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中川晃教&西川貴教らが、ミュージカル『サムシング・ロッテン!』でみんなの心をハッピーに!!

中川晃教&西川貴教らが、ミュージカル『サムシング・ロッテン!』でみんなの心をハッピーに!!

12月17日(月)から東京国際フォーラム ホールCにて、ミュージカル『サムシング・ロッテン!』が上演中だ。古今東西の様々なミュージカルを引用しながら、ルネサンス時代の売れない劇作家ニックと、売れている劇作家シェイクスピアの丁々発止が爆笑を誘うミュージカル。そのゲネプロと囲み取材が行われた。

取材・文・撮影 / 竹下力

福田雄一の確信に満ちたエンターテインメントショー

テンション高めなハンドクラッピング、ちょっとセクシーなシェイクヒップ、陽気なタップダンス! 演者のダンスや歌に合わせて観客がコール&レスポンス(あくまで控えめな声で)を繰り広げれば、そこには演者と客席の“魂の交歓”、つまり“ミュージカル”が誕生する。そう、これはミュージカルの誕生を刻印した舞台である。

舞台正面奥にいるオーケストラが、トランペットやドラムやベースなどの音合わせをしている。そこからもう心が踊る。そして、小気味良いドラムロールからキックオフするケルト風のウキウキしたナンバーからミュージカル『サムシング・ロッテン!』は始まる──。

時はルネサンスのイギリス。演劇や詩など芸術全般は、たとえばピューリタンからは俗悪なものとみなされ、保守的な偏見や差別があり、それが世間の常だった時代。そんなイギリスの片隅でコーンウォール出身の売れない劇作家のニック(中川晃教)は、弟で同じく劇作家のナイジェル(平方元基)と、劇団で次回作の構想を練っていた。その芝居のタイトルは『リチャードⅡ世』。とにかく売れない劇団で金回りがどうにも悪い。この時代の芸術家のほとんどにはパトロン(出資者)が付いているものだが、そのパトロンにもそっぽを向かれそうで、ニックとナイジェルはなんとかこの舞台をヒットさせようと奔走する。

しかし、かつて同じ劇団に所属していた劇作家のシェイクスピア(西川貴教)も『リチャードⅡ世』を書いているという。“だだかぶり”である。人気作家を前に勝ち目はなさそうだというのに、シェイクスピアを何かと目の敵にしているニックは、妻のビー(瀬奈じゅん)の目を盗み、タンス預金と言えばいいのか、ふたりで貯めたお金を使って、予言者ノストラダムスが伯父であるといういかがわしいトーマス・ノストラダムス(橋本さとし)のもとを訪ね、彼のお告げに従い、まだ誰も観たことのない“ミュージカル”に書き直そうと決意する。

その後もニックはノストラダムスのもとへ“金になる舞台”の予言を聞くために足しげく通うが、アイデアも湧かず、次第に自分を見失っていく。しまいには、「ライバルのシェイクスピアが今後つくる最高傑作とは何か?」と尋ね、彼の未来の作品をパクろうとタブーを犯す。そこで予言されたのは、『オムレット』というミュージカル。ノストラダムスを盲信しすぎているニックには、その是非すらわからないのだが、「とにかく金になる」と、ミュージカル『オムレット』を生み出すために悪戦苦闘をし始める。

そんな兄の姿に、共同執筆者でもある弟のナイジェルは「小手先だけで戯曲を書くなんて」と思い悩んでいた。そんなとき、美しい清教徒(ピューリタン)の娘ポーシャ(清水くるみ)と出会い、禁断の恋に落ちる──『ロミオとジュリエット』やんけ!というツッコミはさておき、ここからナイジェルは新たな作品づくりに意欲を見せることになる。

一方、稀代のナルシストであるシェイクスピアも悩んでいた。自分が天才であることに。いや、違う。『ロミオとジュリエット』に続く大ヒット作を書かねばならないと苦悩していた。そういう意味では、ニックと表裏をなしている。売れている作家と売れていない作家。焦っているのはふたりとも同じなのだ。シェイクスピアは、以前からナイジェルの才能に惚れ込んでおり、彼からなんとか次作のアイデアを得ようと画策。しかも、ニックの所業を知り、“トービーベルチ”と名乗り、子供だけど、なんだか“おっさん”にしか見えない役者に化け、ニックの劇団に潜入することに……。

まず、このファルス(笑劇)は、底抜けに明るい笑いに満ちている。悲しみの予感はあるけれど、カケラは見当たらない。登場人物はみんな明るくて強いのだ。悲劇を書いたシェイクスピアとは真逆である。しかも、全方位から笑わせにかかってくる。まさに観客を笑いの籠城責めにする、お笑い将軍・福田雄一必殺の戦略である。と同時に、これは演劇をテーマにした舞台でもある。劇団が売れる舞台をつくりだそうと四苦八苦する。なんだかブラボーカンパニー座長の福田雄一の影がぼっと浮かんでもくる。彼の劇作への信念のようなもの、あるいは彼の演劇人生までも。いや、すべての演劇人かくあるべしというような想いの丈も伝わってくるのだ。それは「心の底から楽しいものを書かなくては、誰にも伝わらない」「演劇が好きだ。ミュージカルが好きだ」というピュアな想いだ。

ポーシャ役の清水くるみは、親に俗悪なことをしていると思われているナイジェルとの恋を反対されようが、彼のために一直線に生きる、世間知らずで、少しだけ“もさい”女の子を熱演しており、可愛らしく、何より見ていて楽しかった。

予言者のトーマス・ノストラダムスを演じた橋本さとしは、胡散くささ全開なのに、どこか憎めない、あえて死語を使えば“とんでもハップン”な人物を好演していた。台詞回しにもいかがわしさを漂わせているのに、まったく俗っぽく感じないのは、彼の台詞のテンポや間が実にリアルで、こんな人“本当にいる”という説得力のある演技だからだ。

平方元基は、ピュアで、詩的で、子供っぽくて、どういうわけか緊張すると息を吸うのを忘れてしまう変わった男の子のナイジェルをコミカルに演じていた。しかも、ポーシャと恋に落ち、やがておんぶにだっこだったニックに逆らいながら自身の劇作への信念を貫こうとする、いわゆる自我が形成されていく様、子供から大人へと変わっていく成長をも丁寧に演じて見せた。

瀬奈じゅん演じるビーは、女性の象徴みたいな存在。お金のないニック家で旦那の代わりに働きに出たり、要所要所でニックを救う、ニックのミューズであり続けた。今作はフェミニズムも通奏低音になっていると思う。彼女は母性を感じさせる振る舞いが板についており、歌も、元・宝塚歌劇団月組トップスターだからこその文句なしのうまさだった。彼女の歌でご飯3杯はいけそうである。

西川貴教が熱演したシェイクスピアは、小憎たらしいぐらいにナルシストで天才なのに、ヒット作をつくりたいと悩んだり、まだ見ぬ最高傑作のためになりふり構わずだから面白い。たとえ天才と言われようと、普通の人と同じように、時には悩み、意気揚々になったりもする、“人間そのもの”だった。この舞台の必聴ナンバー、イントロのベースラインがザ・ストラングラーズみたいでめちゃくちゃかっこいい「ウィルパワー」では、舞台を西川の独壇場にしてしまう圧倒的な声量、歌唱力を見せつけ、何よりどんなキャラクターに変装しても随所に笑わせる細かい所作に感心させられた。インタビューで福田雄一が「西川貴教の“面白汁”がヤバい」と言うだけある、あっぱれな歌と演技で魅了していた。

中川晃教は、演劇大好きの青年・ニックを実直に演じていた。そのためか頑固さも伺える。シェイクスピアは大嫌いだけれど、彼の作品の面白さ、才能も否定できない。自分の居場所、自分のしていることをも必死に肯定しようとする。いわば彼は“肯定”の男性なのだが、その信念は、たとえ己が何を打ち砕かれても、ポジティブに自らを変えていく強さを持っている。失敗しても次を探す。新天地を見つけだす。それは愛する家族のために。彼は家族から愛されていると信じている。そんなニックのナチュラルボーンなポジティブさを、中川はイノセンスを感じさせる台詞回しで巧みに表現。彼の歌のハイトーンボイスも相変わらず美しかった。

本作は、シェイクスピアの台詞の引用を随所に散りばめ、あらゆるミュージカルナンバーのメロディーや歌詞を下敷きにしている、とても知的なミュージカルとも言えるだろう。ただ、難しく考える必要はなかった。椅子にのんびり座って、それらの引用を見つけて指折り数えているだけでも楽しい。なんだか宝探しをしているような気分にもなる。当然だけれど、それらの引用を知らなくても、福田流の様々なマジックが観客を笑わせてくれる。

演出・上演台本の福田雄一は、「この人、天才か!」というボケをかましまくる。アメリカ版の脚本を活かしつつ、“あるある”ネタも鉄板ギャグも、あらゆる映画・舞台・テレビのパロディも放り込んでくるし、自虐ネタも、役者イジリもあって、“笑わせる”ことにまったくスキがない。この飽きさせない演出に思うのは、ミュージカルが大好きな人なのだろうということ。大好きな彼や彼女とデートに行くのなら、親が子供を連れていくのなら、気楽に楽しめるミュージカルが打たれている劇場が一番だと信じているというような。そして、子供から大人まで誰でも“笑わせてやる”という福田雄一の確固とした宣言をも感じるのである。

さらに、この舞台を成功させたい気持ち、観客全員を楽しませたい、そんな想いがカンパニー全体からも伝わってくる。まさにニックたちの劇団のように。ハスに構えて難しいことをやりたいわけではない。心の底から今日を楽しみたい。そんな人間の根源的な欲求を刺激してくれる。お金持ちになりたい、月面旅行に行きたい、そんな果てない夢もいいけれど、もっと身近にある幸せ、一緒に歌って、踊って、笑い合って、泣き合って、愛し合えば、人生は愉快なものになる。本作は、明日に向かって生きていく勇気をくれる、福田雄一の確信に満ちたエンターテインメントショーであるとともに、“福田組”からのクリスマスプレゼントなのかもしれない(大阪の観客はお年玉かも)。

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