黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 23

Interview

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

株式会社スクウェア時代から、現在の株式会社スクウェア・エニックスの現職に至るまで、常にゲームプロデュースの最前線に立ち続けるキーマン、それが橋本真司だ。

橋本のSNSを見ると、一年の大半を海外出張で過ごし、様々な案件のコーディネートに携っている片鱗を伺うことができる。私が橋本と出会ってからすでに25年近くが経過するが、その間も常にその仕事の姿勢は変わらないように見受けている。

ちょうど、私が独立して起業したときに、橋本からは「努力」「継続」そして「孤独」という三つの言葉を贈られた。最後の「孤独」とは今回の取材のなかでも語られているように、自身で決めたことは自身で受けとめるという覚悟の言葉であると。

そして、商品を作る側として、才能あふれるクリエイターを応援するというポジションとモチベーションを常に持ち続けている。橋本はすでに61歳。ただし、尊敬する人物たちが現役で活躍し続ける限り、彼も現役を退く気持ちはないという。

その尊敬できる人物とは・・・そして橋本が何を感じ、何を想い、それぞれの作品に向かい合い、人生を生きてきたのか。今回の「エンタメ異人伝」は、橋本真司を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。
(敬称略)

インタビュー取材・文 / 黒川文雄


「あれは間違っている。生まれは58年」

おひさしぶりです、今日はよろしくお願いします。

橋本 こちらこそ。(同席していた部下の方に向けて)クロちゃん(筆者愛称)はね、バラを持ってゲーム雑誌に出ていたんだよ。

『じゅげむ』(注1)で「薔薇の部屋」という連載をやっていたんですよね。バラを咥えて出ていたので、ソッチの人と思われたりしました。よく覚えていますね。

注1:リクルート(現メディアファクトリー)が刊行していたゲーム雑誌。大人層向けで連載コラムなどが充実していた。

橋本 覚えているよ。あと「G兵衛(じいべえ)」(注2)・・・とかね。

その話もしますか(笑)。デジキューブが開発したコンビニ向けのデジタル端末のことですね。はい、あれを「G兵衛」って呼ぶのを止めさせたのは僕です。

注2:デジキューブと取引のあったコンビニエンスストアに導入された販売什器の名称。名称が一般的ではなく、親しみを感じなかったため名称使用を止めた経緯がある。

橋本 そう、そう。

どうしても止めてほしいって。鈴木(尚)さん(注3)に当時お願いしたんですよね。
今日は、橋本さんの少年時代から、今にいたるお話をうかがっていきたいと思います。Wikipediaなどでは1956年生まれとなっていますが。

注3:スクウェア(現スクウェア・エニックス)設立時のメンバーのひとりで、スクウェアやデジキューブの社長などを務めた。

橋本 あれは間違ってる。生まれは58年。

そうなんですか。すみません、確認不足でした。出身は東京ですか?

橋本 いや、福岡の北九州市門司港です。

どんな環境だったか、覚えておられますか。

橋本 関門海峡のとなりで和布刈(めかり)神社っていう神社があって。すごくいいところだったけど、1歳のときに父親が転勤しちゃったから、ほとんど記憶にないなあ。

お父様はどんなお仕事をされていたんですか?

橋本 父親は金融関係。だから、だいたい2年半、最大5年で全国の支店をローテーションするの。お金を扱う仕事は必ずそうだよね。

小学生のころは短距離走が得意だった

いつも「話題の転校生」

ということは、幼少期は日本全国を回った感じですか。

橋本 そうそう。そういう意味でいうと、生まれは九州だけど東京といってもいいかも。箇条書きで言うとね、北九州市から始まって神田、荻窪、新潟、市ヶ谷加賀町、釧路、雪が谷大塚。で、雪が谷大塚から今の父親のマンションに移るみたいな。僕が大学に入っちゃったあとも単身で大阪、島根、熊本、福岡という風に、父親が金融を卒業するまでは転々と。

それはすごく大変だったでしょうね。

橋本 今振り返ると大変だったかもしれないけど、当時はあまり大変という認識はなかった。むしろ、また新しい土地に行けるんだっていう感じ。いわゆる転校生、転入生として出入りするのは大変だったけどね。

市ヶ谷加賀町のころ スポーツ少年スクールにて

一番長く過ごしたのはどこですか?

橋本 一番長かったのは新潟。幼稚園の年長から小学校5年生までだから5年ぐらいだね。さっき言ったように父親の転勤のサイクルが最大5年だから。ちょうど新潟地震(注4)っていうデザスター(災害)があって、それを経験したんだけどすごかった。ネットとかに昔の写真があると思うけど、コンビナート火災があって、橋が落ちて、津波があって、水没してみたいな。

注4:1964年6月16日に新潟県と山形県の沖合にある粟島付近を震源として、マグニチュード7.5の地震が発生。最大震度は5ながら液状化現象により多数の建物が倒壊するなど都市部を中心に大きな被害を出した。

すべての災害が起きたみたいな。

橋本 そうそう。もちろん、東北に比べると規模はもうちょっと局地的だったんだろうけど、すごいインパクトがあった。

新潟の海岸にある砂防林に登る

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