂げな目線のかっこよさ、さらにアイシャドウを入れたメイクが実に見事で、彼から漂う悲しさが如実に表れている。何より、彼の負のオーラというか佇まいに凄まじい迫力が満ちている。時代が変わって、行き場所のなくなった悲壮感が、どこか現代人にも通底する普遍的な雰囲気として劇場からこぼれ落ちそうだった。桂 小五郎と二役だったが、桂は“時代”の風に乗り、いずれ政(まつりごと)の中心に位置する成功者となる役どころなので、落差のある演技が余計に四乃森の悲しさを浮きだたせていたように思う。

廣瀬も三浦の殺陣も見どころがあったし、歌も聴きごたえ十分だったけれど、ふたりは、存在自体が悲しい、切ないという、人間の本来持っている“負”の部分を饒舌に表現しているようで観ているだけで心打たれる。“時代”に翻弄された“人”の悲しさ。彼らは時代の変化の軋轢で生まれた被害者なのだ。だけど彼らは前を向いている。たとえどんなに信念を曲げようが、悪徳に手を染めようが、とにかく生きるという健気さに勇気をもらったような気がする。この舞台の登場人物はそんな“いじらしさ”を歌や演技で表現するのも見どころだ。

来年は確実に“時代”が変わる。その渦に飲み込まれる人はどれだけいるだろう? 再来年にはオリンピック、うまくいけば大阪万博まであるかもしれない。時代は蠢く。税金は上がるかもしれないし、政治も変わり続ける。そして人は変わらなくてはならなくなる。その中で変われなかった人はどうしたらいいのだろう? 『るろうに剣心』は、時代の変遷に否応なく飲み込まれた、悲しい人間を描いた作品でもあるような気がするのだ。それはうがった見方だろうか。

この舞台にのめり込めばのめり込むほど、“人と時代の関係性”を知ることができる。原作は1994年にスタートしているから、まさにバブルが弾けて、人々が行き場を失いかけ始めた矢先だ。時代から疎外されていく感覚。そこからアパシーに行きつくのは世の常だ。明瞭時代活劇のようにひとりの正義のヒーローが悪党をバッタバッタとやっつけていくというより、人斬りだった男が、とある事情で人をまったく斬らなくなる、あるいは斬れなくなって“不殺”になる。時代の移り変わりで自己が確立できなくなってしまった人間の悲しい倒錯模様が見事に描かれている。まさに女性の早霧せいなが男性を演じる、それが象徴のように見えた。それでいて、舞台では残酷な人間模様も時代のつらさもカラフルに表現されているから“楽しさ”と“悲しさ”のコントラストが美しくて、こらえきれずに何度も泣きそうになる。

この作品の面白さはそんな影を影とも感じさせない、キャラクターたちの今を120パーセント明るく生きていることに魅力がある。そして音楽監督の太田 健は宝塚歌劇団に所属しているだけあって、音楽の見せ方が実にうまい。手練れだ。まさに宝塚のレビューのように、音楽を可視化してしまう。あのやるせない時代、でも底抜けに明るい『るろうに剣心』を立ち上げる。舞台を最後まで飽きさせずに観させてしまう。

脚本・演出の小池修一郎は、登場人物たちの抱える屈託を露骨に表現しない。かつてイギリスのミュージシャンのジュリアン・コープは「自分自身がどれだけひどい状況でも、それをエンターテインメントにするのがアーティストだ」といったようなことを語ったが、まさに、歌も、踊りも、殺陣も、ダンスも、個人の悩みや時代の閉塞感を時代の彼方へぶっとばす、ひたすら楽しいものに仕上げている。

2年前の宝塚バージョンからさらにブラッシュアップされ、思いっきり楽しむことができるエンターテインメントとして見事に仕上がっているからこそ浮き彫りになる“時代に翻弄された人の悲しさ”あるいは“時代を翻弄した人の業”。だが、人はたくましくもあり、傲慢に生きている。時代は我々をいかようにも変えてしまうかもしれないが、それでも生き延びることが重要であると登場人物たちは、様々な角度から訴えているようだ。もちろんそれがテーマでもないのだろう。観る者すべてがそれぞれに感じさせてくれる何かをこの舞台は持っている。新しい“時代”にどうやって立ち向かうか、その答えを見つけるのはあなた自身だと高らかに歌っている舞台なのだ。

今作は究極の2.5次元舞台

ゲネプロの前に、囲み取材が行われ、早霧せいな、松岡 充、上白石萌歌、脚本・演出の小池修一郎が登壇した。

早霧せいなは「過酷な稽古を経てやっと初日を迎える緊張感と高揚感に包まれています」と率直な気持ちを述べると、小池は「2年前にも宝塚で上演しましたが、早霧さんは芝居もうまくなって役者として一段上に行きましたね」と座長を褒め讃えた。

松岡 充も「芝居はいっさいの妥協がありません。今作は究極の2.5次元舞台だと思いますよ」と作品の出来栄えに太鼓判を押すと、劇場の機構も十分に使った演出がされているらしく上白石萌歌が「“新橋演舞場”特有の花道を存分に使っているので劇場の風を感じてください」と述べた。

最後に早霧せいなは「お客様との一期一会の出会いを大切にして、全身全霊で務めていきますので、千秋楽まで温かく見守ってください」と締め括った。

公演は10月11日(木)から~11月7日(水)まで新橋演舞場にて。その後、11月5日(木)~11月24日(土)まで大阪松竹座にて上演される。

浪漫活劇『るろうに剣心』

2018年10月11日(木)~11月7日(水)新橋演舞場
2018年11月5日(木)~11月24日(土)大阪松竹座

STORY
舞台の中心となるのは、明治11年の東京、薫風の章。血に染まった剣を封印し、逆刃刀を手に流浪人となった男・緋村剣心と「人を活かす剣」を信じるまっすぐな瞳の少女・神谷薫が出会う。人を守りたかった少年が、なぜ人斬り抜刀斎という修羅となったのか。その男がなぜ、不殺の流浪人となったのか。大切な人たちと出会いながらも、罪の答えを探す剣心の苦しみは続く……。幕末の動乱を生き抜いた者たちの、新たな戦いが始まる。

原作:和月伸宏『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』(集英社ジャンプ コミックス刊)
脚本・演出:小池修一郎(宝塚歌劇団)
音楽監督:太田 健(宝塚歌劇団)

出演:
緋村剣心 役:早霧せいな
神谷 薫 役:上白石萌歌
斎藤 一 役:廣瀬友祐
四乃森蒼紫 役:三浦涼介
武田観柳 役:上山竜治
相楽左之助 役:植原卓也
高荷 恵 役:愛原実花
剣心の影 役:松岡広大
加納惣三郎 役:松岡 充

オフィシャルサイト
公式Twitter(@ruroken_stage)

関連書籍:和月伸宏『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』