佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 70

Column

70歳の古希を迎えた異色のジャズ・シンガーによるがんの闘病記を一気に読み終えて

70歳の古希を迎えた異色のジャズ・シンガーによるがんの闘病記を一気に読み終えて

連載が70回を迎えたということで、70歳の古希を迎えた異色のジャズ・シンガーでもある今岡清さんの著書「始まりは頻尿――PSA44からの前立腺闘病記」を紹介したい。

今岡さんは1948年に横浜市に生まれて、「SFマガジン」(早川書房)の6代目編集長として活躍し、編集者としては大原まり子、神林長平らの第3世代と呼ばれる新人SF作家を育てた。
「グイン・サーガ」を筆頭に膨大な量の著作を残して、2009年に亡くなった作家で評論家の栗本薫・中島梓は妻であリ、仕事上のパートナーでもあった。

早川書房を退社した後は家事をこなしながら、インタビューや翻訳などを手掛ける一方で、中島梓が演劇製作のために設立した天狼プロダクションの社長を務めて、その旺盛かつ多彩な表現活動を支えてきた。

現在は天狼プロダクションから栗本薫・中島梓の本を中心に電子書籍を出版するかたわら、現役のジャズ・シンガーとしての音楽活動も行っている。

昨年の秋、頻尿に悩まされていた今岡さんは、相談に訪れた医院で念のためにといわれて、前立腺がんのPSA検査を受けたという。
すると基準値が4.00以下なのに、測定値が44.00もあることが判明した。

そして専門病院を紹介されたので、さっそく精密検査を受けてみると、前立腺がんだという宣告を受けた。

その時のことを投稿したフェイスブックの文章が、本書では11月6日の日記でそのまま引用されている。
だが、冒頭から文章に笑いを含ませているあたりから、一筋縄ではいかない人だいうことが伝わってくる。

 がん爺になった。
 今日、生検の結果を聞きに行ったら、十二カ所からとった検体のうち四カ所にがんがあったということで、晴れて私はがん爺さんとなったのでありました。
 十一月二十八日と十二月五日が検査で十二月六日に診断があるというので、そこで治療方針は決まるということなのでしょう。

今岡さんは若い頃に、妻の中島梓さんたちと「パンドラ」というバンドを組んで、ギターを弾いていたこともある。

そして64歳の時にCDをリリースして以来、ジャズ・シンガーとしてほぼ毎月、ライブを行ってきたという。

だからこの段階では早く手術をするなりなんなりして、とりあえず落ち着いてから、今後どのような音楽活動をやっていくかを考えたいと思っていたらしい。
その3日後にはフェイスブック上で、かつて妻の命を奪ったがんについて思うところを述べた後に、自分の音楽活動について触れていた。

いま、私が思うことはどんな状況になろうとも歌い続けていたい、手術ということになってすぐさま復帰出来なくとも、出来るだけ早くライブをやりたいということです。私の歌をまた聞くことが出来るのを楽しみにしているというコメントやメッセージもいただきましたが、それが私にとってどれほど嬉しいことか、改めてここでお礼を申し上げます。 というわけで、いまおかは元気にやっておりますというご挨拶をさせていただきました。

しかし前立腺がんだということに加えて、恥骨への転移まで発見されたことから、今岡さんはかなり厳しい治療の日々を過ごすことになっていく。
なにしろ病気の場所が場所だけに、失禁や脱糞事故などにもたびたび見舞われて、人知れぬ苦労を重ねるのだが、その様がユーモアを交えながら克明に描かれている。

だが、そうした体験を綴っていく文章から滲み出てくるのは、赤裸々ゆえに面白おかしいという人間の本質である。

そのためにリアルなのに読みやすくて、これまにはなかった面白い闘病記になっている。

今岡さんは自分から人と変わったことやろうと思って、考えたり行動したりしているわけではないという。
しかし運命を受け入れて自然に反応しているうちに、物事のほうが普通ではないような方向へと、今岡さんを運んでいくことがあるのだろう。

年齢と分別についてもこんなことが書いてあって、「そのとおり!」と納得させられるところがあった。

七十前後となれば分別盛りもとっくに越えて、すっかり落ち着き払っている年齢だとむかしは思っていましたが、いざ自分がそうした歳になってみてわかったのはそんなことはまったくないということでした。もちろん個人差はありますし私が格別そうなのかもしれませんが、まわりを見ても人というのはそんなに成長するものではないという気がします。

そうしたところに生じるズレや変化に気づいて、さりげなく言葉にするセンスがあるので、苦しいはずの苛酷な治療体験さえも、読みやすくてユーモラスな文章が生まれるのだろう。
それは実に貴重な才能だと思う。

一年前まで平穏に暮らしていた人が検査を境に、ある日のある時からがん患者になり、日々の生活や人生設計が大きく変わってしまう。
それはどこの誰にでも、いつだって、だしぬけに起こりうることだ。

人間の一生というのは、一寸先は闇と言われるようにこのだしぬけが付き物なのでしょう。だからこそ、二一世紀になろうと人は占いを気にするのでしょうが。
平和な街にとつぜん津波が押し寄せることもあります。行ってらっしゃいと見送った家族が交通事故で帰らぬ人になることもあります。あれだけ元気だった人がと言われながら病魔に冒されてしまうこともあります。
私の妻は未曾有の大長編を執筆していました。全百巻を予定していたシリーズは、予定の百巻になっても完結することはなく、本人の話によればこれでようやく書きたい物語の準備が整ったということで、さらに先を書く意欲は満々でした。しかし、二〇〇七年の秋にがんを宣告され、ほぼ一年半の闘病の後にこの世を去りました。

今岡さんがホルモン治療を開始したのは、2017年の12月6日だったからもうすぐ1年になる。
それが三年間続けられて、2020年12月に治療が終了したときにPSA値が正常値まで下がったままなら、完治ということになるらしい。

今岡さんは本書の未完のエピローグを、こんな文章で締めくくっていた。

東京オリンピックの年に私の前立腺がどういうことになっているのか、それは神のみぞ知るところです。本書にはハッピーエンドのエピローグはありませんが、どのようなことになろうと、それを受け入れようが受け入れまいが物事はなるようにしかならないということだけは言えます。

なるようにしかならない、それがその人の運命なのだからと達観しながら、人は懸命に今日を、明日を生きていく。
関心のある内容で一気に読み終えたが、考えさせられることが多々あり、しかもどこかに爽快な印象が残っている。

購入・立ち読みページ
https://store.voyager.co.jp/publication/9784862398536

天狼プロダクションオフィシャルサイト
http://tenro.music.coocan.jp/

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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