瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 4

Story

【日・木更新!】連載小説第4回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

【日・木更新!】連載小説第4回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

加賀野は、しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、一緒に暮らすことになってしまい--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の姿を描くハートフルストーリー。

第1回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第4回

第一章

3

「おっさん、食べる?」

 夜八時。ダイニングに入ると、食卓に青年がいた。

「これ、バイト先の残り物。消費期限は切れてるけど、おいしいよ」

「いや、いい。夜はあまり食べないから」

「ふうん。おっさん、普段何食べてるの?」

 青年は飲み物を入れるのだろう。台所に向かいながら言った。

「適当なものを食べてる」

「適当なものって何だよ」

「インスタント物とか、カロリーメイトとかかな」

 週に一度外に出て、簡単に食べられそうな物をいくつか買う。もともと食にこだわりがないうえに、家で座ってパソコンのキーボードを打っているだけだから、そうそうお腹もすかない。

「バランスよく食べなくても病気にならないもんなんだな」

「サプリを飲んでるからな」

「サプリねえ。あ、なるほど。それでか」

 青年は俺の席にもお茶を置くと、一人でうなずいた。

「何がだ」

「ちょっと前に読んだおっさんの小説だよ。路頭に迷った青年が北陸を訪れて、そこでまたもや絶望して海のもずくに変身するっていう奇天烈なファンタジー」

「ファンタジーではなく、あれは生きる上で切り離せない苦悩を描いた純文学だ。しかも青年が姿を変えるのは、もずくじゃなくてもくずだ」

 青年には国語力が一切ない。俺は食卓に着きながら指摘した。

「ふうん。俺、苦悩したからって海藻になりたがるやつなんて一人も知らないけど。ま、そこのリアリティのなさはおいといて、青年が北陸で魚食べるシーンあっただろう?」

「ああ、かもな」

 十年近く前に書いた小説だ。細かい場面までは覚えていないから、俺はあいまいにうなずいた。

「そのもずく青年、漁港の市場で鯵の刺身を食べて『獲れたてだけあって身がふんわりとしておいしいですね』って言うんだぜ」

「それの何が悪いんだ?」

「日本海側の魚のよさは身の締まりだろう。太平洋側で暮らしていた青年なら、まず身の弾力に驚くよ。しかも鯵の刺身がふんわりって腐りかけじゃない? おっさん、サプリばっか食ってるから味がわからないんだ」

「小説はフィクションだ」

「へえ。そういう部分は適当でいいんだ。あ、千二百円立て替えといたから、またでいいけど、返してね」

 青年はコンビニのおにぎりを食べ終わると、そう言った。

「千二百円?」

「そ、後期分だって。払っておいたから」

「何の後期分だ?」

 光熱費は銀行から引き落としで払っているし、お金がかかることなど何もしていない。

「自治会費だよ。朝、散歩してたら、裏の高木さんと会って、おっさん、自治会入ってないって聞いたから、慌てて原田会長の家まで挨拶行って加入しといたよ。もう十月だから後期分だけでいいってさ」

「は?」

 高木さんに原田会長。聞いたことがない名前が並んで、まるで意味がわからず俺はただ首をかしげた。

「だから、この三丁目の自治会の会費」

「はあ」

「おっさん、回覧板回ってこないだろう?」

「回覧板……」

「そう。地域の活動とか載ってるやつ。おっさん、自治会に入るの忘れてるからだよ」

「忘れてるんじゃない。入りたくないだけだ」

 五十年近く前に開拓されたというこの地域は古く、バスを乗り継がないと駅に出られない不便さはあるが、その分土地が大きく一軒一軒がゆったりと建てられていて近所のことも気にならない。人に会うことはめったになく、面倒な近所づきあいと無縁でいられる。それに惹かれここに住むことにしたのだ。それなのに、自治会だ回覧板だとなったら意味がない。

「入りたくないって?」

 青年は眉をひそめて見せた。

「回覧板など必要ないし、地域の活動に興味もない」

「おっさん、危機回避能力ゼロだな」

 青年はおおげさなため息をついた。

「危機回避能力? 自治会と何の関係があるんだ」

「おっさん、地震や災害が起きたらどうすんの?」

「避難場所は知っている。小学校の体育館だ」

「で、体育館に行って、おっさんはどこに座るの? 万が一、怪我したらどうやって体育館まで行く? 食べ物は? トイレは?」

「そんなのは国が……、少なくとも県が助けてくれる」

 俺の言葉に青年は身震いをするふりをした。

「家の中でパソコンばかり打ってたら本当やばいんだな。緊急時にこんな田舎まで国や県の手がすぐに回るわけないだろう? 何丁目の誰が今どんな状況かだなんて、把握できるわけないじゃん」

「まあ、そうだな」

「何かが起こったら、まずは自治会単位で行動するのが主流だよ。防災用品だって自治会の備品倉庫にあるはずだ。体育館に逃げた後も自治会の指示に従って動くんだよ。おっさん、三丁目からも見捨てられたら、誰にも知られずこの家で藻屑になるよ」

 次々と出てくる説得力のある青年の言葉にうなずきそうになった俺は、
「でも、起こるかどうかわからない万が一のためにわざわざ入ることないだろう」
 と、なんとか反論した。

「入ったって損はないだろう? もしかして、千二百円惜しかった?」

「そうじゃないけど」

「だったら何?」

 自治会に入ったことを渋る俺に、青年は呆れた目を向けた。

「何ってことはないけど、でも、やはり……」

「そうだ。やっぱりおかしいだろう。五十歳にもなる男が一人暮らしで、平日の昼間から家にいる。何をやっている人間だといぶかしがられるに決まっている。人目なんてどうでもいい。自分は自分だ。そう思ってはいる。けれども、ご近所の好奇の目にさらされると思うと、息をひそめて暮らすほうが……」

「おい、君。ちょくちょく、俺のモノローグを勝手に発表するのやめてくれないか?」

 青年が言うのに、俺は声を荒らげた。

「どうせそんなとこだろう? って、おっさん、小説書いてるって、周りに堂々と言えばいいじゃん」

「聞かれもしないのに、職業を告白するなんて変だろう。それに、みんなに知られているほど有名なわけでもないのに、小説家だなどと言ったらますます怪しまれる」

「そもそもみんなに知られてる小説家なんて夏目漱石と紫式部ぐらいだって。あ、おっさんもお札に顔印刷してもらったら、市民権得られるんじゃない? 日本銀行に電話してみたら?」

「いいんだ。今の暮らしに何も困ってないんだから」

 自治会に入っていなくとも、一度も不具合を感じたことはない。俺がそう言うと、

「あっそう。まあ、今年度分は会費払っちゃったし、三月までは自治会員でいいじゃん。じゃあ、俺、働き詰めだったし寝るわ」

 青年は「やれやれ」とつぶやきながら部屋を出て行った。

 自治会に入るだなんて今まで考えたこともなかった。引っ越してきた時に当時の会長に自治会の説明を受けたけれどそれだけで、その後は入会を勧められたことはない。隣の家の人ですら、二ヶ月に一度、家の前ですれ違えばいいところだ。それなのに、突然回覧板を隣に届けなくてはいけないなんて、想像するだけで、ぞっとした。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


一緒に暮らすことになった“息子”は、いつの間にかご近所さんと知り合いになり、勝手に自治会の会員に--!?

第3回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』……おっさん、この小説の結末、意味が不明なんだけど

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2018.12.09

第5回はこちら
【日・木更新!】連載小説第5回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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2018.12.16

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

vol.3
vol.4
vol.5