ドラマ『僕らは奇跡でできている』特集  vol. 6

Interview

『僕らは奇跡でできている』のシナリオを書き上げた、 脚本家・橋部敦子の胸に去来した思いとは?

『僕らは奇跡でできている』のシナリオを書き上げた、 脚本家・橋部敦子の胸に去来した思いとは?

一元的、あるいは画一的にストーリーを見せていくのではなく、観る側の視点によって受け取り方や印象が異なる、ジャンルレスな作品として話題を呼んでいる、高橋一生主演の連続ドラマ『僕らは奇跡でできている』(カンテレ/フジテレビ系)。その物語が今夜9時いよいよ幕を閉じる。
脚本を手がけたのは、『僕の生きる道』(カンテレ/フジテレビ系)をはじめとする“僕シリーズ”3部作や、『フリーター、家を買う。』(フジテレビ系)『A LIFE〜愛しき人〜』(TBS系)などで知られる、橋部敦子。以前から描きたいと考えていた題材の物語を無事に着地させ、何を思ったのか? その胸中や、ラストに向けてドラマに込めた思いなどを聞く。

取材・文 / 平田真人 撮影 / 荻原大志

人の心の奥に届く…気づきや目覚めをうながすようなものをカタチにしたかった。

『僕らは奇跡でできている』は、視聴者にさまざまなことを考えさせてくれる「余白」のあるドラマだった、という印象を抱いています。そういった構造の脚本を描くのは、ある種挑戦だったのではないかと思われますが…。

                      

テレビドラマにもいろいろな役割があります。作品によって、視聴者のみなさんがさまざまな感情を抱かれると思いますが、今回の作品で個人的に意図していたこととして、人の心の奥に届くものと言いますか…気づきや目覚めをうながすようなものをカタチにしたかったんですね。ただ、それはどういうものなのか、最初はまったくわからなかったので、その時点ですでに挑戦であり冒険であることは自覚していたんですけど、今になって…そのチャレンジがいかに大きなものだったかを、あらためて感じているといった次第です(笑)。

以前に手がけられた作品よりも、その実感は大きいということでしょうか?

どう描けばいいのかわからなかったものがカタチになっていき、しかも意図した気づきや目覚めをうながすものになったのは、脚本だけではなく、キャストのみなさん──特に主演の高橋一生さんが発する言葉やお芝居が、視聴者のみなさんの細胞に染みわたるような表現になっていたからだと思います。そういったお芝居ができる場をつくってくださったスタッフのみなさんの力もとても大きいです。『僕らは奇跡でできている』は、“見えないものも見る”という世界観もあったので、私もそれまで見えていなかったものが執筆しながら見えてきた部分もありましたし、毎話できあがったドラマを見て、細部にわたるまで思いをこめてつくってくださっているのが伝わってきて、視聴者のみなさんに届く作品ができあがっていることを、より実感しました。

脚本家・橋部敦子

中でも第7話は、多くの視聴者が話題にしたことで反響が大きかった回として記憶しています。とりわけ、一輝が育実に語った「誰でもできることは、できてもすごくないんですか?」のひと言に、それこそ気づかされものがありました。あの回の一連のセリフのやりとりを、どのようにして紡がれていったのでしょうか?

元々、(榮倉奈々が演じる)水本育実という人物には視聴者に対して、わかりやすく変化を見せていく役割を担わせていました。育実という名前も意図的な意味を持たせて名付けているんです。まず、自分を育む。そんな彼女の物語を一つのラインとしてつくっていく時に、自然とあの会話に到達したと言いますか…本来の自分自身を受け入れていく過程と言いますか…その中で生まれた言葉のやりとりなので、私の中では作劇という感覚ではないんですね。ただ、物語のスタート地点で、育実が自分自身を大切に思う気持ちを育む過程を、一輝とのふれあいを通じて描いていこうと決めていたので、その延長線上で、ああいったシーンになったという感じです。

毎話、執筆をしていく中で“生きた言葉”が生まれたのだろうと想像しますが、物語を綴っていく中で…それこそ育まれたエピソードだったり、話のニュアンスが当初のプロットとは異なるものになった、といったこともあるのでしょうか?

今回は明確なプロットというのがなくて、各回ごとに書き始めてみないと、どのような話になるのかわからない状態だったんです。そういったところもふくめて“奇跡的”と言いますか、めざしていた最終話のラストまで、よく到達できたなと(笑)。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』より

なるほど。では、主人公の相河一輝のこともお話いただければと思います。一輝というキャラクターは、高橋一生さんに寄せて描かれているのでしょうか?

一生さんのことは今まで、画面を通してしか存じあげていませんでした。今回もしっかりとお話をさせていただいたのは一回だけだったので、一生さんご本人がどのような方なのかはわからない、というのが正直なところです(笑)。ただ、私の勝手なイメージで…しかも、ものすごく抽象的な言い方なんですけど、一輝も一生さんも“地球人の振りをした宇宙人”なんです。もしかすると、そういった私のイメージした像を一生さんご自身に通じて掬いとってくださったのかもしれませんが、私の方から意図的にキャラクターを寄せたということはありません。実際、かなり難しい役どころだと思うんですね。でも、一生さんに演じていただけるから、このキャラクターで大丈夫だと思ったのは確かです。
よく雑誌に載っていた一生さんのインタビュー記事には目を通していて、その受け答えの印象があったので、最初から一輝と重なっていました。そこはもう、感覚的な話ですね。視点が一定ではないと言いますか…すごく俯瞰したものの見方ができて、興味があることにはのめり込むような視点を持っていらっしゃるという印象があったんです。それがすべてではないんですけど、一輝に通ずるところがあるのかな、と。

ちなみに、相河一輝という名前の由来は、どこから…?

あまり明確にするのもどうなのかと思いますが、どんなに真っ暗闇でも必ず小さな光がどこかにあって、それを拡大して自分の世界をつくる──といったイメージから名付けました。

橋部さんが主人公になる人物を描く上で、どの作品にも共通することはあったりするのでしょうか?

キャラクターが毎回違うので、意識の上で何か一貫して気をつけているということがあるのか、自分では気づいていないんですけど、もしかすると共通しているところがあるのかもしれませんね。でも…作品ごとに描こうとしている主人公を設定する、という感じなので、自覚はしていないです。今回の『僕らは奇跡でできている』の相河一輝に関して言いますと、主人公は特殊な立ち位置にいると言いますか…育実さんと(松本若菜演じる虹一の母・)涼子さんは、目の前で起きたことにとらわれる位置にいて、一輝のおじいちゃんの義高さん(田中珉)と鮫島教授(小林薫)は、物事を俯瞰して見られる人たちというところにいる。でも、一輝という人は目の前のことを拡大して見る…すごく視点が近かったり、一方ですごく俯瞰して物事を見る──1人だけ幅が広いんですね。その視点の幅広さが一輝のユニークな面でもあるんですけど、そこは描く時に注意したポイントだったかもしれません。

なるほど、では、シナリオ上で動かしていた人物たちの中で、実際のオンエアを見たことにインスパイアされて、さらにイメージがふくらんだキャラクターはいらっしゃいますか?

キャストのみなさんが演じてくださったことで、私に返ってくることというのはもちろん毎回あります。それを具体的に「どこがどのように」とは申し上げにくいんですけど、確かにどのキャラクターもイメージしやすくなるので、エピソードがどんどん浮かびやすくなってはいきますね。
その関連で言うと…実は最終回で熊野事務長(阿南健治)に言わせたいひと言があって、そのために第1話からさんざん熊野に前フリをさせてきたところがあります。それを書くのが楽しみというワクワク感があったからこそ、途中の話をつくることができたと言っても過言ではないです(笑)。とらえようによってはものすごく深いひと言を熊野事務長には言ってもらうんですけど、そのセリフだけはドラマをつくる時点から唯一使おうと決めていました。きっと、「ああ、このひと言か!」と気づいていただけると思います。

熊野事務長(阿南健治) ドラマ『僕らは奇跡でできている』より

自分が想像していたもの以上の作品が、完成したのだなと感じました。

セリフというところでは、会話のテンポやリズムがとても小気味いいドラマでしたが、そこも留意されたのでしょうか?

う〜ん…何をもってテンポと定義するのか自分ではわかっていないんですけど(笑)、入稿する直前まで、結構しつこく何回も読み直して、語尾や「てにをは」はしっくり来るまで直します。それはかなりしつこいくらい深く…こだわります。

そのようにして会話における言い回しや間合いを大切にした結果、ト書きが最小限の脚本になるという方法論に落ち着いたのでしょうか?

ほかの方のシナリオに比べて、私の脚本はト書きが少ないんですね…? そもそも、方法論なんて大それたことは考えていませんし…(笑)。

深読みが過ぎたようです(笑)。そもそも、という話で言いますと、この物語の着想は、どのようにして得られたのでしょうか?

私自身が認識しているポイントで言いますと、世界や社会においては一見、調和を乱すような存在だけれども、見方を変えてみると「内なる調和」が一番とれている人である、という話をしたところ、プロデューサーの豊福(陽子)さんと「そう、それそれ!」という感じで意気投合しまして(笑)。ただ、その時はあまりにも抽象的すぎて企画でも何でもなかったんですけど、いわゆる“ガワ(=アウトライン)”ではなくて、種の部分で共鳴し合えたことには感動を覚えました。ドラマの脚本を担当する際、ほとんどが「こういう企画をやりたい」と提示をされるので、その中で何ができるか、というのを考えるというのが主流なんです。それもあって、物語の種となる部分で共鳴し合えたことが、すごくうれしかったんですよね。

その種から芽が出て、物語がふくらんでいく中で、キャラクターが立って独り歩きしていったような登場人物はいるのでしょうか?

それで言うと、(児嶋一哉演じる)沼袋先生ですね。最初は“コンチューバー(昆虫の扮装をしたユーチューバー)”にするといったことはまったく考えていなかったんですけど、物語を書いていく中で、彼なりの表現の仕方を見つけていく──それぞれが自分をどう活かして表現していくかという最終回になっていくので、沼袋の場合は“コンチューバー”だったのではないかなと思い、あのような人物像になっていきました(笑)。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』より

児嶋さんが演じられたことも大きな要因でした?

そうですね。沼袋は当初から児嶋さんをイメージして描いていたので、本当にキャスティングされた時はビックリしたくらいです。

結果的にアテ書きになったという解釈で大丈夫でしょうか?

どうでしょう…アテ書きとはちょっと違うかもしれません。逆に、「グッジョブ!」とか「ドンマイ!」というひと言だけ発する沼袋のセリフを、児嶋さんならきっと成立させてくださるはず、という信頼のもとに書いていましたもので…それをアテ書きと呼んでいいものかどうか(笑)。

逆に言うと、ひと言ですべてを物語るというのは、児嶋さんからするとハードルが高かったのかもしれませんね。

その点で言いますと、予想以上にとてもいい具合に育ってくれたキャラクターだったなと思います。

それから、一輝の教え子である4人の学生たちや、小学生の虹一くんもドラマの中でいいスパイスになっていたのかなと思いますが、その辺りについては?

まず虹一くんのことで言いますと、彼とお母さんの話を描きたいと思ったんです。それが一輝の少年時代とリンクしてくるというところで、役の設定をしていきました。また、大学生たちですが…今の時代に限らず、「自分が何をやりたいのか、わからない」ところは、そう変わらないと思うんです。その普遍的な悩みや迷いを描けたらいいなと思って、彼ら彼女ら4人を登場させました。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』より

そういった登場人物たちの配置図というか相関図は、どのようにして定められていったのでしょう? たとえば、一輝と育実の関係値であったり…。

そこは考え抜いたという感じではなくて、意外と最初からうまいことポンポンとはまっていった記憶があります。一輝の世界観──「自宅と学校と、ときどき歯医者」という生活圏ができあがった時点で、自然と人々を配することができたと言いますか。もちろん私ひとりで考えたわけではなく、プロデューサーの方々と「この物語には、どんな人たちが出てくるか」ということを話したんですけど、実はそんなに頭で考えて配置したというわけではないんです。プロデューサーのみなさんとお話をする中で、「こんな人がいそう」という大まかな配置図をつくってから、具体的に個々の役割を具体的に考えていったという感じでした。最初から具体的だった人もいれば、話が進んでいくうちに具体的になっていった人もいますし…そこはキャラクターによりけりでしたね。

そのように人物像をふくらませている時なのか、実際に物語を走らせた段階なのか…脚本を執筆されていて輿が乗るのは、どういった時期なんでしょう?

そこはちょっと波がありまして(笑)。毎回、「もう今回はダメだ」と思うんですけど、フッと「この回はいける!」という拠り所が見つかった瞬間は、とても楽しいです。それ以外は、本当に「どうしよう…」と頭を悩ませていて。でも、プロデューサーのみなさんとやりとりをしていく中で「ハッ」と出口が見える瞬間があって、そこに向かって書いていく段階は楽しめていますね。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』より

それは物語全体ではなく、毎話毎話ということでしょうか?

そうです。たとえば、第7話も書く前からあのような展開になる、とは決めていなかったんです。書きながら、「あ、7話はこういう話なんだ」とボヤッとしていたものを、くっきりとさせていくような作業を進めていって、毎話ポイントになる部分を見つけていくような感じでした。

そうやってもがいてもがいてラストにたどり着き、物語を完結させた時に去来したのは、どんな思いだったのでしょう?

書き終えた時は…最初に意図した「目覚め、気づき」というものをうながすドラマとして、自分が思っていた以上のところに昇華させることができたと言いますか…「このチームすごいなぁ!」と思いました。やっぱり自分1人では、その境地に到達することはできなかっただろうな、と。台本は主にプロデューサーのみなさんとつくっていきましたが、ドラマとして完成させるにいたるまでのスタッフ・キャストのみなさんの仕事ぶりを目にするにつけ、「本当にすごい人たちだな」という思いが増していって。その循環がめぐりめぐって、最後には自分が想像していたもの以上の作品が完成したのだなと感じました。

そのお話を聞くと、ラストがどのように着地するのか、さらに楽しみが増しますね。

自分としては、このドラマならではの最終回になったなと思っていて。見ていただく方によって受け止め方や印象が違うと思いますけど、必ず何かを受け取っていただけるラストになっていると思っています。

橋部敦子(はしべ あつこ)

名古屋市出身。
1993年、『悦びの葡萄』が第6回フジテレビヤングシナリオ大賞で佳作受賞。
1995年、『SMAPのがんばりましょう NAKED BANANAS』でデビュー。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』

毎週火曜 夜9時~9時54分(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)

キャスト:
高橋一生 榮倉奈々 要 潤 児嶋一哉
西畑大吾(なにわ男子/関西ジャニーズJr.) 矢作穂香 北 香那 広田亮平 / 田中 泯
トリンドル玲奈 阿南健治 戸田恵子 小林 薫

脚本:橋部敦子
演出:河野圭太(共同テレビ) 星野和成(MMJ) 坂本栄隆
プロデュース:豊福陽子(カンテレ) 千葉行利(ケイ ファクトリー) 宮川 晶(ケイ ファクトリー)
制作協力:ケイ ファクトリー
制作著作:カンテレ
オフィシャルサイト
https://www.ktv.jp/bokura/


『僕らは奇跡でできている』“チェインストーリー”

※毎週火曜各話放送終了後から配信開始

普段はほとんど誰とも会話しない講師・沼袋順平(児嶋一哉)が、登場人物にまつわる仮説を検証するドラマ。

GYAO
https://gyao.yahoo.co.jp/special/bokura_drama/

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