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永田聖一朗&小早川俊輔が永遠(とわ)の好敵手として宇宙の果てまで火花を散らし合う舞台『銀河英雄伝説 Die Neue These』上演中!

永田聖一朗&小早川俊輔が永遠(とわ)の好敵手として宇宙の果てまで火花を散らし合う舞台『銀河英雄伝説 Die Neue These』上演中!

10月25日より、Zeppダイバーシティ東京にて、舞台『銀河英雄伝説 Die Neue These』が上演中だ。原作は、累計発行部数1,500万部を超える人気小説『銀河英雄伝説』シリーズ。敵対する2つの惑星の若き軍人、ラインハルトとヤンを軸とした壮大なスペースドラマだ。その舞台のゲネプロと初日挨拶が行われた。

取材・文・撮影 / 竹下力

“銀英伝”はどんな時代がこようとも“人間の尊厳”を紡いでいく

たとえどんなに悲惨な世界でも、たとえどんなに快楽しかない世界でも、人間の英知の“歴史”が積み上げられれば“英雄”が生まれる。例えば、将棋界で史上最年少のプロ棋士となり、若干16歳の高校生でありながら、すでに七段の地位にいる藤井聡太が、10月23日に第77期名人戦・C級1組順位戦で今期5連勝した。悪手しかできないけれど将棋ファンを自認する私はとても驚いているのだが、それがどれだけ驚天動地のニュースだと知らなくても、藤井聡太は“天才”として多くの人が知るところである。

彼のまるで星を数えるように想像もできないほどの手数を読む棋譜読みの能力、現役であり、伝説の棋士でもある羽生善治にも劣らない、戦術眼、冷静な試合運び、何より勝負度胸、これらが備わった天才棋士は、ひょっとしたら平成最後の神様からのプレゼントかもしれない。それぐらいすごい人が現れたのだ。将棋ファンであるからこそ、いや、ファンを超越して、どんな人も憧れてしまうそんな存在。それは“英雄”という言葉にぴったりだ。

“銀河帝国”の20歳という若さで公爵となるラインハルト・フォン・ミューゼルと“自由惑星同盟”のヤン・ウェンリーの2人のライバル関係を見ていると、そんなしのぎを削って一手を打ち合う“英雄”となった棋士たちのことをふと思い出す。そして彼らの命を賭した“青春”の凄まじさを感じてしまう。

物語は、荘厳なシンセのSEが流れ、やがて舞台が明転し、中央にある大きなスクリーンにどこか遠い銀河が写し出され、“銀英伝”には欠かせないナレーションの下山吉光の凛とした声による状況説明から始まる。そして、物語の序盤、眩しいぐらいのフラッシュが明滅し、艦隊のレーザーの弾丸が行き交う、“惑星間戦争”からストーリーはうねるように進んでいく。まずは、“銀河帝国”と“自由惑星同盟”の惑星の威信をかけた争いが描き出される。この戦争は、“アスターテ会戦”と“銀英伝”の歴史に刻まれており、多くのファンが知るところだろう。

初めて触れる読者に説明すると、“アスターテ会戦”とは、“銀英伝”で使われる暦である、宇宙暦796年および帝国暦487年、地球よりはるかに遠い銀河にある惑星“銀河帝国軍”と“自由惑星同盟軍”とのあいだに生じた戦闘のことだ。そして、“常勝の英雄”ラインハルト・フォン・ローエングラムと“不敗の魔術師”ヤン・ウェンリーがはじめて互いに軍の指揮官(ヤンの場合は、上長が戦闘中に怪我をして急遽ピンチヒッターとして務めることになったのだが)として合間見えた戦いとして有名になっている。

結果として、戦闘を仕掛けたのは、“自由惑星同盟軍”で、“同盟軍”の戦力は“銀河帝国”に優っていたものの、ラインハルトの機転のきいた戦略において“銀河帝国”に打ち負かされるという、幾多の好手と悪手が混じり合う派手な戦いになった。そして、ラインハルトとヤンが互いの顔を知らずとも戦略の凄さだけは認め合うという2人の“英雄”を描く舞台にふさわしい幕開けでもある。しかし、戦争に敗北した“自由惑星同盟軍”は150万人の尊き命を失ったし(もちろん“銀河帝国”も同じようなものだろう)、ヤンは大切な友達のジャン・ロベール・ラップ(碕 理人)を失うこととなった。

そこから、“銀河帝国”と“自由惑星同盟軍”の過去と現在が入り乱れるストーリー展開となっている。武勲を挙げたラインハルトは、“英雄”になり、ヤンも突如指揮官にされ“負け戦”となったが、“自由惑星同盟軍”の被害を最小限に抑えた“智将”として讃えられることになる。

2つの惑星、2人の人物の思惑、そして彼らを取り巻く人々の過去と現在が、激しく交錯しながら、スリリングに物語が進んでいく。重要なのは、この舞台では、“自由惑星同盟軍”、“銀河帝国”のどちらかに思い入れが偏るストーリー展開ではなく、お互いの惑星を特徴づける見所が随所に散りばめられていることだろう。

ラインハルトには、ジークフリード・キルヒアイス(加藤 将)という、腹心であり、ラインハルトを諌める楔のような役割を果たしている友がいる(友を失ったヤンとは対照的な人物相関も面白い)。そして、ラインハルトは“門閥貴族”に暴行されていた婦人を助けたかどで捕縛されたウォルフガング・ミッターマイヤー(釣本 南)を助ける。すると、ミッターマイヤーの友達でもあるオスカー・フォン・ロイエンタール(畠山 遼)らが、ラインハルトの勇気ある行動やカリスマ性に惹かれ、彼に忠義を誓うようになる。次第に彼の元に部下が集まってくる。彼にはカリスマ性があるのだ。帝国には、“門閥貴族”という抜き差しならない存在がおり、彼らには逆らえない、ある種の“システム”が出来上がっている。それを憎み、壊そうとするラインハルト。“門閥貴族”というのは、漫画好きの読者にいえば、『週間少年ジャンプ』で連載中の『ONE PIECE』の“天竜人”を思い浮かべてもらえればいいかもしれない。“門閥貴族”も“天竜人”も、一般人では触れることも逆らうこともできない不可侵の存在なのだ。

一方、“自由惑星同盟”は民主主義を謳っているが、政治の腐敗は進行していてしっかりとは機能していないようだし、厚顔無恥な政治家たちがそんなことはおかまいなしと政(まつりごと)をしている。先の戦いでの、お題目だけの戦没者記念式典でのヤンの国への背信を匂わせる有名な行動も緻密に描かれていた。さらに、ヤンの同盟軍士官学校時代の先輩であるアレックス・キャゼルヌ(米原幸佑)や、後輩でジャーナリストを目指すダスティ・アッテンボロー(伊勢大貴)、友達のジャンや彼の幼馴染で婚約者だったジェシカ・エドワーズ(汐月しゅう)、さらには戦争孤児でヤンが引き取ったユリアン・ミンツ(小西成弥)との幾重もの重層的な人間関係を緻密に描く人間ドラマが展開される。政治の腐敗や不毛な戦争責任のなすりつけあいは、まるで現代政治のカリカチュアだし、いわゆる右・左派の勢力による辛辣なやりとりも描かれているが、こちらもある種の“システム”の失調が強調され、“自由惑星同盟軍”でいえば、民主主義の根本を問うていることになる。

それでも見所は、オープニングの優れた棋士同士の戦いならぬ、ラインハルトとヤンの壮絶な火花の散りあい、一手の攻防で戦局がダイナミックに変化する戦闘シーンだろう。会場の“Zeppダイバーシティ東京”は主にライブハウスなので、音響面が整備されており、戦いでの艦隊から発射される砲台のSEは腹にズシンとこたえるほどリアルであり、もちろん、台詞もしっかりと耳に響く。それゆえ、台詞を間違えたら、厳しい結果になるのだが、観客にとっては見応えのあるシーンが続く。というのも、この舞台の特徴は、派手なアクションの応酬というより、濃密な会話劇、心理劇としての趣が強い。なので、会話の妙や、シーンをテンポよく見せていくサスペンス劇としても観られるので、ハラハラすること間違いなしだ。

彼らの会話から、ラインハルトとキルヒアイスの壊れぬ“友情”が見事に描き出されていたし、ヤンとユリアンの関係性は、“平和”というつかの間の安息を与えてくれる。個々の役者の素晴らしさを上げればキリがないが、あえてあげるとすれば、ラインハルトの永田聖一朗とヤンの小早川俊輔だろう。

小早川は、29歳の青年の“智将”を演じきった。ときおり、頭をぽりぽりかく癖があり、面倒臭がりで、なおかつ理詰めで人を追い込んでいくタイプの性格で、少しシニカルでもあり、“自由惑星同盟軍”の政治に疑念を抱いている。そんな様子を原作に忠実でありながら、あくまで小早川の“ヤン”として屹立させた演技は筆舌にしがたいものがあった。状況をつぶさに分析し、歴史好きという設定を活かし、深みがあり説得力のある台詞回しもまったくブレない。

永田は、ラインハルトと同じく20歳の早熟な“天才”を演じ、しかも初座長、いわゆる初主演になるのだが、そんな気負いも感じさせることなく、天才であり、時には心根を変えないプライドの高いラインハルトを熱演した。そこにはまさに戦いに負けられない、いや、誰にも負けたくないという自尊心もみせれば、人を人として扱わない“門閥貴族”を嫌悪する人間らしさも垣間見せ、20歳らしいどこか“少年”と“大人”の間で揺れるアドレッセンスをリアルに堂々と見せていたと思う。

ここに登場する人物は、ヒューマニティーに溢れ、怒り、悲しみ、喜び、そういった喜怒哀楽の感情を大切にし、“人間の尊厳”を最優先に演技をしていた。それは“時代”を動かし、“歴史”を作るのは“人間そのもの”という原作の田中芳樹が紡ぐテーマかもしれないし、それをすべてすくい取った脚本の米内山陽子による手腕も大きいだろう。

そしてこのスペースオペラを、繊細な人間ドラマだけでなく、心がワクワクするような迫力の戦闘シーンも含め、ほとんど素舞台なのに、巧みなテンポとリズムでシーンを操って観客を飽きさせない舞台を作った、このシリーズに長く携わる大岩美智子の演出が綺羅星のように輝いていたのは、いうまでもない。

時代は変わるが、変わらないものもある。英雄は生まれるが、同時に、消えていく人がいる。“森羅万象”、“一期一会”、“盛者必衰”、そういった言葉の意味を2時間で感じさせてくれた一筆書きの美しい水墨画のような趣のある舞台だった。それと同時に、『銀河英雄伝説 Die Neue These』は、人間の“歴史”ロマンを描いているという点で稀有な舞台であるだろう。とかく現代の“時代”を切り取った舞台が多い昨今、それはそれで重要な証言だと思うが、やはり、“歴史”という我々が積み上げてきたもの、あるいはこれからの誰かに託す“人間の未来”が描かれる舞台も今の演劇界には必要だと感じさせてくれる観劇体験だった。

藤井聡太が将棋界にどんな燦然と輝く“歴史”を作ってくれるのか楽しみなのと同じように、“銀英伝”は、たとえどんなに時代が辛くても、逆に楽しくても、“人間の尊厳”を訴えかけてくれる心強いメッセージが根付いている。そして、そこからどんな英雄が生まれるのか、あるいは、ドラマが生まれるのか、楽しみにしながら、これからも見守っていきたい。そう思わせてくれた傑作である。

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