【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 97

Column

CHAGE&ASKA 復帰したASKAのイッコーさんの件…、もそうだけど、それより何より「熱風」の件。

CHAGE&ASKA 復帰したASKAのイッコーさんの件…、もそうだけど、それより何より「熱風」の件。

すでに大きく報じられている通り、11月5日、ASKAが久しぶりに観客の前に立った。僕自身も待ち望んでいた日だ。場所は国際フォーラムのホールA。いきなり大きな会場だ。グッズ売り場は、お客さんの要望で、開場時間を早めていた。取材で会った時、ASKAはこう言った。ステージに立った瞬間に、「5年前、6年前の続きが始まるんだと思う」。

注目されたのは第一声。会場全体が、固唾をのんで注目している。でも、たった一言で、場の空気をほぐしてみせた。「おまたせぇ〜」。そのあと続けて、「どんだけ〜、まぼろしぃ〜」と、IKKOさんのモノマネで畳み込んだ(おいおいその話、ワイドショーや新聞で、さんざん見たり聞いたりしたよ、というみなさん。もうちょっとお付き合いください)。

流行のギャグというのは、時間が経ち、ほとぼりが冷めてから使うと効果的だが、これらはまだ、生乾き状態の微妙な立ち位置のネタである。なぜASKAは、あえてそれを繰り出したのだろう? 前後のMCから察するに、楽屋でスタッフと談笑していた、その延長の心理状態も作用していたようだ。

弱音や言い訳が、一切無いのがASKAという男だ。でも、さすがに彼も人間だ。この日のステージを、まったくの平常心で迎えたわけではないだろう。そんな時、コンサートのまさに冒頭の短い間だけでも、楽屋とステージの中間的な“スペース”が必要だったのかもしれない。

このことを書きたかった。ここからが本題だ。彼がオーケストラをバックに歌い始めたオープニング曲は、「熱風」という作品だ。チャゲアスを初期から知っている人にはお馴染みだろうが、知らない人のほうが多いと思うので、少し解説をする。

「熱風」は、セカンド・アルバム『熱風』(1981年)のタイトル・ソングである。[船出の時がきた][滅びゆく祖国を後に]。これらの歌詞が印象的だ。

[船出の時がきた]というは、説明が必要ないくらい、再始動した彼に相応しいものだろう。では[滅びゆく祖国を後に]はどうだろうか。“祖国=古い価値観”だと、そう解釈してみた。新たな風を受け、見知らぬ海へ向け、漕いでいく…。その意志を伝えたかったからこそ、この作品をオープニングに選んだのではなかろうか。

松井五郎の詞である。曲はASKAだ。今でこそ松井は日本を代表する作詞家だが、チャゲアスと彼が出会ったのは、まだ松井がアマチュアの頃だ。ヤマハのコンテストにエントリーされていた作品を知った二人が、“こいつはすごいかもしれいな”と連絡し、親交を深め、共作する関係にもなっていった。

デビュー・アルバムの『風舞』(1980)と『熱風』は、風というワードが共通するので、二枚一組のようにも受け取れる。ジャケも同じコンセプトだし、リリース間隔も約8か月と短い。でも大きな違いがある。

『風舞』がアマチュア時代に培った楽曲中心だったのに対して、『熱風』はこの時点で揃えたものが中心だった。前作のレコーディング中に出来ていたのは「翼」のみであり、また、アマチュア時代から存在していたのは「あばんぎゃるど」だけだった。

「熱風」以外にも、作詞で松井五郎が参加していて、詞のテイストは、もちろん前作と異なる。のちにCHAGEは、このアルバムの「花暦」が、自分にとって画期的だったと語っている。レゲエのリズムの作品だが、自分とレゲエの相性の良さに、この作品で気づいたのだ。ほかにも「嘘」が、彼は気に入っていると述べている。

インストゥルメンタルを効果的に配するなど、プロデュースに関しては、前作と共通する部分もある。さらに『熱風』のレコーディング中のエピソードとして残っているのは、当時はまだ、ASKAが学生とアーティストの二足の草鞋を履いていたことだ。制作期間中が、卒業試験とぶつかった。渋谷のレコーディング・スタジオでぎりぎりまで歌入れをして、最終便の飛行機で福岡へ向かう。学校では先生が、「たいへんだなぁ」と励ましてくれたこともあったそうだ。でもその先生は、ASKAに色紙を頼むのも忘れていなかった。
 
このアルバムといえば、なんといってもツアーだろう。1981年の3月から8月にかけて、全国で60本という、当時の彼らにとって無謀と思えるスケジュールが展開された。スタッフもこれは、正直、賭けであった。しかし見事に、各会場を熱狂させたのだ。構想して開催されるまでに、追い風も吹いた。前回取り上げた「万里の河」が、徐々に売れ始め、さらには大ヒットとなっていた。

残念ながら、僕は「熱風」のツアーは観てはいないが、“ロック・エンターテインメント”を意識した内容だったようだ。開演時、彼らと客席は、巨大なパネルで仕切られている。オープニングの「翼」を歌い終わると、実は21分割されていたそのパネルが、一気に崩れ落ちる演出だった。

さらに「悲炎」を熱唱するあまり、CHAGEがステージ上で倒れてしまうという、ソウルの帝王、ジェームス・ブラウンみたいなことを“演出”としてやっていたという。ちなみにこの作品(詞は松井とCHAGEの共作、曲はCHAGE)、歌詞をみると、[心の骨さえも][焼きつくせ]とある。そうか。なるほど、なるほど…。

デビュー25周年を迎えた2004年には、『CHAGE and ASKA 25th Anniversary Special チャゲ&飛鳥 熱風コンサート』というのが、お台場の野外会場で開催されている。こちらはバッチリ観に行った。かつての「熱風」のツアーを再現したものではないが、意識した部分もある内容だった。25年の節目に、改めて彼らが“熱風”ということにこだわったのは、まさに1981年当時の気持ちが、掛けがえないものだからだろう。そしてそれは、数日前に僕が観た、ASKAのステージでも同じだったのではなかろうか。

久しぶりにASKAの歌を聴いたが、やはり“ああいう人”というのは休んでいる期間中もけして現われなかったんだなぁと想い、深い感慨に浸った。ASKAの椅子に座るのはASKAだけ。歌のダイナミクスにおいて、類似するものがない。もう、彼のカラダ全部が、楽器のように鳴っていた。僕はその勇姿を、しっかり目に焼き付けたのだ。それは間違いなく、“まぼろしぃ〜”、などではなかった。

参考文献 『別冊カドカワ CHAGE&ASKA完全保存版総力特集』


文 / 小貫信昭

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