【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 95

Column

恐るべき完成度を誇るCHAGE&ASKAのファ-スト・アルバム『風舞』

恐るべき完成度を誇るCHAGE&ASKAのファ-スト・アルバム『風舞』

CHAGE&ASKAのファースト・アルバムがリリースされたのは1980年の4月である。『風舞』というタイトルだ。当時、ニューミュージックと呼ばれた人達の作品集で、漢字二文字は珍しかった。制作サイドも、そのあたりは意識していたのだろう。なぜアーティストは作品集にタイトルをつけるのかというと、他との区別化だ。ならば、どこかに紛れ込んでしまうようなものをつけても仕方ない。

当時、プログレッシヴ・ロックを連想した人もいたかもしれない。人気バンド、イエスのヒット・アルバムは『危機』というタイトルだったし、日本で人気が高かったムーディー・ブルースには『童夢』という代表作があった。で…、プログレとか言っていたら、このアルバムは、まさにそんな始まり方をする内容だったのだ。

1曲目の「追想」は、瀬尾一三が作・編曲したインストゥルメンタルで、新人の歌モノのファースト・アルバムが、こういう始まり方をするのは画期的だった。ディストーションの効いたギターを擁するロック・バンドが管弦楽団と共演したかのようであり、2曲目の「私の愛した人」へと、組曲風に繋がっていく。聴く前にジャケットを見た人は、それぞれが独立した作品だと分るが、知らずに聴くと、併せてひとつの作品にも思える。

さっきプログレと書いたが、そのイメージが決定的となるのは、「私の愛した人」の間奏である。これは凄い。「ここまでやるの!?」というくらい、途中で変拍子っぽくなり、まさにこれぞ、プログレッシヴ・ロックのひとつの流儀なのである(今聴いてもカッコいいです)。

二人のハーモニーの妙が味わえるのが「夢から夢へ」であり、この曲はオーソドックスな印象である(前の曲が前の曲だけに…)。二人の声が互いを支え合う。でもそもそもCHAGEとASKAという二声の相互効果を、制作サイドはどう感じていたのだろう。彼らをプロデュースをした山里剛は、かつてこんな発言をしている。

僕が彼らに説明したのは、飛鳥の声は迫力あるけどハスキーだから、その中にチャゲの声を骨にしてもっていこうと。コンクリートの中に鉄骨が入っているような形です

(『飛鳥涼論 −けれど空は蒼−』石原信一著 角川文庫 91ページより引用)

間違わないで欲しいのは、飛鳥はコンクリートでチャゲは鉄骨だと言ってるわけではないことだ。二人が声を合わせた際の関係性について言うなら、こんな例え方も可能ということだろう。

「夢から夢へ」を聴くと、初めて聴いた時から懐かしい気分になる。そこには細やかな哀感が漂う。あくまで個人的見解だが、ヤマハのポプコンにおいて、こうした哀感のある楽曲が脚光を浴びていくのは、1975年の「第10回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会」において優秀曲賞を取った、因幡晃の「わかって下さい」以降なのではなかろうか(ちなみにこの時のグランプリが、中島みゆきの「時代」だった)。

「ひとり咲き」については前回書いた。先へ進もう。大地を這うような風の音が聞え、タイトル・ソングの「風舞」が始まっていく。オリジナル・アルバムを通して聴く喜びは曲順にある。ここで冒頭の「追想」との関連も、聴く者の頭の中でひとつの経験として芽生えていく。

ワルツというか、ハチロクのロッカ・バラードにも聞えるこの曲は、鼓など和楽器の音も響くユニークなアレンジである。とはいえ和の一辺倒ではなく、ジプシー・バイオリンが響き、少数民族の円舞曲のような、エスニックなテイストも併せ持つものへ発展していく。ASKAの詞には「月の下」「踊れ」といった言葉もあって、詞・曲・編曲のまとまりということでも優れている。

ガラリと雰囲気が変わるのが「御意見無用」である。まさにガラリだ。どちらかというとヨーロピアンな雰囲気だったのが、ここでハッキリと、アメリカンなものになる。クルマに例えるならサスペンションの効き方が変わる。より、地面そのものを感じるような、乾いた音のブギー調のロックンロ−ルなのである。ここではホンキートンクなピアノとサックスが雰囲気を盛り上げている。曲がフェイド・アウトしていくが、ライブではきっと、この続きがあるのだろう……、そんなことを匂わせるCHAGEが曲を書いた屈託のない作品である。

ここまでお読み頂ければ分るだろうが、このアルバムは制作サイドによる綿密なプロデュースがされたものであり、もしアーティスト本人達へ肩入れするなら、“オーバー・プロデュース”と言えなくもない仕上がりだ。ただ、ファースト・アルバムらしい側面も見せている。

ここでいう“らしい”とは、アマチュア時代の総決算的、ということだ。「夏は過ぎて」は、まだCHAGEがソロでポプコンに挑戦していた頃の曲である。苦労して構成を考えたというより、頭からシッポまで、天から授かったかのような聴き心地だ。苦労して曲を作ると、メロディをつなげた“接着剤の跡”が届いてきたりもするが、それが一切ない。

「冬の夜」のASKAの歌を聞いていると、声が若い、というより、ボーカル・スタイルが今と違う。スタイルというか、要は発声だ。人間の肉体をひとつの楽器とするなら、もちろん喉が楽器におけるリードだが、この頃の彼の発声は、喉の奥でいったん共鳴させてから声を前に押し出してくる印章である。誤解を恐れずに書くなら、より“声楽的”だ。その後の彼より(いい意味で)モノクロームな感覚とも言える。しかしこの曲のアコギの音色は、震えが来るほど美しい。編曲は笛吹利明である。

「流恋情歌」はポプコンという目標があっての作風という感じがして、このコンテストにおけるスタンダードを目指した風でもあり、そしてこのアルバムは、「終章(エピローグ)〜追想の主題」で終わっていく。この結末がまずあって、このアルバムはトータル指向へと発展したと、そう解釈してもいいだろう。サブ・タイトルとして“追想の主題”とあり、ここでアルバム冒頭のインスト曲である「追想」という“伏線”が、見事に回収されるわけなのだ。

その後、CHAGEはアニバーサリー毎に、「終章(エピローグ)」を録り直してきたが、久しぶりにオリジナルを聴いてみると、これが驚きの出来映えなのである。細かなビブラートに至るまで、まさに聴き手を感涙へと突き落とす意匠に満ち溢れている。

なお、現在CDやダウンロードで流通している『風舞』は、ボ−ナストラックとして「あとまわし」と「冬に置きざり」も収録されている(それぞれ「ひとり咲き」と「流恋情歌」のシングル・カップリング曲である)。このあたりは意見が分かれるかもしれない。もちろん、ありがたいことだ。ただ、「追想」で始まり「終章(エピローグ)〜追想の主題」で終わるのがこのアルバムなのだから、余計なものは要らない、というヒトが居ても、それはそれで筋が通っている。

文 / 小貫信昭

その他のCHAGE&ASKA、CHAGE and ASKAの作品はこちらへ

vol.94
vol.95
vol.96