瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 6

Story

引きこもり作家と息子を名乗る青年との同居生活…連載小説第6回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

引きこもり作家と息子を名乗る青年との同居生活…連載小説第6回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の姿を描くハートフルストーリー。

第1回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第6回

第一章

 青年に強引に引っ張られ、バスを乗り継ぎやってきた駅前のスターバックス。暗めの落ち着いた照明にすっきりと整ったフロア。六時前の店内は八割がた席が埋まっていて、注文をするカウンターにも数名並んでいた。コーヒーは好きだし、ここにスターバックスがあることも知っていた。だけど、店に入ったことはなかった。

 カウンターで注文するというこのシステムにまず怖気づいてしまう。席に座っていれば店員が注文を取ってくれ商品を運んでくれる喫茶店とは違い、自分から動かないといけないうえに、後ろに並ばれていては自分のペースで注文ができない。商品名もややこしいし、細かい注文の仕方も不明だ。しかし、ここまで来たからにはやるしかない。俺が自分の順番が来るのをどきどきしながら待ち、速やかに済ませなくてはとメニューを確認していると、
「トールのラテ二つ。アイスでいいよね?」
 と、前に並ぶ青年が俺の分まで注文してくれた。

「ああ、そうだな」

 おろおろとしている間に、コーヒーを手にした青年に「こっちこっち」と言われ、無事に席までたどりついた。

「はあ……。なんだかこういう店は神経使うなあ」

 俺がほっと席に着くのに、
「大丈夫」
 と、青年が微笑んだ。

「スタバでスマートにオーダーする俺ってかっこいいと思ってるやつもいるけど、こういうハイセンスふうな場所にどぎまぎする人も多いから」

「そうなのか」

「そうそう。おっさんだけじゃない」

「ならいいか」

 俺は自分で注文したわけでもないのに、一仕事終えたような気がして、ゆっくりとコーヒーを口にした。初めての店で焦った体が、アイスコーヒーで冷やされていく。

「おいしい?」

「あ、ああ」

 青年に聞かれてうなずく。俺はグルメではないから、ゴールドブレンドとの違いはわからないが、どこか香ばしい優しい深みがあるようには感じる。

「スタバラテちゃんにからあげクンに。今日、おっさん、新しいものばっかり立て続けに飲み食いしたから、胃が驚いてないといいけど」

 青年はそう笑うと、窓の外に目をやった。

 窓の向こうには、駅から流れていく人たちが見える。引きこもっているわけではないし、二、三ヶ月に一度は出版社との打ち合わせで、電車で遠方に出ることもある。けれど、家の中で過ごすことに慣れているからか、用を済ますとまっすぐに帰宅する。用事もないのに、こんなふうに外にいることはまずない。夕方の駅はこんなにも人でごった返しているんだな。文章や映像で知っているありきたりな風景も、実際に見てみるとおもしろい。参考書らしきものを読みながらも誰ともぶつからない男子高校生、何がそんなにおもしろいのか手を叩きながら笑っている女子高生のグループ。驚くほどたくさんの袋を抱えて急ぐおばさん。塾にでも行くのだろうか、リュックを背負った小学生らしき子どもが歩くのも見える。

「みんな忙しそうだな」

 そうつぶやいて視線を戻すと、青年はまだ外を眺めていた。

 スターバックスのテーブルは小さく、すぐ前に青年の顔がある。こんなに近い距離で誰かと向き合うのは何年ぶりだろう。出版社との打ち合わせ以外に、人といることがまずない。こういう時は、何か話したほうがいいのだろうか。そうだとしたら、何の話をすべきだろう。天気の話か最近のニュース? いや、目の前に座るのは息子だからそれはおかしいか。近況を聞くのが親子の会話だろうか。しかし、青年は息子とはいえ、初対面に等しい。最近どころか、今までの様子を何一つ知らない。

「えっと、その、君は、どう過ごしてきたんだ?」

 俺がなんとか会話を始めようとすると、青年は目を丸くした。

「どう過ごしてきたって?」

「ああ、まあ、そうだな。どうしてフリーターに?」

 月に一度送られてくるのは、写真と「十万円受け取りました」の文章だけで、子どもの様子は書かれていなかった。制服を着ている写真で、中学生になったとか、高校生になったなどということだけはなんとなくわかったが、どういう性格で何が好きで何に夢中なのかもわからなければ、高校卒業後、進学したのか就職したのか、何を目指していたのかも知るすべはなかった。

「俺の生い立ち聞いちゃう?」

「いや、生い立ちというか」

「もし、俺がすごく不幸だったらどうする? おっさん、いたたまれないと思うよ」

 青年はそう言って肩をすくめた。

 今まで、自分の息子がどんな暮らしをしているのか考えたことがないわけではない。でも、それは頭をよぎる程度で、深く掘り下げようとしたことはなかった。写真の息子は元気そうなのだから無事なのだろうと、それで済ませていた。けれど、二十二歳で出産し、美月一人で育ててきたとしたら、大きな苦労があってもおかしくない。そんな想像にたやすいことすら、本格的には目を向けずにいた。

「おっさんは?」

「え?」

「おっさんの生い立ちは? 俺、おっさんが不幸でも痛くもかゆくもないから教えてよ」

 考え込んでいる俺に、青年が聞いた。

「俺は普通だ」

「普通って、いつから引きこもりになったの?」

「引きこもってるわけじゃない。これは仕事だ」

「じゃあ、友達とか親は? 会ったり連絡取ったりしてるの?」

「友達はあまりいないし、親とも二十年以上連絡は取っていない」

 俺が正直に言うと、
「親とも子どもとも会わないなんて、徹底してるんだね」

 と非難するでもなく青年はさらりとそう言った。

 息子と会わないと決めたのは俺ではないし、親とは次第に疎遠になってしまっているだけで、そこに意志はない。だけど、青年に言われてみれば、最もつながりがあるはずの人物と遠ざかっていることになる。

「そうだ! これから月に一度写真撮ってあげるから、実家に送ったら? 俺がしてたみたいにさ」

 青年が名案を思いついたように手を叩いた。

「まさか。俺はもう五十歳だ。そんな中年の写真が毎月送られてきたら怖いだろう。それに、もう大人なんだから、一ヶ月経とうが三年経とうが何の変化もなくて、写真に面白みもない」

「そっか。じいちゃんたち喜びそうだけど、我が子の老けていく過程を見るのは不愉快かもな」

「じいちゃんたち?」

 あまりに親しげな青年の言い草を聞き返すと、
「父親の両親ってじいちゃんとばあちゃんじゃないの?」

 と、青年が言った。会ったこともない人物をそんなふうに気安く呼べるのは、この青年の才能かもしれない。容姿にはかすかに俺の遺伝子がありそうな気もするが、性格はかけ離れている。つながっているのが血だけでは、何の影響も与えられないようだ。

「まあ、そうだな」

 とうなずきながら、カウンターのほうから聞こえる甲高い声に顔を向けると、スカートを短くした茶色い髪の女子高生が立っているのが見えた。高校生のくせに化粧が濃いのがここからでもわかる。

「最近の子は声がでかいんだな」

 女子高生は耳障りな大きな声で、マイペースにゆっくりと注文をしている。後ろに人が並んでいるのを、なんとも思っていないのだろう。

「えっと、飲み物はカフェモカね。サイズは普通だからー、トールってことでー」

 だらしない語尾に俺は眉をひそめた。

「ああ、あれ、後ろのばあさん、おどおどしてるからだろう」

 青年もカウンターに目をやるとそう言った。

「でかい声でおばあさんを驚かそうとしてるのか。最近の子は本当にどうしようもないな」

 俺の言葉に青年は「うそだろう」と眉を寄せて笑った。

「きっと、あのばあさん、うっかりスタバに入っちゃったものの、この雰囲気にどうやって注文するのか戸惑ってるんだよ。だから、こういう感じで注文すんだよってわかりやすく示してるんじゃない」

「は?」

「は? って。だから、ああやって大きい声でゆっくり注文すれば、ばあさんもなんとなくオーダーのやり方がわかるだろう?」

 あのとんでもない女子高生が、そんなに周りを観察して気配りをするのだろうか。納得できずにいる俺に、
「普通だよ。後ろに戸惑ってる人がいたらそれぐらい誰でもやる」
 と、青年が言った。

「そうなのか?」

「本気かよー。おっさん、引きこもって路頭に迷った若者の話ばっかり書いてるうちに、こんな当たり前のこともわからなくなってるなんてやばいよ」

 青年はげらげら笑って、コーヒーを飲んだ。

 彼の言うように、俺がおかしいのだろうか。いや、青年のこの楽観的で前向きな考え方も珍しいはずだ。母親一人に育てられたのに、苦労とは無縁で生きてきたのだろうか。この青年は、どういう人生を送ってきたのだろう。初めて息子にほんの少し興味がわいた。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


人生初の“スタバ”で、はじめて息子に興味をもった加賀野。二人の関係が少しずつ変わり始める?

第5回はこちら
【日・木更新!】連載小説第5回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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2018.12.16

第7回はこちら
引きこもり作家と息子を名乗る青年との不思議な同居生活…連載小説第7回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

vol.5
vol.6
vol.7