瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 5

Story

【日・木更新!】連載小説第5回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

【日・木更新!】連載小説第5回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

加賀野は、しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、一緒に暮らすことになってしまい--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の姿を描くハートフルストーリー。

第1回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第5回

第一章

4

 右手に神が降りてきた。などという話を聞くが、何かが乗り移るように文章が運ぶことはない。無我夢中で書いていて驚くほどの時間が経っていたということもなければ、登場人物たちが勝手に動きだすこともない。パソコンの前に座って、頭を整理しながら少しずつ言葉を打っていく。俺にとって小説を書くのは意外と現実的な作業だ。それでも、少しずつ話が広がっていくこの時間が好きだった。主人公をどこに行かせようか、どんな人物と出会わせようか、などと思いを巡らせると、むさぼるように図書館の本を手に取ってはわくわくしながら読んでいた幼いころの感覚がよみがえってくる。

 まあ、今書いているのは、友人と会社を立ち上げたものの、その友人に会社の金を持ち逃げされ倒産を余儀なくされた男の話だから、わくわくするのは少し違うかもしれないが。

 友人に裏切られた次は、孤独感を煽るために、親にも頼れない状況を持ってくるとしよう。俺は昨日まで進めた文章を読み返した後、キーボードに指を置いた。二十七歳の主人公・亨介は久しぶりに故郷へと戻る。しかし、実家はすでに引っ越していて、自分の居場所がないことに気づく。

 そこまで書いて俺は首をひねった。どうだろう。親は引っ越しをするとなったら、普通は息子に告げるだろうか。成人した子どもだ。切り離して生活をしているものだろうか。あまりリアリティがないのもいけないと、自分の親を思い浮かべてみる。

 俺は大学進学と同時に家を出た。学生時代には、正月と盆には家に帰っていたが、卒業後はそれすらもなくなった。俺が就職せず小説家になったことに、役所勤めで昔気質の両親は納得していなかったし、俺のほうもどこかで美月を妊娠させたことが耳に入っているかもしれないと思うと、ますます会いづらくなった。二十代のころは、母親から「元気なのか。たまには帰ってきなさい」とたびたび電話やはがきが来ていたが、俺が三十になるころには、それもなくなった。親も年を取って俺のことなどかまっていられなくなったのだろう。俺にはすでに愛想をつかしているはずだ。

 俺の家は変わったケースかもしれないな。普通の親はどうだろう。子を持たないと、親の気持ちなどわからないものだと考えて、はっとした。そう言えば、俺には息子がいた。

 一応、俺は二十五年もの間、父親ではあるのだ。自分の自覚のなさに驚いてしまうが、いくら血がつながっていても、会わずにいたら、自分が親だという感覚も持ちようがない。先週の水曜日に、初めて生身の息子を見た。だけど、猫が迷い込んできたかのようで、我が子に対する情のようなものはわいてはいない。

 青年のほうも住むのに便利だからとここにいるだけのようで、ことさら俺との距離を縮めようとすることはなかった。現に、昨日一昨日と、姿も見ていない。生活リズムが違うと、同じ家に住んでいても出くわさないようだ。

 案外、親子の関係なんて希薄なものだ。主人公の親が勝手に引っ越していても、違和感はないだろう。それでいいかと文章の続きを打っていると、ノックが聞こえ、
「死んでない?」
 と青年がドアを開けて入ってきた。

「いや……」

 死んでない。なんという質問だろうと俺が顔をしかめている横で、青年は部屋を見回しながら、
「これがおっさんの部屋か。作家だって言うから辞書と本がぎっしりかと思ったら、すっきりしてるんだね」
 と言った。

「まあな。って何の用だ?」

 そもそも家に人が来ること自体ないが、他人に書斎に踏み込まれるのは初めてで、俺は少々身構えた。特に見られて困るものはないが、仕事場を目にされるのはどこか恥ずかしい。

「何の用って、火曜日におっさんの姿をダイニングで確認して以来、二日間も消息を絶ってるからさ。安否確認しに来たんだ」

「何度かダイニングにも行ったけど、出くわさなかっただけだ」

「ま、元気そうだね。おっさんって、食事の時以外はここにいるの? 息苦しくない? ちょっとは換気しなよ」

 青年は勝手に部屋の奥まで進むと、窓を開けた。午後五時を過ぎ、赤みを帯びた日差しと冷やされた軽い風が部屋に入り込んでくる。

 せっかく進んでいた文章もここまでだ。こんな中断が入ったのではもう仕事に戻れそうにない。俺はパソコンを閉じると、椅子から立ち上がって伸びをした。書斎は二十畳ある。家具は広めの仕事机と本棚とソファと小さなテーブルだけで、この部屋に息苦しさを感じたことはない。

「噂には聞いたことあるけど、作家って本当に椅子に座って、ただパソコン打ってるだけなんだね」

「これが仕事なんだ」

「会社行ったりしないの?」

「いや。どこかに所属してるわけじゃないから」

 パソコンで小説を書き、メールで出版社に送る。できたゲラを郵送でやり取りして、本になる。家から一歩も出ずに、仕事は成り立つ。

「俺ですらローソンに所属してるのに。あ、そうだ。からあげクン食べる? バイト上がりに買ってきたんだ。まだ温かくておいしいよ」

 青年はソファ前の小さなテーブルに、包みを置いた。鶏の顔がデザインされたパッケージは湿気のせいか少しよれている。

「君は関西に住んでいたの?」

 昼前にコーヒーを飲んだきりでお腹がすいていた俺は、揚げ物の香ばしいにおいにテーブルのほうへ体を向けながら聞いた。

「何度か旅行で大阪と京都には行ったことあるけど。どうして?」

「関西の人は豆に“さん”をつけたり、飴に“ちゃん”をつけたり、食べ物に敬称をつけて呼ぶと聞いたことがあるからさ」

「それで?」

 青年は不思議そうな顔をした。

「それでって、さっき、君、唐揚げに“くん”をつけてたから、関西の呼び方なのかなと」

「くん?」

「さっき、唐揚げくん食べるかって言わなかったか?」

 聞き間違えだったのだろうかと俺が首をかしげるのに、
「おっさん、本気かよ」
 と、青年は頭を抱えた。

「これはからあげクンっていう食べ物なの。クンも含めて商品名。ほら、食べてみ」

 青年は呆れ顔で包みを開くと、唐揚げにつまようじを刺して俺に差し出した。

 勧められるがまま、小ぶりのチキンナゲットのような物体を口に入れる。表面はカリッとしていて身はやわらかく、油もしつこくない。ちょうどいいスパイシーさが後を引く味だ。

「うまいな」

「だろう。これがからあげクン。もはやポッキーやハッピーターンやスタバラテと同じくらい知名度があると思うけど」

「そうなんだ。ポッキーは食べたことあるけど、スタバのラテは飲んだことないな。あ、もちろんスターバックスは知ってるけどな」

 俺は答えながら、からあげクンをもう一つ口に入れた。唐揚げよりも軽くて、スナック菓子よりも食べ応えがある。昔ながらの親しみ深い味のようで控えめなパンチがある。しかも、小ぶりでいくつでも食べられる。味わいながらほおばっていると、
「おっさん、どうして一人で全部食べるの? 普通は分け合って食べるんだよ」
 と、青年がぎょっとした声を上げた。

「あ、ああ。あれ? そっか」

 からあげクンは小さいくせにたった五つしか入っていないようで、パッケージの中はあっけなく空っぽになっていた。

「いや、あまりにうまくて……」

 俺が正直に言うと、青年は、
「おっさん、タイムスリップで江戸時代から来たとかじゃないよな。そういや、加賀野正吉って名前、古めかしいもんな」
 と笑った。

「まさか。そんなわけはないけど、コンビニにはあまり行かないから」

「おっさん、外、出てる?」

「ああ。週に一度程度は」

 家で仕事をしているとはいえ、買い物や散髪、市役所や郵便局。外に出る機会はあるにはある。

「案外出てるんだ。人とは話す?」

「支払いはカードでとか着払いでとか、言うかな」

「それ、会話じゃないから」

 青年の指摘どおり、会話と呼べるようなものはずいぶんしていない。ここで暮らし始めたころは、これでいいのだろうかとも思った。周りと切り離された暮らしや人とつながらない生活。でも、そんな日々が何年も続くうちに、何も困らないことに気づいた。家にこもっていてもおかしくなっていないし、人と話さなくても寂しくも苦しくもない。体にも精神にも支障はきたしていない。そのうち、話すのも外に出るのも単純におっくうになっていた。

「人と話さなくても小説書けるってすごいな。っていうか、でたらめばかり書いてるんじゃないだろうな」

 青年は「飲む?」とビニール袋からペットボトルのお茶を出しながら言った。

「本やネットで世の中の様子はわかるから、それで大丈夫だ」

「からあげクンも知らなかったのによく言うよ。おっさん、もっと外に出ないと。百冊の本を読むより、一分、人と接するほうが十倍の利益があるって、かの笹野幾太郎氏も言ってるだろう」

 笹野幾太郎。小説家だろうか。評論家かどこかの教授だろうか。名前からして立派な人物でありそうだ。青年が知っていて、俺が知らないのは癪に障るが、聞き返した。

「笹野幾太郎って誰だったかな」

「笹野さん、知らないの?」

「ああ。ちょっとど忘れしたようだ」

「俺が働いてるローソンの店長だよ。マニュアル読んでる間に客の対応しろ。そのほうが十倍いいっていつも言ってる」

 そういうことか。俺が拍子抜けしていると、
「さあ、行くよ」
 と、青年が立ち上がった。

「どこへだ?」

「スタバだよ。おっさん、スタバのラテ飲んだことないんだろう? 行こう」

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


50歳の引きこもり作家は、“息子”の青年に連れられて、街へと繰り出すことに--。

第4回はこちら
【日・木更新!】連載小説第4回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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2018.12.13

第6回はこちら
引きこもり作家と息子を名乗る青年との同居生活…連載小説第6回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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2018.12.20

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

vol.4
vol.5
vol.6