布袋寅泰 51 Emotions -the best for the future-  vol. 1

Review

オールタイムベストから見えてくる布袋寅泰によるオリジナリティの源泉とは?

オールタイムベストから見えてくる布袋寅泰によるオリジナリティの源泉とは?

 今年、35周年を迎えた布袋寅泰は日本を代表するアーティストであり、世界的な評価を獲得している数少ないミュージシャンだ。そんな布袋の足跡を、この機会に“オリジナリティ”という側面からたどってみたいと思う。

 布袋の名を世に知らしめたのは、BOØWYだった。僕は幸運にもデビュー前のBOØWYを間近で見たことがある。1981年、僕の友人のミュージシャンが「面白いバンドがいる」と、渋谷にあった小さなスタジオに連れていってくれた。BOØWYはそこでレコーディングのリハーサルをしていた。長身の布袋は、狭いスタジオの中で異様な存在感を放っていた。そして存在感以上に、鋭いギタープレイが僕に強烈な印象を残した。リズムを刻むコード・カッティングの技術が、飛び抜けてシャープだったのである。
 1980年代初頭の日本のバンドシーンでは、“ギター・ソロ”を第一に考えるギタリストが多かった。だが布袋はグルーヴ重視という、斬新なアプローチを持っていた。パンキッシュなコンセプトと並行して、シックのナイル・ロジャースからレイ・パーカーJr.へと連なるファンキーなリズム・ギターに魅せられていた布袋は、当時のバンドシーンにおいて唯一無二のユニークなギタリストだった。それは彼の作り出したロックバンドらしからぬキャッチ―なコーラスワークと並んで、BOØWYが86年にブレイクする際の決定的な武器になった。今聴いてもBOØWYが新鮮なのは、この二つの武器の力によるところが大きい。

布袋寅泰 GUITARHYTHM

2016 年4月7日(木)国立代々木競技場 第一体育館より

 BOØWY時代の布袋の特徴として、もう一つ挙げられるのは、“ギター・リフ”だろう。「BAD FEELING」のイントロに代表されるリフは、一度聴いたら忘れられない魔力を持つ。BUCK-TICKの今井寿や元JUDY AND MARYのTAKUYAなど布袋をリスペクトするギタリストたちが、「あのグルーヴィーなリフにやられた」と口々に言うのも納得の個性なのである。ギター・ソロを必要以上に重要視せず、グルーヴを最優先した布袋だからこそのオリジナリティがここにある。

 布袋はBOØWYが解散した88年に『GUITARHYTHM』でソロ・デビューした。このファーストアルバムには、その後の彼の展開を予言する要素が数多く入っていて興味深い。
まず、徹底的に洋楽を意識した音楽作りは、世界進出を予感させる。また歌詞も当時の不穏な世界情勢を反映していて、他の日本のアーティストとは視点がまったく異なっていた。ギターをメインにしたインストルメンタルという部分では、その後の映画音楽への進出の伏線になっている。そしてボーカリストへの転進も意識されていた。これほど多くの可能性をデビューアルバムで自ら示唆できるミュージシャンはいない。これも布袋のオリジナリティの質の高さと強く結びついている。

 『GUITARHYTHM』で自らの未来を示した88年に、布袋は吉川晃司とCOMPLEXを結成する。BOØWYでの経験を完全に客観視した布袋は、“ボーカルとギター”というツートップ・スタイルのユニットの頂点を極める。ツートップに似合う曲を書き、ツートップを活かしたビジュアルの演出を作り出した。「BE MY BABY」の衝撃的なPVを生んだプロデューサー感覚も、布袋ならではの特長だろう。短期間で終わったCOMPLEXだったが、2011年に東日本大震災のチャリティのために再結成されたとき、布袋の描いた設計図の素晴らしい完成形を見ることができたのはラッキーだった。
 COMPLEX以降、これほどのツートップ・ユニットは日本の音楽シーンに現われていない。特にギターを弾くときに膝を高く上げるアクションは、BOØWY とCOMPLEXというツートップ・スタイルを追求する中で生まれた、布袋ならではのオリジナルなパフォーマンスだと言えよう。

 ここから布袋は本格的なソロ活動に入り、“日本のロック・ボーカリスト”という、まったく新しいジャンルに挑戦することになる。その第一歩は91年に出した『GUITARHYTHM Ⅱ』だった。
洋楽指向だった『GUITARHYTHM』とは異なり、日本のリスナーを強く意識した曲作りにトライする。別の見方をすれば、“新進ロック・ボーカリスト布袋”のために曲を作り始めたとも言えるだろう。
 それにしても布袋のソングライターとしての引き出しの多さには驚かされる。後に今井美樹の「PRIDE」(96年)など提供楽曲が大ヒットするが、ロックだけではなく、純粋なポップスやジャージーなメロディを書くことも楽しんでいる。そうしたソングライティングが間もなく開花して、「LONELY★WILD」(92年)、「さらば青春の光」(93年)、「サレンダー」(94年)など次々と布袋自身のヒットが生まれ、ソロ活動は軌道に乗っていく。
 ここで注目したいのは、“ソングライター布袋”から渡された楽曲を、“ボーカリスト布袋”が見事に歌いこなしたことだろう。手探りで始めたボーカルだからこそ、スムーズでない部分も含めて、ロッカーとしての生き様をリアルに伝えることができた。これもまた布袋のオリジナリティだった。その説得力のあるボーカルは感動を呼び、現在でも布袋が多くの男性ファンを持っていることの一因となっている。

布袋寅泰 GUITARHYTHM

2016 年4月7日(木)国立代々木競技場 第一体育館より

 面白いのは、布袋のトリビュート・アルバム『ALL TIME SUPER GUEST』(2011年)で、「ラストシーン」(96年発表)という曲を大橋トリオがカバーしていることだ。これは布袋が大橋を指名して実現したもので、この曲に大橋のジャジーなテイストがぴったり合っていて、アルバム『ALL TIME SUPER GUEST』のハイライトになっている。おそらく布袋がこの曲を書いたときのイメージは、大橋のテイクに近かったのではないかと思われる。ただファンのことを考えて、布袋のオリジナル・バージョンはロックテイストになったのかもしれない。つくづく布袋の音楽性の多彩さにはびっくりさせられる。

 “ボーカリスト布袋”とともに、もう一つ90年代で見逃せないのは、インストルメンタルの側面だ。特に重要だったのは、94年に奈良・東大寺で行なわれたイベント“AONIYOSHI”でのマイケル・ケイメンとの出会いだろう。マイケルは『未来世紀ブラジル』や『ロビン・フッド』(第34回グラミー賞)などの映画音楽を多数手掛けていた。意気投合した布袋はマイケルのオファーを受けて、アトランタ五輪閉会式(96年)の演奏に加わる。さらにはギターとオーケストラの融合作品『GUITAR CONCERTO』にも参加した。
 この経験は、布袋にワールドワイドな展望を与えたエポックメイキングなものだった。マイケルは残念ながら2003年に亡くなったが、その年にクエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』のテーマに「Battle Without Honor or Humanity」が起用されたのは、偶然ではなかったのかもしれない。その際の布袋の対応は、これまでの日本人ミュージシャンの誰とも違う堂々としたものだった。このアティチュードは、布袋がマイケルから受け継いだものの一つに思えてならない。 
 布袋のインストや映画音楽は、初期の頃からクオリティが高かったが、ボーカリストとしての経験やマイケルとの交流が、彼のオリジナリティをさらに磨いたに違いない。 

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