Interview

GOODWARP 何気ない日常に彩りを与えるGOOD MUSICを提示する稀有なバンドの真価

GOODWARP 何気ない日常に彩りを与えるGOOD MUSICを提示する稀有なバンドの真価

聴けばどうしたってハッピーになる。
ファンキーなグルーヴに身を委ねれば、未来を信じたくなる。
でも、能天気なだけじゃない。
その歌には、ほろ苦さを知ってなお捨てたくないもの、全部ひっくるめてのビューティフル・ライフが息づいてる。
大人だって泣きたくなっちゃう。”Yes!”と叫びたくなる。

GOODWARP。
音楽に求めたい陽気なパワーを根っから持ったバンドだ。

自主レーベルからミニアルバム『FOCUS』を出し、フェスなどでメキメキ頭角を現している彼らに、今回はその原点を訊いた。

取材・文 / 藤井美保 撮影 / 森崎純子


GOODWARPの音楽性がどうやって生まれているのかを探るため、まずそれぞれのバックグラウンドを聞かせてください。

有安祐二(Dr) 初期衝動は、小学校低学年の頃兄の影響で聴いたMr.Childrenや桑田佳祐さん。そこからいろんなJ-POPを聴くようになりました。流れがちょっと変わったのは、高1でドラムを習い始めてから。先生に勧められたジェームス・ブラウンやスライに始まり、ファンク、ソウル、コンテンポラリーなR&Bにいたるまで、ブラック・ミュージックを数限りなく聴くようになりました。ずっと変わらないのは、美しいメロディといい歌詞を持ったポップスが大好きってことです。

GOODWARP以前のバンド経験は?

有安 パーマネントなバンドは経験してないんですけど、いろんなバンドでサポートをやってました。最大風速で13個くらい。

そんなに! 有安さんのセットは1タムですよね。

有安 今の流行りもあるんですけど、GOODWARPの音楽に多くのタムは必要ないというのもあります。少ない音で聴かせる美学に、今はカッコよさを見出してますね。

では、藤田さんにいきましょう。

藤田朋生(Gt) 僕は、まだXだった時代のHIDEに憧れてギターを始めました。彼が聴いてきた音楽をたどるうちにKISSと出会い、洋楽にどっぷりハマり、さらにヘヴィメタを経由して、エリック・クラプトンからブルースへ。

ロバート・ジョンソンあたりまでいっちゃいました?

藤田 いきました。その後、日本の音楽にも興味が湧いて、SUPER BUTTER DOGやフジファブリックなども聴くようになったんです。

ライブを観たときは、カッティング命の人だと思ったんですよ。

藤田 ブルースやファンクにハマッてた頃、上手くならなきゃなと思って、クリックに合わせて延々カッティングの練習をしたことはありましたね。

ずっとテレキャスですか?

藤田 いや、最初レスポールだったんです。ブルースではストラトとかのフェンダー系を弾く人が多いけど、ギブソンで弾くのもカッコいいなと思って。でも、日本語の歌をやるようになってから、根拠なくテレキャスにシフトしました。

 

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萩原さんはどんな道を?

萩原”チャー”尚史(Ba) 僕はやはり兄貴の影響で、BOOWYが大好きだったんです。で、バンドをやり始めるんですけど、最初は余りのパートだったボーカルをしかたなくやってました(笑)。そのうちギターを触るようになって、高校生のときにテクノの世界にいくんです。

やっぱり! ライブを観たとき、クラフトワークの匂いを感じたんです。

萩原 クラフトワークもそうですが、いちばんはYMOですね。シーケンサーとキーボードを買って家で遊ぶようになりました。ただ、キーボードは独学で、めちゃくちゃ弾けるというわけじゃなかったので、生で奏でられる楽器をやりたかった。ちょうどその頃スラップ奏法のカッコよさに目覚めて、ベースを始めました。

何歳のときですか?

萩原 20歳です。テクノにハマッた時期、音の長さとかについてけっこう突き詰めて考えてたので、それを今、人力でやってる感じですね。そして、ベースを始めてすぐ吉崎と出会いました。GOODWARPのひとつ前のバンドなんですけど。

では、その先のストーリーは後回しにして、吉崎さんの出自にいきましょう。

吉崎拓也(Vo/Gt) 母親が沢田研二さんの大ファンなので、家ではよくジュリーがかかってました。ああ、いい曲だなと思ったいちばん古い記憶は、幼稚園の頃TVで観た少年隊の「君だけに」。鮮烈に覚えてます(笑)。母親にせがんで最初に買ってもらったCDは、『交響組曲「ドラゴンクエストV」天空の花嫁』。どの収録曲も旋律がきれいでしたね。同時期、通ってた英語教室でビートルズの「Tell Me Why」を聴いたこともよく覚えてます。たぶん、当時はメロディで音楽を聴いてたんじゃないかな。

それが変わった瞬間ってあったんですか?

吉崎 中学でエアロスミスと出会ったのが、メロディ以外で音楽を聴くようになった最初だと思います。その後、ブルースやブラック・ミュージックをたどったんですが、高校時代に衝撃を受けたのがレディオヘッドの『OK コンピューター』。そこから何年もUKの特にワープ・レコーズ系にハマりました。Aphex TwinとかRrefuse73とかです。チャーは「テクノ」だけど、僕は「エレクトロニカ」です(笑)。

曲作りはそのへんのすべてに影響されてますか?

吉崎 だと思います。大前提はメロディが美しいこと。+リズムで遊べる要素があること。それが自分のやりたい音楽になっていきましたね。

曲はどういう手順で作ってますか?

吉崎 メロディから作ることが多いです。たまにリフから作ったりもしますけど。

パターンに陥ってる感じがしないのは、だからかも。

吉崎 それで思い出したんですけど、中3の頃、3コードで作った曲を友達に聴かせたことがあったんです。そしたら、「このメロディ、コード追ってるだけじゃん」と言われて、超ショック(苦笑)。「あ、コード追っちゃダメなんだ」ってそのとき安直に思ったんですよ。コード進行が下がるなら、メロディは上がるほうが意外性があるんだなとか、そういうことを考えるようになりました。

それ、案外原点かも。歌詞はどうですか?

吉崎 ぶっちゃけ最初は謎でしたよ。なんでみんながそんなに「歌詞、歌詞」というのか。わかるようになったのは、だいぶ大人になってからです(笑)。今は歌詞の比重がスゴく大きい。ただ、毎回書かなきゃってなるたびに手探りしてます。

さて、話は戻って、そのチャーさん(萩原)と組んでたひとつ前のバンドは解散となり?

吉崎 はい。そのバンドで僕はボーカルじゃなかったので、次バンドを組むんだったら自分で歌ってみたいと思ったんです。やるんだったらチャーを誘おうと。

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萩原さんはそれを聞いてどうだったんですか?

萩原 吉崎の書く曲のなかで、自分の好きな電子音楽も消化できるという実感を持ってたんです。やりたいことが近かった。だから、即、「一緒にやろう」と。

そこから、藤田さんと有安さんとはどうやって出会ったんですか?

吉崎 メンバー募集の専用サイトに投稿したら、すぐ見つかったんですよ。

藤田 僕はすでにいろんな人に会ってたけど、ピンと来る出会がなかった。そんなとき、ヨッシー(吉崎)の投稿にはなぜかピンと来て、速攻自分のメアド教えたんです。

吉崎 そうそう。そのメアドがまたエアロスミスの曲名だったんですよ。

藤田 エアロめっちゃ命の時期があったので(笑)。そしたら、ヨッシーから「僕もエアロスミスは青春です」と返ってきて。

それ自体が青春(笑)。

藤田 デモも送ってくれたので、僕は「すぐスタジオに入りたい」と言ったんです。

吉崎 僕としては、セッション経験豊富な(藤田)朋生とは文化もフットワークも違うんだろうなという懸念があったんです。だから、スタジオに入るのは、一度会って、仲良くなってからと考えていて。

藤田 メールからその雰囲気を感じとったとき、「終わった」と思いました。すぐ音出さないヤツ、絶対ダメだわと(笑)。

吉崎 なんだかんだで最初に会ったとき、朋生がスゴいサイケなシャツを着てたんですよ。こいつ、ホントにブルース聴いてるんだって思いました。

萩原 髪もめっちゃ長かったし(笑)。

ウハハ。藤田さんの目に吉崎さんの曲は魅力的に映ったんですか?

藤田 僕が聴いてきたものとは違うけど、好きだなと思いましたね。その後出来てきた曲にも驚きがありました。

吉崎 ロン毛でサイケな朋生にめっちゃポップな曲を聴かせちゃったけど、意外な好反応で、こっちが驚きました(笑)。

ドラムはどうしようと思ったんですか?

吉崎 会ってすぐの朋生が、「任せてくれ。俺、見つけるの得意だから」と言ったんですよ。で、ホントにすぐ、アリちゃん(有安)を見つけてきた。

藤田 同じくメンバー募集サイトで見つけました。もう文章見ただけで、スキルとか人間性までわかるようになってたので(笑)。

よくぞこの4人が出会ったものですね。

有安 本当に奇跡です。

吉崎 バンド出身のふたりと、セッション経験豊富なふたりの組み合わせ。俺にとってはスゴい刺激になりました。

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