瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 7

Story

引きこもり作家と息子を名乗る青年との不思議な同居生活…連載小説第7回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

引きこもり作家と息子を名乗る青年との不思議な同居生活…連載小説第7回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の姿を描くハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

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連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第7回

第一章

5

 

 十月も後半に差し掛かった二十日。締め切りまでまだ日があるのに、六十枚の原稿ができあがった。昼過ぎの日差しはきっぱりときれいで、ソファやテーブルに影を作っている。気持ちのいい日だ。メールで出版社に原稿を送ると、俺は大きく伸びをした。

 さて。何をしようか。ここ何年かは昔ほど仕事を詰めては入れておらず、抱えているのは連載一本だけだ。すでに三十冊近く本になっているから、印税だけで十分生活はできた。

 読みかけの本を読むか。いや、目を休めたい。ひと眠りするにしても高揚感がある。先月はどうしていただろう。原稿を送った後の解放された時間。録り溜めていた映画を見たり、家を片付けたり、それなりにやることがあったはずだ。それなのに、今はぽかんと時間ができたようで、何をしたらいいのか思いつかない。

 もしかしたらいるかもしれないと、ダイニングへ向かったが、智はバイトに出ているようで、家の中はしんと静まり返っていた。自分以外に人がいないと、家はこんなにもひっそりするものなのか。智は二階で勝手に生活しているだけで、何も変わらないと思っていたが、いつもいる人間の不在はそれなりに影響があるようだ。

「まあ、とりあえず何か食べるか」

 俺は台所に向かうと冷蔵庫を開けた。中にあるのはチーズに卵にハム。作るとなると面倒だ。棚にはカップラーメンとポテトチップスとカロリーメイトがあるが、どれも惹かれない。お腹はすいているんだけどなと考えていると、あれを無性に食べたくなった。

 ほどよいスパイシーさと慣れ親しんだ安定感のある味。食欲をそそるお手軽な安っぽさ。前に食べたからあげクンの味と食感を思い出すと今すぐにでも食べたかった。智がバイト上がりに買ってきたと言っていたから、ローソンに行けば売っているはずだ。バス停前のローソンは、歩いて十分もかからない。けれども、時間は午後二時前。こんな平日の昼間に五十歳の男がうろついていて、怪しまれないだろうか。いや、大丈夫だ。こないだのスターバックスでも誰にも何も言われなかった。智が「周りを気にしてるのはおっさんだけだ」と笑っていたけど、そのとおり。誰も俺のことなど気に留めていないのだ。俺は簡単に身なりを整えて、財布をポケットに突っ込むと家を出た。

 二時前の日差しは晴れやかで明るく、町全体がクリアに見える。うだるような夏のけだるさもなければ、閉ざされた冬に向かう前の寂しさもまだない。いい季節だ。温まった午後の軽い風も心地いい。

 あまり見回したことがなかったが、庭の大きな家が建ち並ぶ三丁目は、様々な木々が見られる。昔からの家はぎっしりと木が植えられている庭が多いが、新しく建て直した家は細い木が数本植えられているだけのシンプルな庭が多い。どちらにしても、みんな手入れしているんだなと、塀の向こうを眺めては感心した。俺の家の庭は、購入してから一度も手を入れていない。低木がいくつか植わっているが、水やりさえしていない。それでも枯れずに育っているのだから、樹木の生命力には驚かされる。

 住宅街を抜けて大通りを進めばバス停だ。そう言えば、「バス停前の枝元さん家の犬、すっごいかわいいんだぜ」と智が言っていたことを思い出し、枝元と表札がかかった家をのぞいてみると、ふてぶてしい犬が駐車場内の犬小屋前で寝転がっているのが見えた。

 だらっとしている中型犬にかわいいという言葉は当てはまらない。智は読解力だけでなく表現力も乏しいようだと眺めていると、視線に気づいた犬がむっくと立ち上がり唐突に大きな声で吠え始めた。

 なんなんだ。人懐っこさのかけらもないじゃないか。いや、俺が怪しげなのだろうか。どちらにしても、これ以上吠えられたら、家の人が出てきてしまう。俺は足早にその場を立ち去った。

 できて三年ほどしか経っていないローソンは小さな店ではあるが、まだきれいだ。一度郵便物を出す時に来ただけの店に少々緊張しながら足を踏み入れると、中に入るや否や、「いらっしゃいませ。おお、おっさん」と智の声が聞こえた。

「どうしたの? おっさんが家から出るなんて奇跡じゃん」

「いや、だから週に一度程度は出てると言ってるだろう」

 青いストライプの制服を着ている智はいつもよりしゃきっとして見える。住宅街のコンビニのせいか、昼過ぎの店内には誰もいなかった。

「で、どうしたの?」

「あれを買おうと思って」

「あれ?」

「そう、その、なんだ、からあげクンというやつか」

 改めて唐揚げに“くん”をつけてみると、こっぱずかしい。俺がぼそぼそと言うのを智は、「あれうまいもんな」と笑い、
「あ、そうだ。父親が来たからには店長に挨拶しといたほうがいいよな」
 と言いだした。

「へ?」

 ただ買い物に来ただけなのに挨拶ってなんだとうろたえている俺を無視して、智は奥に向かって「店長!」と声をかけた。小さいとはいえ、一つの店を任せられている人物だ。バイトや社員を束ねているリーダーなのだから、立派な人物にちがいない。挨拶をするならもう少しこぎれいにしてくるんだったと後悔していると、中からよろよろとおじいさんが出てきた。

「どうした?」

「いえ、たまたま父が来たんで、店長にもご挨拶をと思って」

 智がそう言うのに、俺は深々と頭を下げた。

「ああ、そりゃそりゃ。店長の笹野です」

 七十歳はゆうに過ぎているだろうか。頭の禿げたおじいさんは飄々と軽く手を上げた。

「ああ、あの笹野幾太郎さんですね。どうもはじめまして」

「あのかそのか知りませんが、笹野幾太郎です。息子さん、よう働いてくれてますよ」

 息子さん。智のことだ。で、どう答えればいいんだ? ただ血がつながっているだけのくせに、「息子がお世話になっています」というのは空々しいだろうかと、俺が考えている横で、
「まだ会って二週間も経ってないから、父は息子という言葉にぴんとこないんですよ。あ、ちゃんと血のつながったれっきとした親子ですけどね」
 と、智が言った。

 会って二週間も経っていない親子。智は新生児ではなく、二十五歳だ。おかしな関係に驚いているんじゃないかと思いきや、笹野さんは、
「なるほど。道理で親し気な空気が漂ってないんだねえ」
 と、俺と智を眺めてのんきに言った。

「いや、まあ、その……」

「親父さん、そんなばつの悪そうな顔せんでも、ようあることだ。うちの親父も女が好きでさ、外にたくさん愛人がいたから、あちこちに子どもがいるよ。親父自身、会ったこともない子どももいるんじゃないかな。本当、男ってどうしようもないから」

 笹野さんが陽気に言うのに、俺は妙な親子関係だといぶかしがられずにほっとしたものの、愛人という言葉には反論せずにはいられなかった。

「いや、その、私は結婚もしていませんし、愛人とかいう関係ではありません。そもそも、私はけっして女好きではないですし……」

 俺が言い訳するのに、智と笹野さんは顔を見合わせて笑った。

「おっさん、恋人でもない女の子とセックスして子どもができてほったらかしといて、まじめなふりするのはないよ」

 智がそう言って笑い、
「その弁明を聞いても、わしの親父と智の親父さんに違いはなんら見いだせないけどなあ」
 と、笹野さんも笑った。

「違いますよ。私の場合は女好きでこんなことになったわけではなく、ただの過ちというか……」

「おっさん、どうして純情ぶろうとするの。五十歳にしてちょっと不気味だよ」
 と、智が身震いするまねをして、
「そうそう。もう、ここはゆきずりの女をはらませちまった、俺は罪深いばかな男なんだって言っちまったほうが気持ちいいよなあ」
 と、笹野さんが言った。

「いや、でも……」

 俺はそんなにひどいことをしでかしたのだろうか。美月は会ったばかりの好きでもない女だったのだから、ゆきずりの女だと言われてもしかたがないかもしれない。しかも、結婚もしていない相手を妊娠させてしまったのも事実ならば、子どもが生まれたのを知りながら会おうともせず、今まで過ごしてきたのも事実だ。俺は、罪深い人間なのだろうか。いや、そこまでではないはずだ。毎月きちんと養育費を振り込んでいたのだから、すべての責任を放棄していたわけではない。

「その、私は……」

「わかったわかった。親父さんは女好きではないんだな。けど、親父さんのどうしようもないところは、その想像力のなさだ。こりゃ、女にだらしないほうがよっぽどましだぜ」

 笹野さんは、まだ弁解をしようとしていた俺の肩を叩いた。

 想像力のなさ。どういうことだろう。作家である俺には致命的な指摘だ。しかし、笹野さんは俺の本を読んで言っているのではないだろうし、想像力を試されるような会話はしていない。どうして想像力がないなどと言われなくてはならないのだろうと、俺は聞き返した。

「想像力?」

「そ。いろいろイメージしてみなよ。過ちだどうだって言われちゃ、わしならぐれて禿げちまうよ。あ、わし、銀行に両替行ってくるわ」

 笹野さんはそう言うと、店の奥へと戻っていった。

「はい、おっさん、からあげクン。間違って揚げたわけじゃなく、まじめに作ったからおいしいよ。あ、どんなふうに作ってもからあげクンはおいしいか」

 智はからあげクンをレジ袋に入れて、考え込んでいる俺に渡した。

「あ、ああ」

「温かいうちに食べたほうがおいしいよ」

「そうだな。じゃあ」

「じゃあ。気をつけて」

 お金を払い店を出て、これではまるで智の存在が過ちだと言っているようなものではないかと、そこで初めて俺は自分の無神経さにぞっとした。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


コンビニ店長・笹野にたしなめられ、加賀野は自分の無神経な智への言葉にやっと気が付くが--。

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引きこもり作家と息子を名乗る青年との同居生活…連載小説第6回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

引きこもり作家と息子を名乗る青年との同居生活…連載小説第6回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

2018.12.20

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

vol.6
vol.7
vol.8