佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 75

Column

2週間後に迫った「紅白」という夢の実現を前に、純烈のメンバーは意外だが冷静に見える

2週間後に迫った「紅白」という夢の実現を前に、純烈のメンバーは意外だが冷静に見える

『知名度急上昇中の5人、「純烈」に会ってきました!』というタイトルで、3週連続でインタビューとライブによるコラムを、この連載で紹介したのはおよそ1年半前の8月1日だった。

幸いにもその直後から上昇気流に乗った純烈は、今年の11月下旬にはNHK紅白歌合戦への初出場が内定した。
そのことが判明すると、あまり見慣れない名前だということだろうか、「純烈とは?」と紹介する報道がマスコミで流れた。

• 純烈は全国の健康センターを中心にライブを行って、“スーパー銭湯アイドル”と呼ばれている
• 5人のうち4人が仮面ライダーや戦隊ヒーロー出身というイケメン集団ながら、歌う楽曲は古き良きムード歌謡
• メンバーの小田井涼平はタレントのLiLiCoと結婚したばかり

そして筆者が本日(12月18日)の朝刊を見ていたら、年末・年始特別号と銘打った女性週刊誌の広告にまで、「7大特別企画&スペシャル企画」としてトップに「純烈特大ポスター」と書いてあったのだ。
これは念のために確かめようと思ってすぐにコンビニに足を運んで購入してきたのだが、そのポスターの5人の表情からは充実した日々を過ごしていることがはっきり伝わってきた。

その前々日、日曜日にはメンバーのひとりである小田井涼平が単独で、TBSの「サンデー・ジャポン」に出演していた。

それを自宅のテレビで観ていたリーダーの酒井一圭が、さっそくオフィシャルブログで自らの気持ちを、以下のように記していた。
なかでも「この11年の小田井さんの頑張りは鬼気迫るものがあった」という言葉は、筆者にとって特別に印象的だった。

小田井さんが今朝のサンジャポさんでお世話になっている勇姿を自宅で観戦していた。
純烈として夢を掴む。そこから先はまた違った未来がある。だから一緒にやらないか?
まだ夢の舞台まで半月程あるけど、この11年の小田井さんの頑張りは鬼気迫るものがあった。努力と粘りの人です。
自宅のテレビでメンバーの戦いを観戦するという結成以来の夢が叶った朝でした。
小田井さん、ありがとう。純烈でも、出先でも、どんどん良い仕事をして邁進してください。

ビートルズに出会って音楽の道を選ぼうと決めた酒井は10代の頃に、東京へ出てきてバンド活動などを行っていたという。
ところが自分と同じ年に生まれた20歳の中村一義が、作詞・作曲・編曲・演奏して歌ったデビュー・アルバム『金字塔』を聴いて、「とてもじゃないが敵わないぞ」と衝撃を受けた。

そのアルバムをプロデュースしたのが偶然にも筆者だったことから、ロックに進もうと思っていた音楽の道を、酒井はいったんはあきらめたのだと打ち明けてくれた。
そこで自分の将来に対するイメージを軌道修正し、役者の道を選んだのである。

ところが2007年に映画の撮影中、酒井は着地に失敗する事故で足を複雑骨折し、緊急手術をしたが入院は4ヶ月の長期にわたるものとなった。
担当医には「最悪の場合、歩けなくなるかもしれない」とまで言われて、アクション俳優としての道は入院中に断たれてしまう。

しかし、大きな挫折にみまわれたその苦境のなかで、新たな希望の灯を見せてくれたのは、いったん諦めていた音楽だったという。

「病院のベッドで寝ていたら、窓から見える新宿コマ劇場が閉館すると聞いて。高齢化が進んでいるのに、中高年の娯楽の殿堂がなくなろうとしている。何らかの事情があるにせよ、これはマズいだろうと思いました。そんな時にテレビで前川清さんが歌っているのを観て、何か自分の進むべき道が見えたような気がしたんです」

ここから酒井はプロデューサーとして思考をめぐらせて、中高年に生きていることのよろこびを、具体的な形で与えるグループを構想していく。
それが「純烈」という、歌謡コーラス・グループの誕生につながっていったのだ。

初めて取材した時に判明した意外なつながりから、リーダーである酒井と表現活動の根っこの部分について、筆者は真剣に話すことになった。
そして彼の音楽的なバックボーンがしっかりしていることや、将来への目標などを知ったことによって、純烈というグループに対する関心が一気に高まっていった。

考えてみれば長期入院中に夢を何度も見たという前川清や、内山田洋とクール・ファイブに閃きを感じたこと自体が、音楽的な面から見ても酒井にとって必然だったのかもしれないと思えた。
エルヴィス・プレスリーからロックンロールの天啓を受けた前川清は、サザンオールスターズの桑田佳祐がフォロワーとして有名だが、日本が生んだ最高峰のロック・ヴォーカリストなのだ。

ところで「夢は紅白!親孝行!」をキャッチフレーズに掲げて、メンバーに声をかけて音楽活動を始めたものの、一般の人にまで名前が知られるようになるには、そこから10年近い下積みの時間が必要になった。

とはいえ、彼らは諦めることなく夢を追い続けて、今まさにそれを実現しようとしている。
11月には2枚目となるベストアルバムも発売になった。

まったく売れていなかった時期から変わらない気さくで身近な雰囲気は、ステージと客席に垣根がないスーパー銭湯をホームグラウンドに培ってきた、「純烈」というグループの本質にもつながる大事なポイントだ。

芸能界の常識を破る彼らの自由で開放的な態度は、話題作りのために仕込んだものではない。
純烈の魅力について、酒井は「スターじゃないところかな。スターって距離を置かざるを得ない理由があるじゃないですか? 純烈の場合はないですから」と語っている。
また小田井も1年半前のインタビューで、将来についてこんな抱負を述べていた。

たまたまスーパー銭湯に出させていただいたのが5年くらい前のこと。それから各地のスーパー銭湯やキャバレーにお呼びがかかるようになり、今に至るわけです。 でも、たとえホールが埋まるようになったとしてもスーパー銭湯でのステージは続けたいですね。

純烈の中では二枚目役ともいえるメイン・ヴォーカルの白川裕二郎もまた、純烈の本質が垣間見えてくる発言をしている。

言葉遣い一つとっても、演歌、ムード歌唱の清く尊い歌を聴きに来ましたっていう人には“ありがとうございます”と敬語で返すし。 “よかったじゃん!”って言ってくれる人には“ありがとう”で返すし。 同じありがとうでも、違うんです。 平等じゃないって言われたらそうなんですけど、僕らはそこで相手のテンションとかお客様の求めているものに応じて、言葉のかけ方一つまで変えるんです。 それは、別に心がけている訳ではなく、人と人がちゃんと向き合ったら自然とそうなる。 そういう人間らしい付き合い方が、たぶん純烈流なんだと思います。

白川の言葉からもスターと観客という関係ではなく、同じ場にいる一人一人とコミュニケーションをとろうという、純烈の根本的な姿勢や考え方が伝わってくる。
そこには観客やファンとの接するときも、「人と人がちゃんと向き合ったら自然とそうなる」という、人間としての付き合いをしようという誠実さが見えるのだ。
これは一朝一夕で身につくようなものではない。

2週間後に迫った「紅白」という夢の実現に向けて、純烈のメンバーは意外にも冷静に見える。
来年早々には、グループ結成の原点になった前川清との共演も決まっている。

「夢は紅白!親孝行!」の先に開けていくはずの道と、新たなる目標に向って進み続けるであろう来年の発展に期待したい。

※注)文中の白川裕二郎氏の発言は、「サービス精神とプロ根性の塊のようなパフォーマンスで夢を叶えた5人に訊く、純烈の本質 |SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス 」からの引用です。
http://spice.eplus.jp/articles/218565


純烈の楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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