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宮崎秋人&木村了らが東京オリンピックの見えざる物語を熱演。舞台『光より前に〜夜明けの走者たち〜』開幕レポート

宮崎秋人&木村了らが東京オリンピックの見えざる物語を熱演。舞台『光より前に〜夜明けの走者たち〜』開幕レポート

舞台『光より前に〜夜明けの走者たち〜』が開幕した。東京オリンピック銅メダリスト・円谷幸吉と、メキシコオリンピック銀メダリスト・君原健二。ふたりの不世出のランナーは、マラソンという孤独な競技を、人生という孤独なレースを、どう駆け抜けたのか。その軌跡には、人生において大切なものは何か、その答えが込められていた。

取材・文 / 横川良明 撮影 / 神ノ川智早

“光”を夢見て、“光”に絶望した円谷幸吉の人生

人は、いつも“光”を夢見る。もっとスポットライトを浴びたいと。あるいはこの苦しみから救われたいと、人は“光”に願いをかける。“光”は、栄光と希望の象徴だ。

だけど、円谷幸吉にとって“光”は栄光でも希望でもなかった。絶望の底にいた円谷には“光”があまりにも眩しすぎて、耐えられなかった。いっそずっと暗闇の中にいられたら、彼は自ら命を絶たずにすんだのかもしれない。だけど、その選択肢は彼には与えられていなかった。なぜなら、円谷幸吉は国民の“光”だったから。カメラのフラッシュの放列に晒され、日本中の期待を背負った円谷に、“光”から背くことなどできなかった。この物語は、そんな円谷幸吉の心の影が克明に描かれていて、観客は息苦しさに似た哀哭に暮れる。

日本列島が歓喜に沸いた東京オリンピック。下馬評を覆し、銅メダルに輝いた円谷幸吉は、一躍国民的スターとなった。「4年後のメキシコオリンピックでは必ず金メダルを獲ります」。そう誓ったその日から、彼の運命は狂い始める。ただ走ることが好きだった純粋な青年は、どんどん自分ではコントロールしきれない巨大なものに呑み込まれていく。

当たり前だけど、誰も不幸せになるために生きているわけじゃない。みんな、もがきながらも、幸せになるために生きている。悲劇のランナーと呼ばれることが多い円谷幸吉だって同じだ。銅メダルを獲ったことで、たくさんの人に喜んでもらえたことが嬉しかった。だから、もっと喜んでもらいたくて、一生懸命走った。それが、自分を追いつめていくことになるとも知らずに。

前半の円谷幸吉は無邪気で屈託がなく、コーチの畠野教官に結婚を報告するシーンは、昭和らしい体育会的上下関係をベースにしつつ、気を許し合った間柄ならではのおふざけもあって、微笑ましい。演じる円谷幸吉 役の宮崎秋人と畠野洋夫 役の和田正人は、俳優集団・D-BOYSの先輩後輩。そんなふたりのやりとりは、仲の良い兄弟を見ているみたいで、心が温かくなる。

だけど、そんな幸せな毎日は長く続かない。金メダルの誓いは、やがて逃れられない呪いとなって、円谷幸吉の心と身体を蝕んでいく。前半の明るさが印象的であればあるほど、後半の悲痛さが際立つ。愛する人を奪われ、信頼できるコーチも取り上げられた円谷は、文字どおり孤独な走者となった。東京オリンピックのときは、日本中の人が背中を押してくれているように感じたのに、今はもう誰もいない。どれだけ腿を上げて地面を蹴っても、ちっとも前に進んでいないような暗がりの中にいた。

自殺大国・日本に問う、人生において大切なもの

そんな円谷の影をより浮き上がらさせるのが、もうひとりのランナー・君原健二の存在だ。東京オリンピックで敗れた君原は、いったんは走ることを諦めた。だが、ひとりの女性の存在が彼を再び走らせる。ずっと自分のためだけに走ってきた孤独な君原が、初めて誰かの存在を感じながら走る喜びを知る。

円谷幸吉と君原健二。ふたつの軌跡は、対照の曲線を描きながら交差する。ひとりではなくなった君原は復活を果たし、ひとりになってしまった円谷はどんどん壊れていく。

もしも円谷幸吉のそばに誰かがいてくれたら。あるいは円谷幸吉が自分の胸の内をもっと上手に誰かに打ち明けられたら、何かが変わったのだろうか。そんな詮のない“もしも”が何度も何度も頭を巡る。

これはもう半世紀も前の物語だけど、円谷幸吉と君原健二の生き様は、現代人の人生観にも深い示唆を孕んでいる。私たちの多くは、とても真面目だ。「かくあらねばならない」という模範や規律が世の中には多く存在し、それを従順に守ることが美徳とされている。期待は重圧となり、誰かの放つ「そんな人間だとは思わなかった」「信じていたのに裏切られた」という無責任な思い込みと掌返しは、容赦なく人の心を切り刻む。だから、みんなテストの点数をとるように好感度を気にして、周りが思う私を演じることに腐心する。そんな生き方、ちっとも幸せじゃないということを心の奥底で感じながら。

でも、私たちは模範や期待を守るために生きているわけではない。いつだって一番大切なことは、あなたが幸せであることだ。あなたが本気で笑えること。あなたが本気で泣けること。あなたが本気で怒れること。それこそが、素晴らしい。

逃げたかったら逃げればいい。走るのに疲れたら立ち止まればいい。大の字になって、その場に寝転がればいい。そうしたら気づくはずだ。自分が何もしなくても世の中は変わらず動いていくということを。そして、その流れからはみ出したって、あなたの価値は何も損なわれるものではないのだと。もちろん何人かは先頭集団からこぼれたあなたを見放すかもしれない。だけど、あなたがまた起き上がれるまで、一緒に大の字になって寝転がってくれる人も、きっといる。

50年前に比べれば軍隊主義的な風潮はだいぶ弱まったし、多様な価値観が認められるようになったけれど、それでも今もこの国でたくさんの円谷幸吉的な人たちが人知れず苦しみを抱えている。そんな人にこそ見て欲しい作品だ。どうか孤独にならないで欲しい。苦しみと闘うことは、必ずしも美しいとは限らない。それよりも夏がくれば風鈴の音を感じる。そんな愉しみを大切にして欲しい。

自殺死亡率は世界ワースト6位。15~34歳の死因第1位が自殺というこの国で、本作の問いが重く響いた。

「三日とろろ、美味しうございました」劇場に響いた円谷の最期の言葉

マラソンランナーが題材だが、競技シーンはそれほど多くない。むしろ多くのシーンが、一対一の会話劇。細部にまで行き届いた役者たちの芝居を贅沢に味わえる。

円谷幸吉 役の宮崎秋人は人なつっこい笑顔が持ち味。その警戒心のない笑顔が、前半は円谷の純粋さを表し、後半は円谷の脆さを引き出す。顔は笑っているはずなのに、どうしても泣いているようにしか見えない。その痛々しさに、胸が潰されそうになる。

和田正人演じる畠野教官との対立シーンも見応えがあっていい。相手の横っ面をぶん殴るような激しい感情のぶつかり合いで、舞台上にはたったふたりなのに、劇場全体を巻き込むような強烈な磁力が生まれる。

だからこそ、あの有名な遺書を読み上げるシーンは、圧巻だった。吐息に近いようなかすかな声で自衛隊の関係者に謝罪し、精一杯の明るい声で家族に感謝の気持ちを振り絞る。死に向かうしかない円谷幸吉のすべてが、そこに凝縮されていた。

君原健二 役の木村 了も良かった。前半は一歩引いた立ち位置で構えながら、最後の走りにこの作品の持つメッセージのすべてを乗せた。円谷との対称性という意味でも、非常にバランスのとれた知的な芝居だった。

舞台美術は複数のパネルを場面ごとに動かしたり、映像を投射することで、画に変化をつけた。上部が曲線状となっており、パネルがひとつなぎになることで、まるで競技場のトラックのようにも見える。

脚本・演出は、谷賢一。削ぎ落とすべきところはしっかりと削ぎ落とし、静謐さと熱情が渾然一体となった気迫の舞台に仕上がっている。

舞台『光より前に~夜明けの走者たち~』

東京公演:2018年11月14日(水)~11月25日(日)紀伊國屋ホール *11月14日はプレビュー公演
大阪公演:2018年11月29日(木)~12月2日(日)ABCホール

STORY
1964年、東京オリンピック。
きら星のごとく現れた新人ランナー・円谷幸吉はマラソン種目で銅メダルをもぎ取った。
入賞を逃したライバル・君原健二は、絶望の底に落ち引退を決意する。
日本中の期待を背負って、次なるメキシコ五輪へ向けて走り始める円谷だったが、恋人や信頼するコーチとの別れ、そして故障を抱えながら次第に調子を落としていく。一方、君原は受け取った一通のファンレターから生まれた交流に励まされ、もう一度走り始める。
走ることに再び生き甲斐を見出した君原の耳に飛び込んできたのは“円谷幸吉・死去”という報せだった……。

作・演出:谷 賢一

出演:
円谷幸吉 役:宮崎秋人
君原健二 役:木村 了
宝田修治 役:中村まこと
高橋進(君原のコーチ) 役:高橋光臣
畠野洋夫(円谷のコーチ) 役:和田正人

オフィシャルサイト
公式Twitter(@watanabe_engeki)