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ふぉ~ゆ~ 松崎祐介主演、石田 隼、横井翔二郎、小松準弥ら出演舞台『デルフィニア戦記~動乱の序章~』開幕。戦いの末に見えてくる、彼らが貫き通すもの

ふぉ~ゆ~ 松崎祐介主演、石田 隼、横井翔二郎、小松準弥ら出演舞台『デルフィニア戦記~動乱の序章~』開幕。戦いの末に見えてくる、彼らが貫き通すもの

12月8日(土)より東京渋谷にある“さくらホール”にて、舞台『デルフィニア戦記~動乱の序章~』が上演中だ。今作は、主人公のウォルがデルフィニア国の王位を一度は奪われたものの、困難を乗り越えた末に王座を取り戻した2017年1月の初演「デルフィニア戦記」第一章から3年後の世界を描いている。原作は、小説家の茅田砂胡の代表作である冒険ファンタジー『デルフィニア戦記』。そのゲネプロが初日前に行われた。

取材・文 / 竹下力

この理不尽な世界で生きる人間の摩訶不思議な実存が浮き上がる

げに女性は強し。「そんなことは言わないでもわかる」と一喝されそうだけれど、終演後、そんな印象を強く抱いたのは、原作に通底している、“母性”というテーマがありありと見える舞台に仕上がっていたからか。とにかく女性が強い。といっても、女性の登場人物は主に、リィ、カリン、アエラの3人だけで、ほとんどが男性の舞台なのにも関わらず、女性が躍動している印象を受けた。前作の“父殺し”をテーマにした舞台とはうって変わって、“母性の表出”というテーマに変わっていた。動から静へ。嵐の海の荒々しさから凪の海面のような美しさへ。“励まし”から“慈しみ”へ。

デルフィニア国の王位に就いていたウォル。彼はとある農婦の妾から生まれながらも王様になり、貴族たちのやっかみを受けながら、民に優しい、いわゆる良い政治をしていた。だが、貴族のペールゼンらの陰謀によって、国を追われる身となった。彼らは“改革派”と名乗り、ウォルの命を執拗に狙う。そして、ピンチに陥ったときに“異世界から落ちてきた”という謎の少女リィが現れ、彼を助ける。彼女の剣の力(腕っ節)、不思議なオーラで、危機を脱したふたりは、お互いに“同盟者”として国を取り戻すことを誓った。そして様々な困難を経て、ペールゼンを打ち倒し、ウォルは再び王位に返り咲いた……というのが前作のお話。今作はその3年後にあたる。王位を取り戻したウォルは、リィを王家の血を引かない王女として招き入れ、誰もが豊かに暮らせる国政で民を守ろうと努力し、その結果、デルフィニアは束の間の平和を維持していた。

舞台は、ウォル(松崎祐介)の従兄弟であるバルロ(大山真志)の母、サヴォア公爵夫人のアエラ(秋本奈緒美)と彼の叔父のマグダネル(伊藤高史)が話をしているシーンから始まる。どうやら農民の親を持つウォルが王位に就いているのが鼻持ちならないらしい。彼らの話からアエラとマグダネルは国王失脚を狙って何か陰謀を企てているとわかる。そして、バルロが現れる。彼はマグダネルとアエラがどうやら不貞を働いていることに怒髪天を突く想いを抱いき、ウォルに「マグダネルを討伐させてくれ」と嘆願する。ただし、理由を明かすことができない。それは彼らサヴォア家の恥だと思っていたから。しかし、争いごとを好まないウォルは断じて認めなかった。

その一方で、王女リィ(佃井皆美)にも怪しい影がちらつき始める。リィが侍女を探しているときに目をとめた、シェラ(林 翔太)という美しい銀髪の少女。リィはシェラが侍女に変装して自分の命を狙っていることに気づいているらしい。けれど、そんなことはお構いなしに自分の侍女として尽くすように命じる。同時にアエラたちが王女を亡き者にしようと暗殺を企ててもいることも匂わされる。様々な伏線が絡み合うが、いずれにせよ、リィに魔の手が忍び寄っていることは、ウォルも気づき始める。そして彼はとある作戦を考え、バルロにマグダネルを討つことを許可する……。

本作では男性性と女性性の対比が見事に描かれている。男性は政(まつりごと)に熱心である。それは現代でいえば“仕事を頑張っている”として捉えられるだろうし、会社のような“組織”をいくつも形成している。実際にバルロの友、ラモナ騎士団団長のナシアス(石田 隼)も、ウォルの幼馴染みのイヴン(横井翔二郎)も、みんなウォルを心から慕い、懸命に彼=国王=社長のために生きている。男は男として生きなければならない自尊心があるのだが、時として、かれらの思惑は悪手として空回ってしまう印象を受ける。

つまり、国の保身を第一に考え、“他者”への優しさを欠いてしまう傾向にあるのだ。それが理由に、政敵を倒そうと画策し、隣国との戦争も辞さないと言い始める。茅田砂胡による男性の造形は、男性の持つ理不尽な暴力性を描いていて、それを児玉が舞台にすくい上げ、男性なら誰にでも当てはまってしまうだろう、ある意味ステレオタイプな男性像として緻密に描いていたように感じる。それが男性にとっても居心地悪く見えないのは、演者の演技のリアルさもあるけれど、茅田や児玉が描くいかにもな男性が、昨今のニュースを見るにつけ、とかく現代に多いとまざまざと感じさせられてしまうからだ。言い換えれば、現代の女性にとって、世にいる男性がいかにステレオタイプに見えるのか、その証左でもあるような気がする。

そんな中で、光り輝くのは女性だ。リィは言うに及ばず、みな知的で優しさに溢れる一方、感情の振れ幅が豊かで、直情径行なところがある。つまり前者がどこか空虚で物憂げに見え、女性は現実を強く生きる、“人間そのもの”として存在している。さらに象徴的なのは、この作品の肝でもある、女性は男性とあくまで“同盟”の存在であって、対等な仲間であることを必死に訴えている点だ。潔い男女平等の概念が貫かれている。現代に置き換えてみれば、パワハラにせよ、セクハラにせよ、卑劣な男性に困っている女性に対して、堂々と言い返してみようというメッセージも感じる。それが無理なら、リィというセーフガードのような誰かが手助けしてくれるから大丈夫と背中を押してくれる気がするのだ。すなわち、リィが舞台でしっかりと生きていることに観客は勇気づけられ、拍手を送りたくなるのだ。

ちなみに今作は、前作に比べて“静”の部分が強調されている。海外の舞台のようなアトラクション的な要素が気薄なのは気のせいではないだろう。そのせいで、舞台設定は西洋的なのだけれど、どこか“能”のような静謐さを感じさせる。物語は大陸で展開されながら、大陸を取り囲む海をイメージさせる。戦争や謀略が飛び交う大陸という野暮な場所を母なる海が包み込み慰撫するのだ。そこからも女性が主役なのを感じる。もちろん、邪推と言われればそれまでだし、派手なアクションはあるのだけれど、美しい台詞の応酬が多いだけに、彼らの“行為”、一挙手一投足が余計に印象的に映る。今作は台詞劇としてみてもいいのではないだろうか。

松崎祐介(ふぉ~ゆ~)は、優しい為政者でありながら、時として残酷な面を見せる絶対的君主としてのウォルを、渋みのある“大人の男性”として演じていた。それはウォルが “父性”を手に入れたというべきか。ナシアスやバルロの台詞からもそれが伺えるときがある。ただ、彼はそれをギリギリのところで押し留め、優しさを垣間見せ続けた。彼のキャラクターのほとんどは長台詞と表情の変化で成立しているのだが、言いよどむこともなく、時にトラブルが続いて二進も三進もいかなくなったコミカルな王様を表情だけで演じてみせた。実に達者な役者だと感銘を受けてしまう。

そして、謎多きシェラ役の林 翔太(ジャニーズJr.)の体躯の美しさときたら! 言ってしまえば女形であるけれど、雰囲気から中性的で、見とれてしまった。それでいて、一皮むけば、ファロット一族の機械のような暗殺者という悲しい少年をいじらしく演じていて、それが彼の演技の中核をなし、人間が思うままに生きられずに生きることの難しさを体現していたように思う。まさに八面六臂の活躍で、仁義や忠義といった男性に特有の心性さえも闊達に表現していたように思う。

ナシアス役の石田 隼、イヴン役の横井翔二郎、バルロ役の大山真志も、ウォルに忠誠を誓いながらも、己のプライドに殉じて生きている、まさに男らしい演技をしていた。中でも、ヴァンツァー役の小松準弥は、自分の出自が自分でもよくわからない、デスパレート(自失)してしまった男性を狂気に満ちた演技で魅せた。この舞台での男性たちは、どこか利害や謀略といったものに絡め取られ、身動きが取れなくなった不自由さを表現していたのではないだろうか。

そして、秋本奈緒美は、思いどおりにならなくてやきもきしているアエラの気持ちを巧みに表現し、女性の業というべきか、女性が現代で抱えている“息苦しさ”を表情や所作でしっかりと演じていた。

リィ役の佃井皆美は、秋本とは真逆に、いわば綺羅星のように輝く母性の象徴であった。つきまとってくるシェラでさえ、真摯に受け止めようとする。口は悪く、腕っ節がやたらに強い若干16歳の少女は、原作に漂うフェミニンな香りをも纏って、佃井により舞台を美しく彩っていた。それでいて、神々しくならず、あくまで身近な、誰もが頼ることができる、いずれ母になるであろうミューズを丁寧に演じていたのではないか。

演出の児玉明子は、原作・茅田の流麗な台詞をテンポよく、リズミカルに見せていた。転換におけるアンサンブルの動きには、統制が取れて目を奪われたけれど、あくまで先に書いたように能的なスタティックな演出だったと思う。映像やライティングの妙で、心理描写を巧みに見せる手腕にはいつも感心させられるけれど、それ以上に、動きだけで、人間の持つ、優しさ、慈しみ、強さ、暴力、闇、それらを抱える厄介な生き物をコミカルに、それでいて、奥深く描いていたとも思う。

すべてがすべて平等であろうとすると、必ずひずみが生まれてしまう。良き方向に行こうとすればするほど、衝突が生まれてしまう。そんな矛盾。良き政治を志すウォルでさえ、民を守るためには謀略も必然、それが政治である。本作は、どんな人間も持たざるえない普遍的なもどかしさ、生きるというそのものが醸し出す哀しさもほのかに漂い、矛盾を抱えつつもこの理不尽な世界で生きる人間の摩訶不思議な実存をしっかりと浮き上がらせていた。それが世界の中核をなす競争原理に則った“資本主義”だと言われたら平身低頭するしかないけれど、そうじゃない生き方もあると、教えてくれる。何かに従い、がんじがらめになって生きることだけがすべてじゃない。そして、女性のリィがそれを慰撫することを見るにつけ、性差を超えた和解と労わりの必要性、人間の尊厳をも問うている物語になっていたと思う。

とはいえ、今作はまさに女性による、女性のための舞台であると思う。もちろん男性もウォルを含め感情移入できるが、女性の佇まいが何より清々しかった。リィのような凛とした女性に、現代の権力の座に派手に居座るおっさんたちを叱咤激励する意味で、「しっかりしろ」と一発パンチを食らわして欲しいものだ。でも、たとえ殴られたとしても、抱きしめてくれるのも女性の強さ。げに女性は強し、なのである(笑)。

公演は2018年12月8日(土)~12月13日(木)まで、渋谷区文化総合センター大和田4階 さくらホールにて上演される。

舞台『デルフィニア戦記~動乱の序章~』

2018年12月8日(土)~12月13日(木)渋谷区文化総合センター大和田4階 さくらホール

STORY
ウォルが再びデルフィニアの王冠を手にしてから3年。リィは“王家の血を持たない王女”として王宮に暮らしていた。ある日、国王の従弟であり筆頭公爵バルロが「叔父を討つ」と宣言した。しかしその理由については話そうとしない。一方で王女の周辺に黒い怪しい影が現れる。これらはすべてバルロの母アエラと叔父マグダネルが国王失脚を狙い、暗殺者一族に仕事を依頼したのが原因だった。ウォルはそれまで渋っていたバルロの挙兵に対し、決断をくだす。それでも騒動は収束されなかった。デルフィニア王家には近隣諸国から続々と王女への婚姻申し込みが届く。婚姻という名目で王女を排除するために。この混乱を収める方法はただひとつしかない、ということでデルフィニア王女の結婚の報が諸国に送られた。神殿において厳粛に婚姻式が進められる中、静寂を破る急使の声が響き渡る。血にまみれた使者が告げたのは──。

原作:茅田砂胡(C★NOVELS/中公文庫)
演出・脚本:児玉明子

出演:
ウォル 役:松崎祐介(ふぉ~ゆ~)
リィ 役:佃井皆美
バルロ 役:大山真志/
ナシアス 役:石田 隼
イヴン 役:横井翔二郎
マグダネル 役:伊藤高史
カリン 役:美郷真也
ブルグス 役:大原康裕/
ヴァンツァー 役:小松準弥
シェラ 役:林 翔太(ジャニーズJr.)/
アエラ、おばば 役:秋本奈緒美
ほか

主催:渋谷区文化総合センター大和田指定管理者 しぶや文化創造グループ
企画・製作:舞台「デルフィニア戦記」製作委員会2018
企画協力:茅田砂胡プロジェクト

オフィシャルサイト

©茅田砂胡(C★NOVELS/中公文庫)・舞台「デルフィニア戦記」製作委員会2018

関連書籍:茅田砂胡『デルフィニア戦記』