【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 96

Column

CHAGE&ASKA 「万里の河」に所在地はない。それはヴァーチャルかつ雄大な水の流れだ

CHAGE&ASKA 「万里の河」に所在地はない。それはヴァーチャルかつ雄大な水の流れだ

今回はCHAGE&ASKAの出世作「万里の河」(80年9月)である。作詞・作曲を手掛けたASKAは、どのようにしてこの曲へと辿り着いたのだろう? まず、“曲先”だった。メロディが出来た。そして歌詞かと思ったが、手始めは、タイトルを決めることだったそうだ。「万里の河」という、この言葉を思いついた。

“万里”といえば、普通なら“長城”だろう。ASKAも同じだったらしい。ただ、そのまま曲のタイトルにするのはどうなのか、ということで、自ら編み出した言葉が“万里の河”だったそうだ。

なのでこの河に、所在地はない。あくまで頭の中に浮かんだ、ヴァーチャルな水の流れ、なのである。その後、中国の大河といえば揚子江、みたいな連想もしたかもしれないが、僕は所在地がないことが重要だと思っている。[遠く遠く 何処までも遠く]。冒頭の歌詞は、具象のようで心象が勝っているからこそ、誰の心にも響くのだ。

いま紹介したのは、平成元年(1989年)に出版された『10年の複雑』(角川文庫)を参考にし、そこに僕の推測を加えたものである。さらにこの本のなかで、ASKAはこんな発言もしている(訊き手は石原信一氏)。

完全にヒット曲のパターンを意識したのは確かだね。ちょっとエスニカルであり東洋チックであり、ここを狙えば絶対ヒットするだろうなというのがあって、サビも流れるようなものではなく本当にインパクトを狙ったものでいいと。これが全部はまってしまった。(93ページ)

お断りしておく。この発言は、本が出た時点に8〜9年前を振り返ってのものだ。ASKAがこの時点で得た成果や実感をもとに、あの頃を振り返っている。なので“ヒット曲のパターン”とか“ここを狙えば絶対ヒットする”というのも、1980年前後の世の中に対して“響くもの”、という意味だ。ならば、彼が狙った“ここ”とは、どういうものだったのだろう。1979年から80年にかけて大ヒットした曲のなかで、主なものを挙げてみたい。

  • 「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズ
  • 「異邦人」久保田早紀
  • 「大都会」クリスタルキング
  • 「別れても好きな人」ロス・インディオス&シルヴィア
  • 「さよなら」オフコース

売り上げ上位10曲から勝手に絞った5曲だが、スケールが大きくサビのインパクトが強く、また、エスニカルで東洋チックというのも、なんとなく当てはまる気がするのだが、さてみなさんはどうだろうか。

さっきのASKAの発言に、「やけに自信満々じゃあないか!」と思っ方もいるだろう。確かに“ここを狙えば絶対ヒットする”と分っていたら、苦労は要らない。でも彼が、自信満々だったわけでもないことも、この発言から読み取れる。「これが全部はまってしまった」という、最後の部分である。

この楽曲が成功するまでには、無意識や偶然も入り込んでいることを、彼は認めている。曲が完成した時点では、まさに自信満々だったかもしれないが、平成元年(1989年)当時の彼は、必ずしも毎回、“全部がはまって”多くの人々に受け入れられるわけじゃないことを、その後の曲作りのなかで経験済みだったわけだ。

改めて、この歌を聴いてみよう。ひとつ困ったことがある。みなさんが手軽に接しているYouTubeの当時のテレビ出演のものは、尺の都合で、テンポがアップしたりもしている(つまり、万里の河の水の流れが若干早い)。たまたま僕が観た「夜のヒットスタジオ」もそうだった。オリジナル音源を聴くと、それより大河は滔滔としてて、悠久の時を感じさせるものとなっている。ぜひ改めて、オリジナルを聴いてみて欲しい。

最新の音源は、すごくクリアな高音質であった。印象的な笛の音色は、フルートをはじめ様々な民族楽器などもこなす旭孝氏の演奏である(ファンには有名なエピソードだが、後年、彼の息子さんがCHAGE&ASKAのサポート・バンドに加わることとなる)。この笛は尺八っぽくも聞えるが、ヨーロッパの葦や竹の笛のようにも聞える(細かく書くと、南米のサンポーニャやケーナが演奏されているようだ)。笛の役割は何かというと、河の流れそのものを表現するというより、“そこを渡る風=主人公の想い”を受け持っているイメ−ジだ。

決定的にイイナと思う詞の表現は[この髪があなたのもとへ][のびるぐらい]のあたり。“髪が伸びる=時間のこと”でもあり、同時に“距離のこと”でもある。中国にこういう諺がなかったかなぁと、ちょっと調べたけど見つからなかった。あくまで推測だけど、そもそも「万里の河」というタイトルを決めた時点で、ASKAの心のなかに“中国的な説得力のある諺のような表現を、歌詞に絡めるのはどうだろうか?”という発想が浮かんだのではと思うのだ(今度、彼に会った時に訊ねたいものである)。

「万里の河」には“♪パパッ パパッ パッ”という、心地良い“電気的な手拍子”のようなものも加わっている。これは非常に80年代的なサウンドと言える。音に残響を加えつつ、余韻残さず歯切れ良くカットするスタジオでの手法は、“ゲート・リバーブ”と呼ばれ一世を風靡することとなる。専門的なことには明るくないが、彼らが所属するヤマハは、画期的な機材をどんどん製品化していったので、当然、彼らのレコーディングが最先端を行っていたのは当然だろう。この“♪パパッ パパッ”は、今聴いても実に心躍らせる響きなのである。

なお、「万里の河」は“演歌フォーク”という捉え方もされた。このあたりのことを書き始めると長くなるが、演歌はともかく、「万里の河」が“大陸歌謡”的であるのは曲といい詞といい確かだろうと思う。Wikipediaには、“大陸歌謡とは日本が戦争中に直接もしくは間接的に占領した満州や上海など中国大陸を舞台にした歌”であり、“大陸歌謡の叙情は、戦後発生した演歌の大きな主題の一つである「北へのさすらい」の原形”となったとある。

これをそのままニワカ知識として話を進めると、「万里の河」を“演歌フォーク”とは呼べない気がする。だって似てるとしても、演歌以前のものに似てるのだから…。ちなみにASKAがこよなく愛す大陸歌謡の代表曲「蘇州夜曲」の作者は、西條八十(詞)と服部良一(曲)だ。服部は演歌というよりジャパニーズ・ポップの開祖みたいな人である。ということはつまり…、って、だからイヤなんだなぁ。こういう話を始めると、そうでなくても長くなるから…。でも久しぶりに「万里の河」のシングル・ジャケをみたけど、CHAGEもASKAも、[遠く遠く 何処までも遠く]って感じの表情しているよなぁ。この楽曲はジャケットの二人の表情が良かった事も、ヒットに繋がったんじゃないでしょうかね。

文 / 小貫信昭

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